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ガルディア公国の首都ガルディアス、その一角に建つ最高級魔術衣専門店「ガルネリア本店」。重厚な装飾が施された全面鏡の前に、紺と銀を基調とした、意匠を同じくする軍服風のフルオーダー礼装を纏った三人が並んでいた。
アレンは、自身の肩幅に寸分違わず仕立てられた、深い紺色のジャケットの襟を無造作に正した。
一九二センチという圧倒的な長身。無駄な脂肪を削ぎ落としたしなやかな筋肉の上に、銀の刺繍が施された魔力織布が、吸い付くように馴染んでいる。鏡の中に映る自分は、かつて故国で「亜連」として生きていた頃には想像もつかなかった、異質な「武の象徴」としての輝きを放っていた。
隣では、リィナが銀髪をさらさらと靡かせ、アレンと同じ紺と銀の配色で作られた、可憐ながらも凛々しい軍服風の魔術礼装に身を包んでいた。彼女の周囲には、無意識に漏れ出す光属性の魔力が微かな燐光となって漂い、ジャケットに施された銀の縁取りを柔らかく反射している。
そして、同じく紺の生地に銀の飾緒をあしらった礼装を、非の打ち所なく着こなしたセリス。青い瞳に不退転の意志を宿した彼女は、アレン、リィナと「お揃い」の装いとなることで、三人が公国の「象徴」であることを無言のうちに誇示していた。
本来ならば、この最高級の揃いの衣装に心を躍らせ、絆を再確認すべき朝だった。
しかし、三人の間に横たわっているのは、冬の朝の霧よりも冷たく、重い沈黙だった。
「……似合っているな、二人とも」
アレンが短く言葉をかけると、リィナとセリスは視線を伏せたまま、小さく頷くだけだった。
店の大きな窓の外には、勝利を祝うはずの首都ガルディアスの街並みが広がっている。だが、そこにはいまだ軍の警戒灯が淡く明滅し、目に見えない不穏な影が、市民の安堵を塗りつぶしていた。戦争の余波は、物理的な破壊以上に、彼らの内なる価値観を深く、執拗に侵食し始めていたのである。
ヴァルシオン・ホテルの最上階、魔軌士専用スイート。防魔結界が張り巡らされた静寂な執務室で、アレンは独り、窓の外の夜景を見つめていた。
窓の向こうで輝く首都の照明の海。だが、アレンの視界には、その光の下で蠢く「恐怖」という名の黒い魔力の澱みが見えていた。国民が自ら「盾」を捨て「剣」を求めた熱狂。それは世界樹の理を整える澄んだ旋律ではなく、破滅へ向かう不協和音として彼の鼓膜を刺した。
故国で受けてきた二十年間の「専守防衛」の教育。それは攻めないことこそが美徳であり、平和への唯一の道であると説いていた。だが、この世界の現実はその理想を「無力」という言葉で嘲笑った。ガルディアが「撃たれてから動く」という誇りを守った代償は、地方都市の崩壊と、救えないはずではなかった人々の悲鳴だった。
ノルディアは攻撃拠点をあえて自国の都市部に置いた。ガルディアが「攻めてこない」と確信していたからだ。善意を逆手に取った悪意を前にして、なおも「攻めない」という美徳を貫くことは、本当に守護者の成すべきことなのか。
(撃たれているのに、撃ち返せない。……それを『正義』と呼んでいいのか?)
