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朝食を終えた後、リィナは森へ薬草採取に向かう準備を整えていた。その背中に、アレンが静かに声をかける。
「俺も行くよ。いつまでも家でじっとしているわけにもいかないしな」
「本当ですか? 助かります、アレンさん。……でも、無理はしないでくださいね」
リィナは花が綻ぶような喜びを瞳に宿して微笑んだ。
二人は世界樹の町を抜け、手つかずの豊かな緑が広がる森の入口へと足を踏み入れた。
エルディアの空気は驚くほど澄み渡り、大気中に雪のように静かに漂う魔力の粒子が、アレンの肌を心地よい静電気のような微かな痺れで刺激する。
「アレンさん、ついでに……少し魔術の練習もしてみませんか?」
森の少し開けた場所で、リィナが足を止め、講師役としてアレンの前に立った。
彼女の表情から先ほどまでの穏やかさが消え、一人の「魔軌士」としての、凛とした厳格さが宿る。
「現代魔術は、無属性の魔力を六属性のいずれかへ変える『属性変換』と、それを具体的な事象として形にする『魔術式』の構築が基本です」
リィナは掌を空へかざし、静かに意識を集中させた。
彼女の喉から、鈴の音を転がしたような、短くも複雑な音節の「詠唱」が紡がれる。
刹那、彼女の周囲に淡い水の波紋が広がり、掌の上に直径十センチメートルほどの、透き通った美しい水球が形成された。
「まずは属性のイメージを固めて、魔力の流れを一本の糸のように制御します。……はい、やってみてください」
アレンはリィナの手元を無言で見つめ、思考を巡らせた。
属性。イメージ。魔力の流れ。
だが、覚醒を遂げた彼の「理外の視界」には、リィナが必死に構築した精密な魔術式が、ひどく回りくどく、余計なノイズにまみれた不純物にしか感じられなかった。
(……式なんていらない。ただ、そこに『在れ』と願えばいいんじゃないのか?)
アレンは詠唱もせず、ただ軽く手を振った。
刹那。
──ボシュッ!!
耳を劈くような爆音と共に、リィナが作った水球の数倍……いや、数十倍はあろうかという巨大な水の塊が、虚空から奔流となって溢れ出した。
質量を持った暴力的な水は周囲の草木を容赦なく叩き伏せ、アレンの足元を一瞬にして泥濘の池へと変える。
「……うわぁっ!?」
リィナが素っ頓狂な声を上げて数メートル後ろへ飛び退いた。
彼女は濡れた旅装を気にすることもなく、ただ信じられない怪物を見るかのような眼差しで、アレンと足元の巨大な水溜まりを交互に凝視する。
「えっ……すごい……。一瞬で、これだけの質量を……? ……アレンさん。今、詠唱……しましたか?」
「え? 普通は詠唱するのか?」
「当たり前です! 詠唱なしで、しかも魔力炉を介さず直接属性を変換し、術式を固定するなんて……現代魔術の理論では、物理法則を無視するのと同義です!」
そこから半日間、本来の目的であった薬草採取は、完全に「アレンの実験場」へと化した。
リィナが困惑しながらも手本を見せるたびに、アレンはそれを独自の、そして理外の解釈で「再現」していく。
リィナが火の魔術を見せれば、アレンはそれを熱という不確定な形ではなく、指向性を持った純粋な「光」として収束させた。
アレンがわずかに動くだけで、指先から放たれた直径一センチメートルの《光束魔術》が、音もなく数十メートル先の大木を貫通し、その背後の岩盤にまで風穴を開ける。
リィナが風の魔術で下草を刈れば、アレンはそれを数万の不可視の刃、あるいは《光刃魔術》として形成。
見えない速度で空を薙いだ光の刃は、周囲の太い木々をバターのように滑らかに切り裂き、時間差を置いて周囲の巨木が次々と倒壊する地響きを響かせた。
極めつけは、リィナが土の魔術を教えようとした時だった。
アレンが「消えろ」と念じて視線を向けた場所の地面が、魔術式そのものを根源から破壊する《魔術消去》の余波を受け、物理的な構造さえ否定されたように、音もなく陥没して消滅したのだ。
リィナは震える声で、その光景をただ呆然と見つめていた。
「……あれ、どうやってるんですか……? レーザー、なんですか? 速すぎますし、意思を持っているみたいに曲がって追尾してる……」
「なんとなく、こう……動かせるからな」
アレンの「なんとなく」は、生涯をかけて魔術式を研鑽する現代の魔術師にとって、絶望に等しい断絶だった。
さらにリィナを驚愕させたのは、アレンの攻撃が、彼女が大木を護るために展開していた世界最高峰の防御魔術《三重魔導護膜》を、完全に無視したことだった。
「私のバリアを……貫通して、大木に穴が開くなんて……。普通はバリアが割れるか、反動で弾かれるはずなのに……。ただ『存在しないもの』のように素通りするなんて、意味が分かりません……!」
リィナが横を見れば、そこには無残に切断され、穴だらけになった大木の屍が転がっている。
そして、彼女が最も戦慄したのは、その後の事実だった。
「……アレンさん。これだけ無茶苦茶な、軍事兵器並みの魔術を連発したのに……魔力、全然減ってないですよね?」
アレンは自身の胸、ルミナという温かな「核」が脈打つ場所に手を当てた。
全身の回路を流れる膨大なエネルギーは、まるで底知れない深海のように満ち満ちたまま、微動だにしていない。
「……ああ。疲れた感じは、全くないな」
リィナは確信した。
目の前の男が振るう力は、セラフィナが遺し、人類が千七百年かけて積み上げてきた「現代魔術」の体系には、決して収まらない。
それは世界の理そのものを上書きし、新たな法則を強制する、神話の再来とも言うべき異質な力だ。
「アレンさんは……本当に……『選ばれた人』なんですね」
リィナの淡い青色の瞳には、言いようのない畏怖と、それを遥かに上回る深い、祈りにも似た敬愛が宿っていた。
アレンは自身の、岩のように大きな掌を見つめ、どこか自嘲気味に苦笑いを浮かべる。
「……俺、普通じゃないんだな」
その圧倒的な「強さ」への自覚と共に、アレンの胸の奥には、正体不明の重苦しい不安が、静かに、しかし確実に波紋を広げていた。




