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ガルディア公国の首都ガルディアス。かつて「沈黙の調停者」と謳われたこの街を包む空気は、いまや研ぎ澄まされた抜き身の剣のような鋭利さと、凍てつくような冷徹さを帯びていた。
公国軍務局の最深部、魔術通信室。そこでは、数十基の通信コンソールが無機質な電子音を響かせ、壁一面に広がるホログラムディスプレイが、北方の国境線に展開する軍の陣容を刻一刻と映し出していた。
「……予定通り、ノルディア臨時政庁へ送信します。周波数を固定、暗号化シグナルを確認」
通信士の指先が、滑らかな電子基板の上で踊る。次の瞬間、一通の極秘公文書が、光の速度で国境を越えて北へと放たれた。
『これは、第一次通告に対する最終通告である』
冒頭に記されたその一文は、外交文書という名の宣戦布告に他ならなかった。
内容は、一切の妥協を排した苛烈なものだ。
* 一方的な宣戦布告および無差別攻撃に対する、天文学的な額の金銭賠償。
* 支払不能な場合、国家の生命線である「北部鉱山地帯」の永久譲渡。
* 回答期限は、本日この時より、正確に七日間。
「……送ったか」
軍務卿レグナード・ファルシオンが、重厚な軍靴の音を石床に響かせながら、漆黒のコンソールを見つめて呟いた。
期限の七日間。それは、レオニール新国王に熟考の時間を与えるための慈悲ではない。ガルディア公国軍がいつでも国境を越え、蹂躙を開始するための「最終開戦準備」に要する時間に他ならなかった。
同時刻、軍務局の特別観測室。
お揃いの、紺と銀を基調とした軍服風の魔術礼装を纏ったアレン、リィナ、セリスの三人は、無言でディスプレイに流れるデータを追っていた。
アレンは一九二センチの長身を壁に預け、漆黒の瞳を細めて、通信室に渦巻く人々の感情を観測していた。
室内の魔力波長が、熱狂的な高揚感に包まれている。それは正義感というよりも、一度「力」を振るうことを覚えた者の、抑制の効かない全能感に近い。
軍務卿は確信犯だ。回答期限の七日間を使って、撤退どころか前線への増援と電力網の要塞直結を加速させている。拒否されることを前提とした、武力行使への既成事実化だ。
……理が、急速に歪んでいる。ガルディアという盾が、自ら巨大な槌に作り替えられていく。
隣に立つセリスは、紺色のジャケットの飾緒を無意識に指先で弄りながら、青い瞳に焦燥を滲ませていた。
青白く発光するホログラム。その光に照らされた、同僚たちの血走った瞳。
絶え間なく鳴り響く、通信機器の作動音と軍人の怒号。
空調で管理されているはずなのに、肌に纏わりつくような、不気味な熱気。
これが、私の守りたかった公国の姿なの……? 誇り高き戦士の国が、ただの略奪者に成り下がろうとしている気がしてならない。
「アレン様……。空気が、とても苦しいですわ」
リィナが銀髪を夜風に揺らし、アレンの袖を不安げに握りしめた。彼女の思考読解は、この場にいる者たちの「敵を叩き潰したい」という剥き出しの殺意を敏感に拾い上げ、その心に深い影を落としていた。
外務局の作戦室。老練な外交官たちは、青ざめた顔でモニターを注視し、震える手で眼鏡を直していた。
「これで、ノルディアの出方が決まる。……いや、我々が引導を渡したのだ」
外務卿の声は、墓穴を掘る男のように力なく掠れていた。
しかし、その場に現れた軍務卿レグナードの表情には、微塵の迷いもなかった。
「拒否すれば、ただ動くだけのことだ。国民もそれを熱烈に望んでいる」
国民の九割が「先制的自衛行動」を支持したという事実は、もはや軍部にとって最強の免罪符となっていた。平和を愛していたはずの市民たちが、今や広場で「敵を叩け」と声を上げ、拳を振り上げている。その狂熱が、政府を、そして公女王を強硬策へと押し流していた。
「陛下。……もう、後戻りはできません」
軍務卿が、玉座に座るエリシアへ向かって、静かに、だが逃げ場を塞ぐように告げた。
エリシアは何も答えなかった。
ただ、その白く細い指先が、玉座の肘掛けをきつく握りしめ、爪が白く染まっている。公女王の沈黙を肯定と受け取った軍務卿は、冷徹に一蹴した。
「ガルディアは、もはや待つだけの国ではないのです」
この瞬間、ガルディア公国は完全に「強硬国家」としての振る舞いを選んだ。かつての穏やかな公国は、恐怖と怒りを燃料にして、巨大な戦争機械へとその本質を変質させたのである。
一方、ノルディア王都、ノルドヘイム。
「拒否すれば、ガルディアは間違いなく動きます。あの国は、もう我々を救う気などない」
ノルディア王国宰相の掠れた声が、瓦礫の残る会議室に重く反響した。窓代わりの厚いビニールシートが北風に煽られ、バタバタと不気味な音を立てている。
新国王レオニール・ノルディアは、予備の蓄電池で細々と灯された卓上の地図を、血の気の引いた顔で見つめていた。 そこには、賠償の代わりとして要求された北部鉱山地帯が、侵略の赤色で無慈悲に塗りつぶされている。
「……それでも、あそこを渡すわけにはいかない」
レオニールの声は、消え入りそうなほど細かった。
鉱山地帯は、ノルディアに残された最後の、そして唯一の生命線だ。そこを失えば、再建のための電力資源は永遠に絶たれ、国家としての「死」が確定する。
「拒否の回答を。……我々には、もう譲れる地平など、どこにも残っていないのだから」
王宮を囲む鉄柵の外では、飢えた国民の怒号が猛吹雪のように吹き荒れていた。
僅かに繋がるアーク・リンクの画面には、ガルディアを「強欲な侵略者」と罵る言葉が溢れかえり、人々の理性を焼き尽くしている。
「拒否しろ!」「誇りを売り渡すな!」「凍死する前に、戦って死なせろ!」
煽動された民衆の熱狂が、王宮の冷え切った壁を絶え間なく震わせる。もはや、政府は世論という名の濁流に押し流され、立ち止まることすら許されなかった。
宰相は、かじかんだ指先で公式回答の文書を作成した。
インクが染み込む一文字一文字が、国家の絶望を書き連ねているかのようだった。
「……これで、決定ですな」
「ああ……」
レオニールは静かに頷き、瞳を閉じた。
ノルディア王国は、自らの誇りと引き換えに、二度と引き返せぬ、確実な“滅びの道”を自ら選んだのである。




