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第一日 徳島・室戸岬 2/6

「スーパー林道をパスするってことは……結局アンタは海メインのルートを選択したわけやな」

「まあそんなとこやわ」

 渚は答え、数か月前のやり取りを回想する。




 事の発端は元日だった。

 大晦日に神戸から帰省していた楓が、いつぞやのように弟の部屋へ押し入ってきた。無論ノックをするなどという習慣は二人の間に存在しない。

「なあ、四国行かへん?」

「えっ、ツーリング? また奢《おご》ってくれんの?」

「ないない、それはない」

 片手を胸の前で振る楓は、ベッドに寝そべる渚と向かい合うように、学習机の椅子に腰を下ろした。押入れから引っ張り出したのであろう、上下不揃いの着古したジャージが擦《す》れてカサカサと音を立てる。

「相変わらず小綺麗な部屋やな」

「どこがや」

 数日前に大掃除をしたものの、もともと物が多いせいか片づいているとは言いがたい。

(姉貴の部屋はどうなっとるんやろ……)

 楓のアパートは、姉が一人暮らしを始めて間もないころに一度訪ねたきりで、その後どうなっているのか分からない。ワイドショーに出るような汚部屋を想像してしまい、背筋が冷たくなった。

「それはいつ行くん?」

「今年のゴールデンウィーク。空いとる? どうせ空いとるやろ? 断ったら土手っ腹に新しいケツ穴空けたるで?」

 どことなくデジャヴを覚える。

「まあ空いとるけど」

「なら決まりやな」

「んー……」

 去年の北海道ツーリングは、これまでの渚の人生における最も濃密な十日間として強く記憶に刻まれている。またツーリングに出られるというのはやぶさか(・・・・)ではないけれども、こうも安請け合いしてしまってよいものだろうか。

 弟の曖昧な返事を承諾ととったのか、姉は話を進める。

「今回はアンタが計画立てて」

「……オレェ?」

「手ぇ打っといたんよ。枕の下見てみ」

「えっ」

 涅槃仏《ねはんぶつ》スタイルで話を聞いていた渚は体を起こした。タランチュラでも潜《ひそ》ませているのかと警戒しつつ、肘《ひじ》の跡が残るニトリの低反発枕をそっと持ち上げる。

 枕の下から現れたのは、真新しい『ツーリングマップルR 中国・四国』だった。

「何やこれ」

「睡眠学習」

「アホか」

 まったく気づかなかった。いったいいつの間に仕込んだのだろう。

「つーかこれって、好きな人の写真でやるやつやろ」

 枕の下に敷いた写真の人物が夢に出てくるとかいう、古いおまじないだ。

「でも四国の初夢見たんちゃう?」

「いんや……襲ってきた巨大な蛇を剣や銃で迎撃したら、そいつが深い海の底へ帰っていくっていう夢やったわ」

 そこで姉の緩んだ頬が瞬時に強張り、渚の顔を正面から見据えてきた。

「……いっぺんフロイト先生に診《み》てもらったほうがええで」

「え? なんで」

「あ、いやいや……やっぱ診てもらわんでええわ。そのまま忘れてまえ」

「めっちゃ気になるんやけど……」

 楓は床を蹴って回転式の椅子をぐるりと一周させた。

「さすがに金は出さへんけど、それあげるから。プランニング任せるで」

「俺が全部決めてええの?」

「ウチからも多少リクエストは出すけど、基本そうやな。時間あるしゆっくり考えて」

 体《てい》よく押しつけられたのか、はたまた決定権を譲ってくれたのか。

「ところで渚、四国ってどういうとこや?」

「えっ?」

「アンタは四国にどういう印象を持ってる?」

「四国の印象って言われても……全体としてはお遍路さんぐらいしかないな。各県ごとに挙げるとしたら……香川はうどん、徳島は阿波踊り、愛媛はミカン、高知は坂本龍馬ってとこやろか」

「ふむ、まあ素人ならそんなもんやろな」

 楓は腕を組んで首を傾《かし》げてみせた。普段は面と向かって話すことがない分、たまにこういう素振りを見せられると無性に癇《かん》に障る。

「北海道に比べてかなり狭いとはいえ、それでも一週間程度では全部周りきれへん。やっぱ旅の目的とかテーマを決めなあかんやろ」

「はあ。それで姉貴の『四国の印象』てやつはどんなもんなん?」

「ふっふーん」

 含み笑いを浮かべて勿体《もったい》ぶる姉と、顔をしかめてそれを睨む弟。

「ズバリ山やな。四国は平野が少ないし、二千メートル近い山がベンベン生《は》えとるやろ。ほんで剣山スーパー林道とか四国カルスト、石鎚スカイラインに酷《・》道439号……。まあ山を楽しめる道も多いわけやな」

「んー……俺としては室戸《むろと》岬とか足摺《あしずり》岬とか、海のイメージのほうが強いんやけどな。桂浜とか」

「もちろんそれも間違うてへん。せやからとにもかくにも、まずは目的を絞らなな」

「海沿いに四国を一周するのを優先するか、山を走り尽くすほうをとるかってこと?」

「半々でもええけど、いずれにせよ取捨選択は必要やわ。……まあこんだけいろいろ言わしてもろたけど、やっぱ実際に出かけてみるとプランどおりにいかんことも多いし――」


 正月に話したのはそこまで。渚は去年からとある懸念事項を抱えていて、それ以降しばらく四国のことを忘れていた。

 だが大学が春休みに入ったのを契機に、放置していたツーリングマップルを引っ張り出した。

 やかましく鬱陶しい姉と、なぜ再びツーリングに行こうと思ったのか。理由は二つある。

 金は出さないと明言していたものの、なんやかんやで多少多めに負担してくれるのではないかという淡い期待があったから。

 もうひとつは、やはり二人いれば何かと便利だからだ。姉のハンターカブの方が積載力が高いため、多少自分の荷物が増えても持ってもらえる。トイレに行くときにも荷物を見ていてくれる。万一旅先で体調を崩したときでも、買い出しや宿の手配を任せられる。

 別に一人が不安なわけではない。不便なだけだ。

 それからは時折ツーリングマップルを眺めたり、図書館へ出向いて旅行ガイドをめくったりしていた。四国四県の観光地やグルメを調べ、押さえておきたいポイントをピックアップする。二人が休みをとれそうな日どりを確認し、そのポイントを繋ぐようにルートを決める。宿は極力キャンプ場を使って節約したいところだが、天候や体調いかんによっては安いホテルも検討しなければならない。気温についても要注意だ。ゴールデンウィークだと思って甘く見ていると、山へ入ったときなんかに思わぬ寒さに直面するかもしれない。北海道での反省を踏まえ、防寒策は万全に講じておこう。

 思ったより時間のかかる作業だったが、計画を立てるのは楽しかった。勉強やバイトの合間に少しずつ作業を進め、出発の二週間前には一通りのプランを組み上げた。


・ツーリングマップル……バイク旅に特化した地図帳。情報量が豊富で、多くのライダーのツーリングの供を務めている。

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