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森での「実験」を終えたアレンとリィナは、空が薄紫から濃い茜色へと溶けゆく黄昏時、世界樹の町へと戻った。
森を一歩踏み出した瞬間、アレンの視界に飛び込んできたのは、彼が抱いていた「異世界」の泥臭いイメージを根底から覆す、あまりに洗練された都市の情景だった。
「……ここ、本当に異世界なのか?」
アレンは思わず足を止め、独り言を漏らした。
視界の先には、完璧に舗装された滑らかなアスファルト風の道路が地平まで続き、その両脇には白壁が美しい整然とした住宅街がどこまでも並んでいる。上水も下水も完備されているのであろう、街角には不快な臭気一つ漂っておらず、代わりにどこか清涼な、電子回路を流れるオゾンのような香りが大気に混じっていた。
街灯には魔導式の照明が灯り始め、夕暮れの街を柔らかな黄金の輝きで包み込んでいる。行き交う人々は、アレンの故国で見慣れたスマートフォンに酷似した薄く透明な端末――「アーク・リンク」を自在に操り、背後では「無人タクシー」が風を切る音もなく滑らかに通り過ぎていく。
(中世ヨーロッパ風の街並みを想像していたんだが……生活インフラは非のうちどころがない。下手をしたら、元の世界より進んでいるんじゃないか?)
アレンは「理外の視界」を研ぎ澄ませ、周囲を観察した。
彼独自の視覚には、街を走る電線や地下の配管を巡る膨大なエネルギーの奔流が、淡く青白い光の糸となって編み目のように見えていた。世界そのものが巨大で精密な術式の上で成立している。その圧倒的な文明の完成度に、アレンは内心で驚愕を禁じ得なかった。
「アレンさん、ちょっと寄りたいところがあるんです」
リィナに促されて入った建物は、アレンの現実感をさらに削り取った。
そこは、吹き抜けの広大な空間に数多の店舗がひしめき、空中にはホログラムの広告が踊る、モール型の巨大なショッピングセンターだった。
「……そのまんま、ショッピングモールじゃねぇか」
「アレンさん? 何かおっしゃいましたか?」
「いや、なんでもない……」
身体を少し縮めるようにして、アレンはリィナの後に続いた。
彼女が迷いのない足取りで向かったのは、鏡面仕上げのカウンターが並び、清潔な白を基調とした洗練された魔導端末の専門店だった。
「これ、一般的な『アーク・リンク』です。この世界では、これがないと何もできないので」
リィナは最新型と思われる、向こう側が透けて見えるほど薄い端末を購入し、そのままアレンに差し出した。アレンは慌てて手を振るが、リィナの淡い青色の瞳にあるのは「彼を守りたい」という一点の曇りもない善意であり、結局その譲らない姿勢に押し切られた。
端末の画面には、初期設定用の幾何学的な魔法陣が美しく明滅している。
「画面中央に指を当てて、軽く魔力を流してください」
言われるがままアレンが触れると、彼固有の魔力波長が瞬時に読み取られた。魔術式を介さない、世界樹の理に近いアレンの純粋な魔力が端末に吸い込まれるように馴染み、あっさりと個人認証が完了する。
「……やっぱり、文字は一文字も読めないな」
画面に並ぶ「エルディア共通語」の文字列。形はアルファベットに近いが、アレンにはやはり意味の解せない不気味な記号の羅列にしか見えなかった。リィナは手際よく端末を操作し、登録名をルミナから聞いていた「アレン・ヴァルグレイ」に設定していく。住所は彼女のアパートと同じ場所に設定された。エルフ特別自治区は魔力審査さえ通れば仮の戸籍が取れるほど、事務手続きが合理化されているのだ。
次に向かったのは、町の中心にそびえ立つ、重厚な石造りの大建物だった。
「ここが『魔軌士局』です」
かつての冒険者の名残でありながら、現在は人類最高峰の戦闘階級を管理する国際行政機関。その内部は冷たい静寂に包まれ、効率化の極致とも言える無機質な空気が漂っていた。
「アレンさんも、魔軌士に登録しておきましょう。今後は魔石の交換などで必要になりますから」
受付の女性が、アレンのアーク・リンクを専用のスキャナーにかざす。一瞬だけ「ピッ」という無機質な電子音が響き、アレンの網膜には「登録完了」と思われる文字が浮かんだ。魔力の測定器を破壊するような劇的なイベントもなく、あまりにも事務的な手続きに、アレンは肩透かしを食らった気分になった。
現在の彼の階級は、最低ランクの「魔軌補」。迷宮の一階層から十階層を主戦場とする、いわば見習い扱いだ。
その後、リィナに手を引かれるまま衣料品店へと向かった。
リィナはアレンの逞しい肩幅と長身に見合う黒系の戦闘服を次々と選び、その代金のすべてを、彼女自身の懐から支払った。店員から向けられる、長身の美男子を養う甲斐甲斐しい女性、という視線がアレンの背中に突き刺さる。
極めつけは、夕食に立ち寄ったハンバーガーショップだった。
アレンの前に出されたのは、地球のサイズの二倍はある、肉汁が溢れ出す暴力的なまでに巨大なハンバーガーだった。
「アレンさん、たくさん食べてくださいね。明日は体力を使いますから」
聖母のような微笑みを浮かべるリィナを前に、アレンは喉の奥まで込み上げてくる、情けなさと感謝が混ざり合った熱いものを必死に飲み込んだ。
(住む場所も、スマホも、服も、飯も……。二十歳の男が十七歳の女性に全部出してもらってる。これ、地球の言葉で言うなら……完全に『ヒモ』じゃねぇか……)
元の世界での「大人の男」としてのプライドが、音を立てて崩れ去っていく。
しかし、隣を歩く銀髪の女性の、どこまでも優しく献身的な気配が、その情けなさを上回る安堵で彼を満たしていた。自分という異邦人を、理由もなく受け入れ、信じてくれる。その温もりだけが、今の彼を繋ぎ止める唯一の錨だった。
夜の帳が下り始める街並み。アレンは腰のチェーンに繋がれたアーク・リンクを強く握りしめ、冷徹に光る二つの月を見上げた。
(……この世界で、本当にやっていけるのか?)
不安は消えない。だが、隣で銀髪を揺らして歩く彼女の歩幅に合わせ、アレンは一歩一歩、この異世界の地面を確かに踏みしめていった。




