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ガルディア公国とノルディア王国の国境線。地平線を埋め尽くすのは、公国軍が誇る重装魔導師団の冷徹な軍靴の響きであった。
吹き荒れる北風が雪を舞い上げ、視界を白く染める中、最新鋭の魔術砲台が不気味な鈍色の輝きを放ちながら、その砲口を静かに北へと向けている。
「回答期限まで、あと三時間」
国境守備隊の指揮官は、手元の軍用クロックを見やり、乾いた唇を舐めた。
彼の瞳には、平和への渇望ではなく、一刻も早く「先制の一撃」を叩き込みたいという、焦燥と全能感が混ざり合った危うい光が宿っていた。
対するノルディア側の防衛線は、見るも無惨なほどに無力であった。
かつて北の空を護っていた魔術塔は、あの日、無残な瓦礫の山へと変わり果てている。
国境の検問所に立つのは、泥にまみれた包帯を巻いたままの老兵と、体格に見合わぬ重い銃を抱えた少年兵たちだ。
そこには戦略も戦術も存在せず、ただ凍える身体を寄せ合い、南から迫り来る「巨大な槌」を前にした、むせ返るような絶望だけが並んでいた。
雪原を黒く埋め尽くすガルディアの進軍。
大型レーダーが発する、一定周期の不気味な電子音。
肌を刺すような極寒の空気と、軍靴が踏みしめる凍土の硬い感触。
均衡は、いまこの瞬間、誰の意志も介さぬまま決定的に崩れ去ろうとしていた。
ガルディア公国、宮殿作戦室。
張り詰めた静寂を、通信士の悲鳴のような絶叫が切り裂いた。
「報告! 最前線部隊、演習区域の限界線を突破! 独断で前進を開始しました!」
円卓を囲んでいた文官たちが顔色を失い、椅子を蹴るようにして立ち上がる。
「軍務卿殿! これは最終通告の回答前だぞ! 何の真似だッ!」
外務官が激高して詰め寄るが、軍務卿レグナード・ファルシオンは、窓の外 ── 黄金の結界の向こうに広がる首都の夜景を見つめたまま、微動だにしなかった。
「ただの『圧力』だ。ノルディアに、拒否という愚かな選択肢を与えないためのな」
彼の声には、低く響く地鳴りのような冷徹さが宿っていた。
彼は外交交渉の裏側で、着実に「戦争の既成事実化」という名の絞首刑の縄を編み進めていたのである。
その時、作戦室のモニター群が一斉に不気味な警告色 ── 真紅の点滅へと切り替わった。
「ノルディア側に動きあり! 高位魔力反応、広範囲で検知!」
レーダーが鼓膜を刺すような警報音を吐き出し、オペレーターの手が脂汗で滑る。
「特級魔軌士、五名! 国境最前線に集結しています!」
ヴァルグ、リューネ、グラフト、ザイロス、ミレイア。
かつてガルディアの防衛線を震撼させた「ノルディアの五本指」が、再びその姿を現したのだ。
「……好都合だ」
軍務卿レグナードが、口角を歪な形に吊り上げた。
「奴らが姿を現したという事実だけで、国民の支持は盤石となる。……これで、私の『正義』は完成した」
作戦室の隅、影の中に身を置くアレンは、漆黒の瞳を細めて、流れる報告を静かに処理していた。
彼は紺と銀を基調とした、意匠を同じくする軍服風のフルオーダー礼装の襟を無造作に正し、視界を埋め尽くすデータの嵐を見つめる。
情報の整合性が取れていない。この魔力反応は、戦うための布陣ではない。
特級魔軌士五人を一点に集中させるのは、抑止力としては余りにも露骨で非効率だ。まるで、「ここにいるぞ」と見せつけているかのようだ。これは誰かが意図的に用意した、最悪の舞台装置だ。
……理の不一致。人々の熱狂を煽り、一気に爆発させるための「導火線」が、いま目の前で引かれようとしている。
アレンは何も言わず、ただ静かに作戦室を後にした。
背後から、一人の文官が必死の形相で追いすがってくる。
「アレン殿……! 軍務卿の暴走が止まりません。陛下も、軍の勢いに完全に押されている……!」
文官の顔には、隠しきれない疲労と、迫り来る破滅への恐怖が色濃く刻まれていた。
「俺はただの傭兵だ。政治の舵取りに口を出す立場じゃない」
アレンは一九二センチの巨躯を翻し、冷淡なまでに淡々とした声で答える。
「分かっています……! しかし、国家最強の戦力として、あなたの言葉は、もはや一つの『法』に等しい重みを持っているのです!」
アレンは立ち止まらず、磨き上げられた廊下の石床に規則正しい軍靴の音を響かせながら歩き続けた。
窓から差し込む首都の照明の光が、彼の漆黒の礼装を冷たく照らし出している。
濁流のような情勢の渦が、この「理外の男」を、国家の運命を決する残酷な中心地へと引きずり込もうとしていた。
宮殿の奥深く、重厚な防魔扉に守られた公女王の執務室。
「……アレン殿。軍務卿を抑えるために、私は、どうすればよいのでしょう」
エリシア公女王は、アレンを迎えるなり、掠れた声で問いかけた。
彼女の華奢な肩は、一国の主としての重圧に耐えかね、冬の枯れ葉のように微かに震えている。
「……陛下が決断するしかありません」
アレンの声は、凪いだ湖面のように平坦で、冷徹なほどに中立であった。
「俺は、陛下の選んだ決断を支えるだけです。……その内容が何であれ」
公女王の揺れる青い瞳と、感情を削ぎ落としたアレンの黒い瞳が交錯する。
二人の間に、救いのないほど長く、重苦しい沈黙が流れた。
同時刻、国境。
ガルディアの若い兵士たちの指先は、冷気と緊張によって白く強張っていた。
対峙するノルディア側もまた、国民の怒りと「守るべき大地」への執着に突き動かされ、精神は限界まで張り詰めている。
「このままでは……偶発的な衝突が起きます……!」
魔術師団の末端から上げられた悲鳴のような警告は、戦功という名の熱狂に浮かされた上層部には、もう届くことはなかった。
戦争の火種は、誰の意志も介さず、自らの重圧に耐えかねて、いま、静かに発火しようとしていた。




