第三日 四万十・足摺岬 2/6
少し距離を置いたところからティラノ(の脚)を飽きるまで眺めたのち、とある展示の前で楓の姿を見つけた。姉が熱心に見ていたのは、海洋堂の誕生について紹介するコーナーだった。
創業者である宮脇修は、あるとき自分で新たな商売を始めようと志したものの、うどん屋かプラモデル屋の二択をどうしても決めきれなかった。そこで決断を天に委ねようと、天井からひもで木刀を吊るし、ひもをハサミで切って東西に倒れたらうどん屋、南北に倒れたらプラモデル屋、ということにしたとか。
「えっ!? そんな決め方でよかったん?」
「それが今や……世界に名を轟かせるまでに成長しとるんよな」
まっこと運命とはわからないものである。
新たな発見と感動を手土産に、ホビー館をあとにした。
「なあ、この近くにかっぱ館ってあるみたいやけど……」
もらったパンフレットの裏面に小さな記述を見つけ、渚は報告した。
「かっぱか……別にウチかっぱ年ちゃうしな」
「姉貴の干支は四十八ぐらいあんのか?」
再度カッパを着込んだ二人は、細い県道を西へ抜け国道439号へ出た。ゆっくりと左折したところで楓が呟く。
「これがヨサクか……」
「ヨサクって、あのヨサク?」
渚にも聞き覚えがあった。
日本三大酷道として名高い439号だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
○国道439号
三重・和歌山間の425号、福井・岐阜・長野間の418号と並ぶ日本三大酷道のひとつ。
四国山地を横断し四万十市から徳島市までを結んでいる。
走りやすい区間は一部のみで、狭路・未舗装路・ガードレールなし・落石多発といった悪条件の道がほとんど。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ビクビクしつつスピードを控えて走っていたものの、狭路や急勾配、ガードレールのないポイントには行き合わない。はてさてと思っている間に人工物が増え、四万十市の中心であるところの中村へ着いてしまった。
「なんともなかったな?」
「むしろ県道よか走りやすかったわ」
目星をつけていた食堂へ立ち寄る。
「さあさあ、ついに四万十の鮎を味わえるわけやな」
鮎のテンプラ定食と鰹の塩タタキを注文した。
「あと半月もしたら鮎漁が解禁になるんやけどな」
「ああ、それまでは冷凍もんなんやろ? でも天然鮎には違いないわけやし」
四万十の鮎の漁期は、五月の中旬から十月、および十二月から一月と年に二度あるらしい。
やがて鮎が運ばれてくると、楓は「いただきます」もそこそこにかじりついた。
「なんちゅうもんを食わせてくれたんや……」
しみじみと味わい、芝居がかった調子で目を見開く。
「これに比べると牛さんの腸を揚げたもんはカスや」
「いや、比べるまでもなくそれはかすやろ」
かすとは油かすとも呼ばれ、牛の腸をじっくり揚げて余分な脂肪を抜いたものを指す。それをうどんに入れた「かすうどん」は大阪名物のひとつになっていたりする。
「ん、これはこれは……」
姉の戯言はともかく、冷凍ものとは思えないほどの味わいだった。肝のほろ苦さはあるものの、キュウリにも似た爽やかなか香りと、ふんわりした甘みが感じられる。鮎が「香魚」とも呼ばれていることを思い出した。
渚は鰹の塩タタキにも箸を伸ばす。
「鰹のタタキというのは、もともと鰹に塩を馴染ませるために掌でバチバチ叩いとったところから来てるんですわ。ちなみにタタキは本来塩で食べるもんで、よくあるポン酢醤油のタレは後発なんやな」
京極さん口調で語られる姉のウンチクをスルーし、渚は目と口を閉じて鰹を味わう。
「塩でいただくとな、これまた鰹本来の旨みがよりダイレクトに伝わって――」
鰹本来の旨みがより色濃く感じられた。
「――タレで食うときより香りも強調されるし、鮮度かてより重要になってくるんですわ」
初日に食べたタレのタタキよりも、鰹の香りが強く出ている。きっと鮮度も高――。
「先回りして俺の感想言うんやめろや! 黙って食え」
「何や先回りって……」
楓は唇を尖らせつつ鰹を口に運んだ。
鮎と塩タタキを堪能した姉弟は雨の中を走り出し、国道321号、通称サニーロードを南下した。足摺岬周辺は半島になっている。岬までは尾根伝いの道を突っ切るのが早そうだが、二人は海沿いを行くことにした。
木立に挟まれた細い道を抜け、足摺岬にたどり着いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
○足摺岬
太平洋を望む四国最南端――と思われがちだが、実は岬から西へ一キロほどの「長碆」というところのほうがわずかに南に位置している。
岬の突端は高さ八十メートルの海食崖。
付近にはジョン万次郎スポットが点在する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
駐車場へカブを停めて、雨で蒸れたヘルメットを脱ぎカッパのフードをかぶる。少し歩き、天狗の鼻という展望所へ赴いた。
一帯はちょっとしたリアス式になっており、いくつかの半島が櫛状に海へ伸びている。展望所の柵に身を預け、最も南へ張り出していると思われる突端にピントを合わせた。大海原に突き出した岬では絶えず波が弾け、荒々しく切り立った岩肌の上から白い灯台がにょっきりと頭を出している。
空は灰白色の雲に覆われ、海面は寒々しいねずみ色をたたえている。彼方に広がる水平線は雨でぼやけていた。
「ここは断崖なんやな」
「ああ、同じ端っこでも室戸とはえらい違いや」
室戸岬も山を背にしていたものの、少し歩くと波打ち際に出ることができた。
カッパをシャリシャリいわせながら遊歩道を進んでいると、奇妙なものを発見した。壁を取り払った犬小屋のようなものが道端に設けられており、その床にあたるところに細く小さな隙間が空いている。
「地獄の穴……?」
短い説明書きに目を通す。曰く、この穴に銭を落とすと、チリンチリンと音を立てながら落ちていく。穴はここからほど近い榛名福寺の本堂の下まで通じているとのこと。
楓は細かな水滴の付いた顎に手を添えながら言った。
「水琴窟みたいなもんか」
「何それ?」
「でかい瓶を地面に埋めるやん? そこへ水滴を落とすやん? 地中に埋まった瓶の中で水音が複雑に反響するやん? それを聴いてわびさびを感じるんよ」
「……それ楽しいん?」
「別に楽しくはないやろ。昔の金持ちの道楽よ」
そういった役に立たなそうな知識をどこから仕入れてくるのか。その一方で、誰もが知っているような芸能人を知らなかったりする。
やはりこの姉は理解できん、と思いつつも、渚は財布から十円玉を取り出した。耳を澄ませ、投入口であろう隙間に静かに入れる。
――チャリ、チャリン。
わずかに反響しつつ、十円は地の底へと落ちていった。
二人は顔を見合わせる。
「……これで終わり?」
「やろうな」
楓はダンと足を踏み鳴らし、不満を露わに叫んだ。
「分かったわ! これを作ったやつがどっかからウチらをのぞいてて、『今日もアホな観光客が金を穴へ投げ捨ててやんのwww』って嗤うのがコンセプトなんや!」
「邪推もはなはだしいわ!」




