第三日 四万十・足摺岬 5/6
「なんやねんこの回想は!」
渚は意識を取り戻すと同時に、上体を起こして叫んだ。
「おう、何事や」
明後日の方向から声が聞こえたと思ったら、楓は少し離れたところに佇むお地蔵さんの前で手を合わせていた。簡潔に夢の内容を説明する。
「この辺りでちょろっと感動的な昔話を挟んでしかるべきやろ普通は!」
「いや、ウチらは普通ちゃうやん。そうセオリーどおりに行くわけないやろ」
「『ら』って何や『ら』って」
「複数形」
「そういうこと訊いとるんちゃうわ」
「まあええやん。そのあとアンタを家に連れ帰って、ちゃんと手当てしたったんやから」
「姉貴はおかんにしばき倒されてたけどな」
「思い出させんなや」
あろうことか楓はペットショップで仕入れた新たなグッピーを、主のいなくなった水槽に身代わりとして住まわせた。そのまま何食わぬ顔をしていたが、帰宅するなり看破した母に泣くまで怒られていたのだ。
また雨の中を走り出す。眠っていたのはほんの数分間だったはずだが、体力は確かに回復していた。また道路に何か落ちていても、今度は余裕を持って躱してみせる。
その後は順調に走って「めじかの里」に舞い戻り、丁重に礼を述べて財布を受け取った。冷えた手ですぐさま中身を確認する。
「金と、免許証と、マイナンバー……」
「あとはキャッシュカードとクレカあたりやな、全部あるか?」
「キャッシュカードはもともと持って来てへんから……うん、全部揃っとるわ」
「でもクレカはスキミングされとる可能性あるからな。一応手続きしといたほうがええで」
「なるほど……」
渚はカード会社へ一報を入れ、グーグルマップを開いた。ここまでは走った道を逆向きにたどっていたので景色も多少変わったものの、ここからは一時間前に見たものとまったく同じ光景を眺めなくてはならない。
「姉貴、ここにショートカットできそうな道あるけど……」
山の中を貫く県道を示す。
「ちょっと短縮できそう……か? まあ行ってみよ」
道の駅を出て、サニーロードからその県道へと折れる。だが間もなく、その選択が間違いだったことに気づかされた。路面はそれほど荒れていなかったものの、道幅が狭いうえに見通しも良くない。
結局321号よりも余分に時間がかかり、ようやく道の駅「すくも」を通過したときには二時間以上が経過していた。
厚い雨雲の下では太陽の位置が摑めず、視界が徐々に暗くなることで夜の到来を悟る。前の車のテールランプと対向車のヘッドライトが、その存在感を強めていく。
そろそろ体もカブも休めてやりたいところだが、今朝予約を取った宿は中村に位置している。まだそこそこの距離を走らねばならない。
宿毛市街を抜けた二人は、56号に乗り換え東を目指す。
「クッソ、さすがに見えにくいな!」
シールドに付いた雨粒が対向車のライトを乱反射して時折目が眩む。シールドを上げれば目に直接雨粒が当たり、これまた運転に差し支える。
視界が極端に悪い中、常に神経を張り詰めていなくてはならず、一度回復したはずの渚の気力は徐々に失われていった。
「しっかりせえよ! もうすぐやからな!」
「……っ!」
楓が声を張り、緩みかけた渚の意識に喝が入る。
「返事ぐらいせえや」
「応ッッッ!!!」
「やかましいわ!」
「どうせえ言うねん」
誠に不本意ではあるが、いつもと変わらないやり取りのおかげで、頭にかかり始めた靄が晴れていった。
気を持ち直した渚の目に、頭上の青い看板が映る。中村まで残り十キロを切っていた。
「しゃあっ! ラストスパートッ!」
「あっ、ちょっと停まるで」
さらに自らを鼓舞しようと声を上げた矢先、前を行く楓がウインカーを出した。
「何やねん、このまま宿まで一直線ちゃうんか」
「いや、飯のことすっかり忘れとった」
「は?」
渚は周囲の状況を確認する。二人が停まっていたのは、とあるラーメン屋の前だった。
「ああ、昼間言うとったとこか」
とんだ気合いの入れ損だ。
店の名前は豚次郎といった。みそカツラーメンというからには、ラーメンにカツがぶち込まれているのだろうか。さすがにそれは安直すぎるな、と思いながら店に入ると、まさにそのとおりのものがあるテーブルで湯気を立てているのが目に入った。
通された席に腰を下ろすと同時に、楓がメニューを広げる。
「んー、どうしよかな」
「みそカツラーメンちゃうの?」
「いや、何セットにしよかなって」
「俺は単品でええわ」
ラーメンとカツという重量級が並んでいるのに、そのうえ何か頼もうという気にはなれなかった。
注文を伝え窓の外を見遣る。外はすでに真っ暗で、時折通る車のライトだけが闇に浮かび上がっていた。
「あと五、六キロってとこか」
「ああ……今日はよう走ったな、誰かさんのおかげで」
意地の悪い笑みを口元に浮かべる楓。
「あれから思ったんやけどさ、北海道のとき姉貴は風邪引いて一日ロスしたやろ? それに比べたら俺は二時間だけやん」
「ちっ、気づいたか」
みそカツラーメン、および同チャーハンセットが運ばれてきた。
「おお……」
まさにみそカツラーメンという出で立ちだ。やはりカツが気になるところだが、ここはいつもどおりスープからいただこう。
(うん、みそラーメンのスープやわ)
やはり「みそ」というのはカツではなくラーメンにかかっている。厳密にいうならば「カツのせみそラーメン」であるわけだ。
続いてカツに箸を伸ばす。スープに浸かった部位とそうでない部位、両方を味わってみた。スープにカツを浸すことで、サックリとした食感が殺されてしまうのは確かだ。だが濃厚なスープを吸収したカツも、それはそれで悪くない。
カツとラーメン――それぞれ単体で十分な存在感を放つ料理を、あえてひとつの丼に盛るのは正解なのだろうか。
頭を悩ませつつ楓の様子をうかがうと、姉もどこか釈然としない表情をしていた。
「姉貴はどう思う?」
「ああ……一緒に食うべきか、別個に食うべきなんかってことやろ?」
改めて二口三口と味わった楓は一度箸を置き、居住まいを正して宣言した。
「個人の好み!」
「なるほど!」
やはり最終的にはそこに帰結するわけだ。




