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ノルディア王国の王都ノルドヘイムが自壊の炎に包まれ、北の空に立ち昇った黒煙がようやく薄れ始めた頃、ガルディア公国はその動乱の「終わり」を書類上で定義しようとしていた。 宣戦布告なき強襲から始まったこの戦いは、十三日目にして、ようやく「終戦」という名の形骸化した区切りを迎えようとしていたのである。
公国宮殿の深部に位置する軍務局大議場では、重厚なオーク材の扉が、外の世界の喧騒を断ち切るように冷徹な重低音を立てて閉じられた。 部屋を支配しているのは、窓の外から押し寄せる「国民の怒り」という名の目に見えない重圧と、解析装置が吐き出し続ける無機質な機械音の唸りだけだった。
(……平和、という言葉の響きが、これほどまでに虚しく聞こえる日が来るとは……)
公女王エリシアは、手元に置かれた絹のハンカチを指先で弄りながら、窓の外 ── 黄金の結界に守られながらも、見えない恐怖に怯え続ける首都の街並みを悲痛な想いで見つめていた。
円卓の中央では、数時間前に到着したばかりの一通の通信文が、青白いホログラムとして投影されている。
「……宣戦から十三日。ノルディアの新国王レオニールより、正式な停戦合意書、および謝罪の親書が届きました」
軍務卿レグナード・ファルシオンが、重厚な軍装を軋ませながら、その低い声を議場に響かせた。
彼の背後にあるモニターには、いまだ国境地帯で不気味なノイズを吐き出し続ける魔力探知レーダーが、臨戦態勢を解かぬままの赤い輝点を無数に映し出していた。 「終わった」のではない、「止まっている」だけだ。その残酷な事実が、出席者たちの肌を刺すような緊張感として室温を数度下げていた。
「陛下。形式上の終戦宣言など、今の国民は何ら求めておりません」
軍務卿レグナードは、鋭い眼光を公女王へと向け、逃げ場を塞ぐように一歩踏み出した。
「ノルディアが一方的に仕掛け、我が国の地方都市の電力網を蹂躙し、民を凍えさせた事実は、たかだか一通の紙切れで消えるものではないのです。……相応の賠償は当然。もし払えぬと言うのであれば、相応の領土を割譲させるべきです」
「領土の割譲……。それは、さらなる憎しみの火種を蒔くことにはなりませんか?」
エリシアの問いに、軍務卿は冷酷な笑みを浮かべて言い放った。
「国民の九割が『先制攻撃』を支持したのです。今さら甘い顔を見せれば、公室への不信は暴動へと繋がり、この国は内側から崩壊しますぞ」
かつて大陸の「調停者」として誇り高い中立を保っていたガルディアの国家方針が、急速に、そして不可逆的な「強硬化」という深淵へと傾き始めていた。
議場の隅、影の中に身を置くアレンは、漆黒の瞳を細めてその議論を観測していた。
空気が濁っている。議論の正当性ではなく、恐怖を隠れ蓑にした「強欲」が魔力波長に混ざり始めているのを感じる。
ノルディアが物理的に死に体となった今、ガルディアの軍部は「自衛」を名目に「権益」の確保へとシフトした。彼らにとって、この会議は平和の構築ではなく、敗者からの剥ぎ取り作業となっている。
……理の変質。攻められない国が、攻めるための理由を必死に捏造している。……醜いな、人間は。
「現実を見ましょう、閣下」
財務を司る文官が、震える手で数十枚に及ぶ損害報告書を円卓に広げた。
「ノルディアには、もはや支払い能力など皆無です。王都の照明さえ消え去り、魔力インフラが死に絶えた廃墟の国に、金銭的な賠償を求めるのは……乾いた石から血を絞るより困難と言わざるを得ません」
「金がない、ならばどう責任を取らせるつもりだ!」
軍務卿の怒号が、大議場の高い天井に反響した。 卓を叩く音に、傍らに控えていた若い書記官が肩を跳ねさせる。
「……彼らには、もはや差し出せる資産がないのです。復興の目処さえ立たない現状、金銭賠償の請求は、空に向かって吠えるようなものに過ぎません」
平行線を辿る議論を断ち切るように、軍務卿が卓上の地図を、指先で激しく叩き示した。
そこはノルディア北部に位置する、広大な「鉱山地帯」であった。
「ならば、ここを頂く。ノルディアの生命線である魔石鉱山だ。我が国の資源の安定確保と、地方の復興予算の補填として、ここをガルディアの永久管理下に置く」
「それは、実質的な領土併合です!」
文官が声を荒らげるが、軍務卿はそれを鼻で笑った。
「国民は納得しますよ。敵の資源で、我が民の生活を立て直す。これ以上の『正義』がどこにありますかな?」
国民の支持という最強の免罪符を盾に、軍部は強引に議論の色を塗り替えていく。 もはや、この議場で正論を吐く者は一人もいなかった。
(私は……この国を、どこへ導こうとしているの……?)
エリシアは、白く細い指を白くなるほどきつく組み、深く俯いた。
しかし、数瞬の沈黙の後、再び顔を上げた彼女の青い瞳には、迷いを強引に塗り潰すような、冷徹なまでの覚悟の光が宿っていた。 それは、彼女が最も忌み嫌っていた「力による統治」への、決定的な一歩であった。
「……分かりました。ガルディアはノルディアに対し、戦後賠償の代わりとして、北部鉱山地帯の永久割譲を正式に要求します」
エリシアの宣告が響いた瞬間、議場には割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
「ガルディアに栄光を!」「陛下万歳!」
狂熱的な歓喜の裏で、かつての穏やかな公国は、その魂を失った。
恐怖と怒りを燃料にして動き出したガルディア公国は、今、大陸で最も危険な「強硬国家」へと、その姿を変貌させたのである。




