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「議題一。ノルディア王国の声明に対する、我が国の公式見解について」
軍務卿レグナード・ファルシオンの重厚な声が、静まり返った議場に地鳴りのように響いた。
円卓の表面には、無数のホログラムウィンドウが冷たい青光を放ちながら浮かび、北の大陸縁、氷雪地帯に潜む「北の獅子」ノルディア王国の不穏な動向を刻一刻と映し出している。
「遺憾の意を表明しつつ、既存の外交ルートは可能な限り維持すべきです」
外務卿が、額に滲む脂汗をハンカチで拭いながら声を絞り出した。
「今、こちらから強硬な姿勢を示せば、それこそ敵に開戦の口実を与えることになる。平和的解決の道を模索すべきです」
その弱気とも取れる発言を、情報局長セルヴェン・マリクレアが眼鏡の奥の鋭い眼光で即座に切り捨てた。
「悠長なことを。あの声明は対話の拒絶、すなわち攻撃の最終通告だ。国境付近の魔術波長は、すでに我が国の安全保障上の開戦基準値を大幅に超えている。……論理的に見て、彼らはもはや『言葉』での解決を望んでいない」
財務卿が苦々しい表情で、机上のデータを指先で弾いた。
「経済制裁の準備は進めているが、物流が止まれば我が国にも相応の返り血が飛ぶ。現状、逆効果になる恐れが強いな」
「問題は、ノルディアの『魔術塔』です」
宮廷魔術師長が、青ざめた表情で一連の魔力チャートを提示した。
「塔頂部からの魔力漏出が止まりません。これは単なる充填ではない。明らかに『戦略級の何か』を、この首都ガルディアスへ向けて撃とうとしている兆候です」
公女王エリシアは、玉座で深く腰掛けたまま、毅然とした沈黙を守っていた。
彼女が放つ静かな、けれど逃れようのない圧力が、議場に耐えがたいほどの緊張感をもたらしている。
その隣に控える宰相リオネス・カーディルは、灰青色の髪を整え、老練な手つきで手元の公文書を整理しながら、軍務卿と文官たちの対立を冷静に観察していた。
「……外交的抗議は継続する。だが、敵を刺激するような挑発は厳禁だ」
レグナードが強引に結論をまとめ、次の議題を叩きつけた。
「議題二。首都防衛結界の『戦時モード』移行について」
この一言に、議場の空気がさらに数度低下した。
宮廷魔術師長が重い腰を上げる。
「戦時モードへの切り替えは、魔力消費が通常時の数十倍、いえ数百倍に達します。国内の魔石備蓄をすべて注ぎ込んでも、維持できるのは数日から、長く見積もって二週間が限界かと。……国家の生命線を、一気に使い果たすことになります」
「魔力供給コストが天文学的な数値になるな」
宰相リオネスが、冷静な、けれど重みのある口調で言葉を継いだ。
「発動した瞬間に国家予算を食いつぶし、経済活動は麻痺する。文官の立場から言えば、それは『国家の停止』に等しい」
「しかし、ノルディアの魔力圧縮弾頭を通常モードの結界で防ぐのは不可能です!」
セルヴェンが断言する。「敵の攻撃は、秒読み段階だ。予算を惜しんで首都を灰にする気か」
アレンは末席で、その激しい議論を他人事のように、けれど冷徹に聞き入っていた。
(戦時モード……。それが発動した瞬間、この国は本当に『日常』を捨てるんだな)
彼の隣では、リィナとセリスの二人が、誓導者としての厳しい表情を崩さず、主の気配を静かに支えていた。
「避難勧告はどうなっている」
宮廷近衛隊長が、重い沈黙を破って問いかける。
「宮殿の警備レベルは最大まで引き上げ、首都の警備兵も増員済みだ。だが……」
外務卿が、苦渋の色を隠せず俯いた。
「今、この段階で正式な避難勧告を出せば、六億の国民はパニックに陥る。物流は止まり、経済は崩壊。何より、敵に手の内を明かし、こちらの焦燥をさらけ出すようなものだ」
「手遅れになってからでは遅いと言っているんだッ!!」
レグナードが机を激しく叩いた。重厚な黒檀が悲鳴を上げ、並べられた書類が宙に舞う。
「市民の命を、外交の駆け引きの道具に使うな! 我々の仕事は、民を救うことではないのか!」
議場が怒号と否定の言葉で荒れ始める。
その混沌の渦中、レグナードは椅子を蹴るようにして立ち上がり、末席に座るアレンへと身体を向けた。
「アレン殿」
その一言で、議場に真空のような静寂が戻った。
全ての視線が、黒髪の青年に集中する。
「ノルディアが攻撃に踏み切った場合、我が国最強の戦力である君の、初動任務を確定させたい」
レグナードの鋭い蒼灰色の瞳が、アレンを射抜く。
「首都防衛の最前線、および飛来する魔術弾頭の迎撃。……結界を抜けてくる『死』を叩き落とせるのは、理外の力を持つ君しかいない」
情報局長セルヴェンも身を乗り出し、冷静な追撃を加えた。
「同時に、敵の戦略級魔術の特定と本質の解明も頼みたい。君の目なら、既存の理論に縛られず、術式の急所が見抜けるはずだ」
アレンの横で、リィナが細い指を強く握りしめ、セリスが青い瞳に不退転の決意を宿して背筋を伸ばす。
公国の運命、六億の民の命、そして自分たちの未来。
その全てが、今、アレンの双肩に音もなく乗せられた。
アレンは表情を変えず、ただ一度だけ、自身の内側を流れる魔力の「理」を確認した。
「……了解しました。必要な任務を、言ってください。やります」
短く、迷いのない声。
傲慢さも、気負いも、ましてや恐怖の一片さえ感じさせない。
ただの「事実」として、淡々とその重責を受け入れるその姿勢に、居並ぶ重鎮たちは一瞬、息をすることさえ忘れて絶句した。
「……よし。アレン殿の任務は、首都防衛と弾頭迎撃に決定する」
会議は最後にして最も紛糾する「国民への情報公開レベル」へと入った。
軍務派の「真実の公開」と、穏健派の「パニック回避」が平行線を辿り、室内の空気は澱んでいく。
「……そこまでになさい」
エリシアが、静かに、しかし抗いようのない威厳を持って口を開いた。
重鎮たちが一斉に姿勢を正し、床が鳴るほどの勢いで頭を垂れる。
「国民には『魔力波長の変化に伴う警戒』を促す程度に留めなさい。ただし、現時点で『戦争』という言葉を使うことは禁じます。結界の戦時モード移行の最終判断は……私が下します」
エリシアはゆっくりと立ち上がり、アレンを真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、一国の主としての計り知れない重圧と、アレンへの微かな、けれど確固たる信頼が混ざり合っていた。
「アレン殿。……よろしくお願いします。この国の未来を、あなたに託します」
アレンもまた椅子を引き、静かに立ち上がった。
「承知いたしました。陛下」
重厚な扉が開かれた。
議場を出た三人の視界に広がったのは、不吉な紅蓮の警戒灯が、秋の公都の空を血の色で焼き始めた「戦争前夜」の景色であった。




