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女神歴二一九六年、十一月一日。
首都ガルディアスの静謐な黎明は、耳を劈くような軍務局の非常警報によって、無残にも引き裂かれた。
それは平時の訓練用アラートではない。国家の存亡が危機に瀕した際、大気中の魔力密度を強制的に振動させて鳴らす、最上級の「戦時警報」であった。
「ノルディア魔術塔、魔力出力急上昇! 臨界を突破しましたッ!」
作戦室へと続く回廊には、情報局員たちの悲鳴に近い報告が反響していた。
アークレスト王国製のアーク・リンクを握りしめた職員たちが、脂汗を流しながら、空中に浮かぶ無数のホログラムウィンドウを必死に操作している。
「多重圧縮反応、確認! 第二層、第三層……まだ増え続けています! 測定不能域に突入!」
アレン、リィナ、セリスの三人は、宿泊先から《空間転移》を使い、一瞬で宮殿内の専用転移室へと降り立った。
石造りの廊下を突き抜ける軍靴の音は、狂乱に近い喧騒を物語っている。
窓の外を仰げば、公都を包む秋の空には不気味な紅蓮の警戒灯が明滅し、遠く北の地平線からは、物理的な圧力を伴った「歪な魔力波」が断続的に押し寄せていた。
「……嫌な空気ですね、アレン様。心臓を直接掴まれているみたいで」
リィナが、アレンの服の袖を強く握りしめた。
彼女の優れた魔力感知能力は、北から迫る巨大な「悪意の質量」を敏感に捉え、その本能に警鐘を鳴らしていた。
アレンは無言のまま、彼女の手に自身の掌を重ね、その魔力波形を静かに安定させた。
「ああ。ノルディアも、もはや正気ではないな」
「魔術塔の『多重圧縮』……。これは単発の射出ではありませんわ。連続射出、いえ──『飽和攻撃』の準備ですわ」
セリスが険しい表情で自身の端末を確認し、青い瞳を鋭く光らせた。
軍人としての冷静な分析が、最悪のシナリオを導き出す。
三人が中央作戦室の重厚な扉を押し開くと、そこには公国の重鎮たちが、巨大なホログラムディスプレイを囲んで立ち尽くしていた。
ディスプレイに映し出されているのは、北の大地で白銀の閃光を放ち、膨張を続けるノルディアの魔術塔である。
「魔力圧縮が多重層に移行! これは『同時多弾頭攻撃』の兆候です!」
情報局長セルヴェン・マリクレアが、眼鏡の奥の眼光を鋭くし、矢継ぎ早に説明を重ねた。
軍務卿レグナード・ファルシオンは、モニターに映る異常な数値を睨みつけ、鋼のような拳を机に叩きつけた。
「……単発の狙撃ではないというのか。量で、このガルディアを押し潰す気か」
レグナードは傍らに控える老魔術師、宮廷魔術師長を振り返った。
「宮廷魔術師長! 都市結界はどこまで耐えられる!」
「……戦時モードへ移行したとしても、処理できる攻撃量には物理的な限界がございます。一定量を超えれば、結界を構成する術式そのものが過負荷で破断します」
魔術師長の掠れた声が落ちた瞬間、室内の温度が数度下がったかのような錯覚を誰もが覚えた。
その沈黙を破ったのは、傍らで老練な手つきで書類を整理していた宰相リオネス・カーディルだった。
「戦時モードへの移行は、国家の全魔石備蓄を文字通り『燃やす』行為だ。だが──」
リオネスが眼鏡のブリッジを押し上げ、決然と顔を上げた。
「背に腹は代えられん。民の命に代えられる予算など、この国には存在しない」
その時、モニターの映像が強烈な白光に弾けた。
「魔術塔上空に光柱発生! 魔力圧縮層、さらに増加! 臨界点まであと六十秒!」
「飽和攻撃の前兆よ……」
セリスの声が微かに震える。
「リィナ、あなたのバリアも、この一億人が住む都市の大きさでは……」
「……うん。都市結界のバックアップがあっても、全部を拾うのは……不可能に近い」
リィナが悔しそうに唇を噛んだ。
どれほどの天才であっても、広大な公都全域を一人で覆い尽くすことは物理法則が許さない。
「ノルディア軍の移動、未だ確認されず!」
情報局長の叫びに、軍務卿レグナードが苦々しく吐き捨てた。
「軍を動かさずに、魔術だけで首都を消し去る気か。……完全に『都市破壊』が目的だな」
「状況を説明しなさい」
凛とした、しかし抗いようのない威厳を湛えた声が響き、公女王エリシアが入室した。
彼女の表情は、かつてないほど硬く、鋼の決意を宿している。
「陛下、ノルディア魔術塔は飽和攻撃の最終段階にあります!」
レグナードが即座に進言した。「結界を戦時モードへ! 今なら間に合います!」
エリシアは一瞬だけ、自身の右手の薬指に輝く『共鳴指輪』に視線を落とし、そしてアレンを真っ直ぐに見つめた。
その瞳に宿るのは、一国の主としての冷徹な判断と、アレンへの絶大な信頼。
「……都市結界を、戦時モードへ移行しなさい」
勅命が下った瞬間、宮殿、そして首都全体が激しい振動に見舞われた。
空を覆う不可視の魔導回路が黄金の光を放って具現化し、空間そのものを揺らすほどの重低音が大地に響く。
「……これで、ある程度までは耐えられるはず」
リィナが、天を覆い始めた黄金の膜を見上げる。
「ですが、ノルディアはそれ以上の『数』を撃ってくるかもしれませんわ」
セリスの懸念を断ち切るように、エリシアが鋭い声でアレンに命じた。
「アレン殿。……ノルディア王国側の首都外縁部へ急行しなさい。可能なら、飛来する魔術弾頭の迎撃を。……一発でも多く、民を守る盾となって」
アレンは表情を変えず、ただ短く、確固たる意志を込めて応じた。
「承知した。……行くぞ、二人とも」
アレンが二人の誓導者の手を、力強く取った。
「ノルディア魔術塔、臨界を突破! 射出されます!!」
作戦室の通信が絶叫に変わる。
アレンたちは宮殿を飛び出し、地を蹴った。
「離れるなよ」
アレンの言葉と共に、周囲の景色が極限まで引き延ばされる。
音速を平然と置き去りにする、超高速の魔力疾走。
リィナの《三重魔導護膜》が風圧を物理的に切り裂き、セリスの風属性魔術が背後から爆発的な推進力を生む。
わずか数分。
通常なら数時間を要する巨大都市の距離を突き抜け、三人は首都北側、ノルディアと対峙する外縁部の巨大防壁の上に立っていた。
見上げる上空は、不気味な紫電を帯びた、数えきれないほどの光の粒子によって埋め尽くされている。
雲を割り、天を焦がしながら、一億の民を灰にする「死の雨」が、いま降り注ごうとしていた。




