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ノルディア王都が魔力の奔流に呑まれ、自壊の灰に消えてから数日。ガルディア公国に訪れたのは、勝利を祝う歓喜の凱歌ではなく、国家という巨大な構造体が足元から音を立てて軋み、崩れゆくような不吉な前兆であった。
公国北部、国境にほど近い地方都市の広場。かつては夜通し輝き、人々の生活を鮮やかに照らしていた電気照明は、魔力衝撃波の余波によって送電網が寸断されたまま沈黙を続けている。わずかに灯された非常用の魔導灯が、割れた窓ガラスの破片が散らばる石畳を不気味に照らし、人々の顔に深い絶望の影を落としていた。
「……正統政府だと? ふざけるな、片腹痛いわ!」
一人の男が、手元でノイズを走らせるアーク・リンクの画面を、呪詛を吐き捨てるように睨みつけた。
画面の向こうでは、瓦礫の山となったノルディアで、若き王レオニールが「国家の再建」を謳っている。その平穏を装ったニュースが、暖房も失い、凍える暗闇の中で耐え忍ぶ地方の民にとって、この上ない屈辱として響いた。
「あいつら、自分たちの仕掛けた爆発で勝手に自滅しておいて、まだ国ごっこを続けるつもりか! またあの光の槍を、今度は俺たちの頭上に撃ち込むために準備しているに決まっている!」
「政府の声明など聞き飽きた! 地方はまだ電気暖房さえ復旧せず、子供たちが寒さで震えているんだぞ! 首都の連中は、俺たちを見殺しにして凍死させる気か!」
「結局のところ、あの黄金の結界は選民のための壁だったというわけだ。自分たちだけが安全な殻の中に閉じこもり、地方の民が泥水を啜るのを高みの見物か! そうだろう、エリシア陛下!」
住民たちの怒りは、もはや一時的な不満という沸点を超え、制御不能な破壊の衝動を孕んだ「政治的要求」へとその姿を変えていった。緊急招集された地方議会の議場は、罵声と怒号が飛び交う戦場と化している。壇上に立った地方議員が、血走った瞳で拳を突き出し、政府の無策を激しく糾弾した。
「我々はもはや、宮殿の言葉を信じることはできない! 独自の防衛網を構築すべきだ! 首都の結界の余り物ではなく、最新鋭の迎撃魔術砲を、優先的に地方へと配備しろ!」
「首都で無駄遣いされている電力を、今すぐこっちへ回せ! 我々地方の犠牲の上に成り立つ豊かさなど、今この瞬間に返上してもらう!」
かつてはガルディア公国の誇りであり、守護の象徴であった「黄金の膜」の輝きは、今や地方の民にとって、自分たちを疎外する「特権階級の盾」として、激しい憎悪の対象へと成り下がっていたのである。
同時刻、ガルディア宮殿。公女王エリシアを囲む緊急会議室の空気は、外の寒波よりも冷たく、重苦しい沈黙が支配していた。
「ノルディアの新国王レオニールが即位しましたが、実態は宰相による独裁体制です。……彼らが保有していた軍事情報の多くは瓦礫の下に埋もれ、現在の戦力は未知数。ですが、復讐に燃える過激派が軍の残党を組織化し始めているとの報告もあります」
情報局長セルヴェン・マリクレアが、ノイズの混じるホログラムを操作しながら、冷徹なまでに淡々とした声で分析を告げる。
「ノルディアは事実上の崩壊国家だ。奴らが息を吹き返し、再び牙を剥く前に、今のうちに国境を完全に封鎖し、不穏な動きがあれば先制して叩き潰すべきだ」
軍務卿レグナード・ファルシオンが、重厚な軍靴の音を議場に響かせ、強硬な進言を叩きつけた。
「何を言っている! 地方の不満が臨界点に達しているのが分からないのか! 国境に軍を割く余裕があるなら、まず地方のインフラ復旧に人員を回せ! このままでは、ノルディアに撃たれる前に、我が国が内側から爆発するぞ!」
内務卿が顔を真っ赤にして食ってかかり、議論は平行線のまま、理性なき罵り合いへと堕していく。
エリシアは、激論を交わす重鎮たちの醜態を静かに見つめながら、その華奢な指先を組んで胸の内で呟いた。
(……国が、私の知らないところで割れようとしている。正しさとは、これほどまでに脆いものだったのでしょうか……)
その重苦しい沈黙を、力ずくで引き裂いたのは軍務卿の独断であった。
「ノルディアが『正統』を名乗り、再建を宣言した以上、再び脅威となるのはもはや自明の理。陛下の裁可を待つ時間は惜しい。……全軍、国境警備強化の特例命令を下す」
エリシアが制止の声を上げるよりも早く、その命令は軍の指揮系統を駆け抜けた。国境地帯には魔術師団が次々と送り込まれ、平穏だった地方都市には、迷彩色のテントを張った軍の「臨時司令部」が雨後の筍のように設置されていく。
「軍が来たぞ! やっと政府も俺たちを守る気になったか!」
当初こそ歓迎の声を上げた住民たちも、すぐにその「守り」の正体に気づき、戦慄することになる。
「……いや、違う。この大砲の向きを見てみろ。これは外の敵を狙っているんじゃない。……俺たちの動きを監視しているんだ」
軍部の独走は、地方の不信感という名の傷口に、さらなる塩を塗り込んだ。そしてついに、修復不可能な決定的な破綻が訪れる。
「首都政府には、もはや地方を守る意思も、分断を収める能力も欠如している!」
地方議会の議長が、震える手で一通の書状を突きつけた。それは歴史上、公国が一度も経験したことのない正式な「政府不信決議」であった。法的拘束力こそないものの、それは政治的な宣戦布告と同義であった。
「地方が……王宮に、陛下に反旗を翻し始めたというのか……」
青ざめる官僚たちを背に、エリシアは深夜の執務室で一人、静まり返った首都の夜景を見つめていた。その瞳には、一国の主としての孤独と、制御できない現実への困惑が滲んでいる。
「私は、本当にこの国を、民を守れているのでしょうか……」
そこへ、情報局長がノックも待たずに顔色を変えて駆け込んできた。
「陛下……! さらなる緊急事態です。ノルディア国内で、広範囲の魔力汚染による奇病と飢餓が発生。それに耐えかねた難民たちが、大量に発生しています!」
「……難民ですって?」
「数万、いえ、最新の偵察では数十万の規模に達しています。彼らは今、飢えた獣のように、生きる場所を求めてガルディア国境へと殺到しています!」
エリシアの指先が、目に見えて震えた。
「……地方の怒りが、さらに燃え上るわね」
「難民など絶対に入れるな! 俺たちの食料さえ足りないというのに、余所者を養う余裕などあるか!」
「軍は何をしている! 国境に並んで、一歩でも踏み込んできたら容赦なく追い返せ!」
地方の広場に響く怒号は、もはや理性の皮を脱ぎ捨て、剥き出しの暴力の気配を帯び始めていた。
「人道支援という理想」を捨てきれない首都と、「力による完全封鎖」を強行しようとする軍部。
そして「自分たちの生存権」のために狂奔する地方。
ガルディア公国。外敵との過酷な戦争を乗り越えたはずのその地は、今、自らが作り出した「内乱」という名の深い深淵へと、一歩ずつ、しかし確実な足取りで沈み込んでいくのであった。