故国の清潔な理想と、この世界の血生臭い現実。二つの価値観が、アレンの胸中で火花を散らして激突していた。先制的自衛行動という「悪」を選ばなければ救えない命がある。それを理解しながらも、自らが積み上げてきた「理」が崩れていく感覚に、アレンは名状しがたい吐き気を覚えていた。
「アレン様。……悲しんでおられるのですね」
背後から、衣擦れの音と共にリィナがそっと寄り添った。彼女の固有能力である思考読解が、アレンの心の奥底に沈殿する濁った葛藤を、敏感に、そして優しく掬い取っていた。
リィナはガルディア公国の辺境の村で生まれ、家族を失い、孤独の中にいた。
自らのルーツを求め、エルフの故郷であるアルヴェリア王国へと移住したのは、わずか一年前のことだ。
精霊と共生するアルヴェリアでの生活は、彼女の傷ついた心を癒やし、争いを忌避する穏やかな価値観を育んでいた。
だが、アレンの背中に添えられた彼女の瞳に、揺らぎはなかった。
「私はガルディアで生まれ、アルヴェリアで大切なことを学びました。……どちらの国も、争いは悲しみしか生まないことを知っています。私も、人を攻撃するのは好きではありません」
リィナは静かに、けれどアレンの芯を撃ち抜くような決然とした声で続けた。
「でも……私は、アレン様を守るためなら、たとえ世界樹の精霊に背いても、世界を敵に回しても戦います。アレン様がどんな答えを選んでも、私はそれを否定しません。アレン様の心そのものが、私の正義ですから」
彼女は自身の価値観を押し付けようとはしない。ただ、アレンの苦悩ごと包み込むような、静かな湖のような慈愛で彼を支えていた。自分自身の「居場所」をアレンという存在に定めた彼女にとって、世界の正義など、二の次でしかなかった。
セリスは、部屋の隅で魔術礼装の革手袋をきつく締め直し、自嘲気味に口角を上げた。
「……笑えるわね。あんなに専守防衛の誇りを、戦士の矜持だと説いていた私が、今、こんなに揺れているなんて」
ヴァレンティア辺境伯家の令嬢として、彼女はガルディア公国の思想そのものを体現する存在だった。血筋に刻まれてきた「攻めないことこそ高貴なる者の務め」という教えは、彼女の骨の一部にさえなっていた。
だが、今回の魔力衝撃波による被害は、彼女の故郷である辺境伯領をも無慈悲に襲った。機能不全に陥った街、電気を失い震える領民、そして「魔力酔い」で倒れ伏す人々。それらを目の当たりにした瞬間、彼女の中で誇りは音を立てて砕け散った。
「撃たれているのに撃ち返せない。それで『守っている』なんて、ただの無力よ。……嘘だったのよ、そんな誇りは」
セリスは金髪を乱暴にかき上げ、アレンを真っ直ぐに見据えた。その瞳には、隠しきれない情動と、新たな自分を見つけようとする焦燥が混在している。
「アレン様、あなたが悩んでいるのを見て……私も気づかされたわ。私も、揺れている。……あなたの存在が、私の信じてきた、都合の良い世界を壊そうとしているのよ」
貴族としての責務、戦士としての現実。彼女もまた、アレンという「理外の存在」と衝突することで、自らのアイデンティティを根底から再構築する痛みに耐えていた。
三人は、同じ地獄のような戦場を見た。
お揃いの「軍服」を纏い、同じガルディアの夜景を眺めている。
しかし、その心が見つめている方向は、三者三様に食い違っていた。
故国の理想とエルディアの現実の間で立ち止まるアレン。
アレンへの愛を唯一の北極星として、迷いなく進むリィナ。
誇りと現実の狭間で、自らの殻を破りもがくセリス。
「……悪い。まだ、はっきりとした答えは出せそうにない」
アレンが、肺の底から搾り出すように呟いた。その声は、かつて数万の敵を前にした時よりも微かに震えていた。
「はい、アレン様。ゆっくりで、いいのです。私が、ずっと側にいますから」
リィナがその大きな手を、両手で優しく包み込むように握った。
「悩むのは、あなたが優しいからよ。……悪いことじゃないわ。私も、一緒に悩んであげる」
セリスも不器用な笑みを浮かべ、アレンの背中に己の背中を預けた。
戦争は終わった。だが、彼らの魂の奥底で燻り続ける「本当の戦い」は、今、始まったばかりだった。




