第四日 西予・佐田岬 3/5
峠の北側へ降りる道は比較的交通量も多く、南からの道よりずいぶん走りやすかった。56号から県道25号へ入り、田んぼの中に出没した藁のマンモスを撮ってから、八幡浜市街へ向かう。
「またたびちゃんぽん」は、ありふれた住宅街に位置する庶民的な店だった。
バンダナを頭に巻いた普段着のおばちゃんに注文を伝えた。年季の入った給水器から、アサヒビールのロゴが入った小さなコップへ水を汲む。それをゆっくり飲みながら、楓はしみじみとこぼした。
「こういう店って二、三十年前から変わってへんのやろな」
「かもな……」
心なしかベタついているテーブルの木目をなぞりつつ、どこか懐かしさを感じさせる店内を眺める。
「はい、お待ちどおさま」
「あ、どうもー」
湯気の立つちゃんぽんが二人の前に並んだ。
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○八幡浜ちゃんぽん
八幡浜のソウルフード。
長崎のちゃんぽんが濃厚な豚骨スープと専用のちゃんぽん麺を用いるのに対し、八幡浜のものは鶏ガラ・カツオ・昆布等からとったあっさりスープと太い中華麺を使うことが多い。
八幡浜の特産品であるカマボコやじゃこ天が入っている。
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ちゃんぽんというだけあって具材が豊富で、半分に切られたゆで卵と隣り合うエビに食欲をそそられる。ダシと具材の香りが鼻腔をくすぐった。
「ほう、やっぱ長崎のとはだいぶ違うんやな」
楓は意味ありげに頷いているが、渚はそもそも長崎ちゃんぽんにもあまり馴染みがなく、頭の中のイメージに靄がかかっている。だがその分、新鮮な気持ちでこのちゃんぽんに向き合えるというものだ。
まずはレンゲでスープをひとすくい。
(あ、イケるわ)
カツオと昆布の柔らかな風味が鼻へと抜け、さらに食欲を刺激された。続いて麺と野菜を一緒につまみ上げ口へ運ぶ。小麦と野菜、魚介類の旨みが渾然一体となり、舌を楽しませてくれた。
「ウチら旅から旅の身としては、やっぱ野菜が摂れるんはありがたいよな」
「まだ四日目やろ」
ツッコミを入れたところではたと気づいた。「まだ」四日目だが、「もう」四日目でもあるのだ。ちょうど一週間の旅程であるため、これで半分が過ぎてしまったことになる。
(今回もこのパターンか……)
旅に体が慣れたかというところで、もう前半が終わっている。世間的に見れば一週間という旅行は十分長いのだろうが、今の渚にはそうは思えなかった。
ちゃんぽんで腹を満たした二人は佐田岬半島へ入った。
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○佐田岬半島
伊方町・八幡浜市に属する、日本一細長い半島。
根元から突端の佐田岬までの距離は四、五十キロにもなるが、幅は最も広いところでも六、七キロに過ぎない。
年間を通じて風が強く、多くの風車が尾根に沿って並んでいる。
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「案外車多いな」
横風に吹かれながら尾根伝いの国道を走る。この先には岬とフェリー乗り場、小さな漁港くらいしかないはずだが、皆そこを目指しているのだろうか。
「ちょっと休まへん? 寒なってきた」
道路沿いの展望所へカブを停める。安っぽいパルテノン神殿のような雰囲気の建物は、二階がちょっとした展望台になっていた。
「今年のゴールデンウィークはちょうどええ気温やな。ツーリングにはぴったりやわ」
楓はウィンドブレーカーの下にフリースを着込みながら言った。確かにここまでの道中、暑さや寒さに悩まされることはほとんどなかった。
「年によってそんな違う?」
「結構ちゃうやろ。暑い年はクーラーつけよか迷うぐらいやけど、寒い年は朝晩ダウン着てる人もおったり」
その後も順調にカブを走らせ、風車の並ぶ佐田岬メロディーラインを進む。三崎のアコウとかいう大樹を撮ったのち、二人は終点の駐車場へ到着した。
グローブを外した楓は、胸を張って肩をぐるぐると回す。
「結構長かったな」
「でもほら、両側から海見えるとこあったやろ?」
「ああ! あれはすごかったわ」
佐田岬半島の最も細まったところは数百メートルしかなく、北の伊予灘と南の宇和海、双方を同時に望めるポイントが道中にあるわけだ。
「こっから岬までちょっと距離あるんやな」
車両はこれ以上入れないため、岬の突端まで行くには歩くしかない。駐車場の隅に立てられた周辺図を横目に、傾斜のついた遊歩道へと進む。
歩き始めて間もなく、「イノシシ注意!」という看板を見かけた。
「こんな海の近くでもイノシシおるんか」
「なあ、あれ……」
看板に注目する渚の脇腹を、楓が肘で突いた。早速出没したのかと思い、姉が顎で示す方へ視線を移す。
進行方向十五メートル先、遊歩道から一歩分外れた位置に、そいつは佇んでいた。
「廃村の道祖神みたいなババアや」
「ひどいこと言うなアンタ……でも言い得て妙やわ」
道祖神ことババアはゼンマイが切れているようで、猫背気味に俯いた姿勢のままピクリとも動かない。楓は警戒態勢を維持したまま、潜めた声で問うた。
「どうするんあれ?」
「どうしようもないやろ、見んかったことにしてスルーしよ」
「うむ。ほな何か世間話でもしよや」
「そんなんいきなり言われてもなあ……」
その場でひそひそ話を続けるのもためらわれ、一度止めた足を再び動かす。どんな話題を振るべきかと頭をひねっていると、姉が口火を切ってくれた。
「隣の家に囲いができたんやて」
「ふーん」
「逆隣の家に座敷牢ができたんやて」
「ほーん」
「向かいの家にはヌーディストビーチができたんやて」
「へーん……はあっ!? どんだけ金持ちやねん向かいは!」
間違っても目が合わないように顔と視線を真正面に固定していた二人は、その時点でババアの横を通過し二、三歩先にいた。
ある意味イノシシより恐ろしいエンカウントを切り抜けたと思った矢先、背後からしわがれた声が飛んできた。
「そこな若いの! ちょいとワシの話を聞いていきんさい」
RPGの村人のような台詞に、二人は思わず歩みを止めてしまった。ババアは存外機敏な動きで二人の前に回り込み、その行く手を塞ぐ。




