↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/37

第四日 西予・佐田岬 1/5


 一日降り続いていた雨は夜のうちにやんだようで、窓の外からは柔らかな陽射しが届いている。待望のツーリング日和だ! といきたいところだが、姉弟ともにそのような気分にはなれなかった。

 またしても寝不足である。原因は隣近所から響く物音にあった。

 疲労のあまりぐっすり寝入っていたはずが、夜中に鈍い音とともに床が震動し、眠りを妨げられた。半ば寝ぼけながらも、どこかのドアが勢いよく閉められたのだと察する。複数人の足音とざわめきがそれに続いた。よそで宴会を開いたあとなのか、泥酔状態と思しき人間の喚《わめ》き声も聞こえる。

 枕元のスマホを確認すると、もう日付が変わろうかという時間だった。じきに大人しくなるかと思ったがそれ以降も騒ぎは続き、二人が再び眠りに就くまでにはかなりの時間を要したのだ。

「ストレッチしとき。疲労回復にはええで」

 脚を伸ばし前屈している楓に勧められ、渚はゆっくりと立ち上がる。高校時代、部活のアップとしてやっていた一連のストレッチを順にこなしていった。

 楓は開脚しながら尋ねる。

「眠気はどうなん?」

「わりとマシになってきたわ。まあ寝不足いうても初日に比べたら全然寝れたし」

 見下ろす姉の顔に疲労の色は見られない。うんていの件といい昨日の行程といい、やはりこの姉、体力が飛躍的に向上している。

 渚が事故を起こしかけたことも、元はといえば二日続いたテント泊で疲労が溜まっているところに雨の中を長時間走ったという、体力的な要因が大きく関わっているはずだ。

 体力が危うくなれば集中力や精神力も大きな影響を受ける。だが楓は、宿に到着するまでそのいずれも底を突くことがなかった。

 高校までは運動部に所属し汗を流していた渚だが、大学に入って以降、スポーツから遠ざかってしまっている。日々力仕事に明け暮れる姉に体力で遅れをとってしまうのも、仕方ないことなのかもしれない。

(でもこれは由々しき事態やな……)

 この機会に体を鍛え直そうかと思案していたところ、またしてもどこかからドアを乱暴に閉める音が響いてきた。

「建物のボロさも大概やけど、ほかの客のマナーの悪さも相当なもんよな。どんだけ民度低いんよ」

 悪態をついた渚はペットボトルを傾け、生《き》の水道水にしては雑味のない水で喉を潤《うるお》す。

「まあしゃあないやろ。防音性も宿泊客のモラルも、おおむね宿代と比例するんやから」

「まったくやわ、貧乳のくせに大胸《おおむね》とかぬかす詐欺みたいな奴もおるし」

「やかましいわボゲッ!」

 振りかぶった楓の腕から放たれた枕は、避けるまでもなく渚の横を通過する。それだけならば胸も問題もなかったのだが、枕はちゃぶ台のペットボトルに直撃した。

「あっ……!」

 不運にもキャップをしていなかった。倒れたボトルからちゃぶ台に広がった水は、瞬時に畳まで滴り落ちる。

「あーあ……もう、姉貴がノーコンやから」

「大元はアンタやろ」

 ハンガーに吊って乾かしていたペラペラのタオルを手に、濡れたところを拭く。

「まあジュースやなくてよかったな」

 放っておけばそのうち乾くだろう。

 荷物をまとめ部屋をあとにする。狭い廊下を前後になって進んでいると、洗面所の前で宿泊客の一人と出くわした。

「あ、どうも……」

「おはようございます」

 渚と同年代だろうか、小柄で真面目そうなその青年は、律儀に挨拶を返してくれた。

「あの人も昨夜のあれには迷惑しとったんやろな……」

 背後の楓が、怒りをにじませた声で呟くのが聞こえた。


「さ、気を取り直して行こ」

 カブに跨がった二人はコインランドリーに立ち寄ってから、中村市街を北西へ抜ける。

 今日は沈下橋《ちんかばし》を巡ったのち愛媛へ入る予定だ。四万十川に沿って県道を走り、間もなく佐田《さだ》沈下橋へ着いた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○沈下橋

「潜水橋」や「もぐり橋」とも呼ばれる、欄干のない橋。

増水した際、流れてきた流木やゴミが引っ掛かりにくいため、橋の損壊を防ぐことができる。

四万十川流域には計五十本近くの沈下橋が架けられている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「うわ、結構怖いなこれ」

 橋のたもとまでカブを進めた渚の口元に、引きつった笑みが浮かぶ。欄干がないというのは、山道でいうところのガードレールがない状態に等しい。橋の幅は狭く、車とバイクならすれ違い可能かというところである。

「とりあえず渡ろうや」

 躊躇《ちゅうちょ》していた渚に、楓が前進を促す。

「やっぱ渡らなあかん?」

「男は度胸! 何でもためしてみるのさ」

(まあ姉貴も中身はおっさんやからな……)

 腹を括《くく》ってゆっくりと走り出した。舗装された道をまっすぐ走ることなど、運転に自信のない渚にとっても簡単なことだ――特殊な状況でなければ。

 意識しなければ難なくこなせるはずのことが、変に気にしてしまった途端いつもどおりにいかなくなる。誰しもそんな経験があるのではなかろうか。

「もうちょいスピード上げえや」

「いや、でもバランス崩したら鮎のエサやんか」

「は? 鮎は苔《こけ》を食べるんよ」

 ここで正論を持ち出されても困る。

 すれ違いのためか、途中で幅が広くなっているところがあった。前後を確認してからそこへ停車し、手早く写真を撮る。上流・下流ともに景色がよく見えた。

 日本最後の清流とも呼ばれる四万十川。少し顔を突き出して川面をのぞきこんでみる。青とも緑ともつかない深みのある色をたたえた川は、静かだが幾分速いペースで流れているように思えた。

「昨日雨降ってなければ、もっと綺麗やったんやろな」

「ああ、確かに」

 向こう岸へ渡ったところでUターンしたが、橋の中ほどまで進んだときに、前方からミニバンが向かってきた。慎重にブレーキをかけ、幅広のところへ停車する。すれ違いざまに運転手と会釈を交わしたのち、元の川岸へと帰還した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。