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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第2章:絆を結ぶオース

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2-2

夕暮れ時。アレンは、世界樹の町の総合病院を退院した。

医師からは数日の安静を強く念押しされたが、体内の灼熱感はすでに嘘のように引き、代わりに全身をかつてないほど軽快で、研ぎ澄まされた感覚が支配している。


しかし、一歩病室の外へ出たアレンには、進むべき方向も、帰るべき場所もなかった。

一九二センチメートルの巨躯を包むのは、病院が用意した簡素な貸衣裳。

このエルディアという世界における身分証もなく、通貨「エル」の持ち合わせも一銭としてない。


「よかったら……私のアパートに来てください。身体を休められる場所がありますから」


隣を歩くリィナが、迷いのない青い瞳でまっすぐに提案した。

その真摯な厚意を断る理由はなく、アレンは静かに頷き、彼女の後に続いた。


病院の玄関前に停まっていたのは、流線型の滑らかなフォルムを持つ「無人タクシー」だった。

内燃機関の爆音も排気ガスの臭いもなく、リィナが手慣れた動作で操作パネルに触れると、車両は微かな電気的駆動音だけを響かせて音もなく滑り出した。


(……電気で動いているのか。それとも魔力か?)


アレンは流れる景色を窓越しに眺め、奇妙な感覚に陥っていた。

覚醒を遂げた彼の視界には、単なる風景以上の情報が暴力的な密度で流れ込んでくる。

街並みを、空を、そして走る車両を、淡く青白い光の糸――「魔力の導線」が編み目のように覆い尽くし、世界そのものが巨大で精密な術式の上で成立しているように見えた。


通り過ぎる看板には文字が並んでいるが、形はアルファベットに似ていても、その意味は一文字として頭に入ってこない。

さらに彼を驚かせたのは、交差点に「信号」が存在しないことだった。

無数の自律走行車が、互いの魔力波長を瞬時に読み取り、速度をミリ単位で調整しながら、一度の停止もなく複雑に交差していく。

そこにあるのは、アレンの故国よりも遥かに合理的で、静謐な高度文明の姿だった。


到着したリィナのアパートは、木造の温かみがある落ち着いた内装だった。

リィナが手際よく淹れてくれた、芳醇な香りのする温かな茶を啜り、二人はようやくテーブルを挟んで向かい合った。


「ルミナちゃんと初めて会ったのは、三ヶ月前でした」


リィナは大切な記憶を慈しむように、ゆっくりと語り始めた。

ルミナは、かつてこの世界の魔術理論を確立した天才「セラフィナ・エルフェリス」が創造した魔術生命体であること。

そして、「もうすぐ救世の器が現れる」という千七百年前からの予言を、彼女が守り続けていたこと。


「アレンさんは私と相性が良い、とも言われました。……すべて、セラフィナ様の遺した指針だったそうです」


リィナの真剣な説明を、アレンは沈黙して聞いた。

胸の奥で、ルミナという「核」が、彼女の言葉に呼応するように微かに脈動した気がした。


「……ここは、どこなんだ?」


アレンが低い声で問いかけると、リィナは丁寧に答えた。

「惑星エルディア。中央大陸にある、アルヴェリア王国です。ここはエルフ特別自治区の“世界樹の町”。私はハーフエルフなので耳は人間に近いですが、町の多くは純血のエルフです」


故国とは決定的に異なる世界の理。神話の住人と科学のような魔導が共存する、紛れもない異世界。

アレンは窓の外を眺めた。夜の闇の中で、巨大な世界樹が淡い燐光を放ち、町を黄金色に塗りつぶしている。


「あれが……世界樹か……」

「はい。夜でも光っているので、町のどこからでも見えるんですよ」


背後から聞こえたリィナの柔らかな声に、アレンはふと抱いた違和感を口にした。


「……リィナ。俺、何語で話してる?」


「えっ?」

リィナはきょとんとして首を傾げた。

「今話しているのは“共通語”ですよ。アレンさんの言葉……少し古い訛りがありますが、私と同じ言葉です」


アレンは愕然とした。

自分の唇は、確かに故国語の動きをしていない。

耳で音を聞いているというより、相手の言葉の意味が概念として直接脳内に流れ込んでくる感覚。


「……訛り、か」

「はい。少しだけですけど。……何か、おかしいですか?」

「いや……。じゃあ、これは何て書いてあるんだ?」


アレンは、リィナが机に置いていたスマホに似た魔導端末「アーク・リンク」を指差した。

リィナが画面を見せてくれるが、そこに並ぶ文字列は、アレンにはやはりただの幾何学模様の羅列にしか見えなかった。


「……うん。文字は、一文字も読めないな」

「そうですか……。召喚の影響で、認識に齟齬が出ているのかもしれませんね」


リィナは少し考え込んだ後、「今日は疲れたでしょう」と優しく微笑んで休むよう促した。

アレンは彼女の献身的な慈愛に甘え、用意された寝床に身体を沈めた。


(……俺の名前は、アレン。アレン・ヴァルグレイ……)


その響きに、胸の奥が締め付けられるような切なさを覚える。

「亜連」として生きていた頃の記憶は確かにある。しかし、それ以上に「アレン」という名には、魂が震えるほどの重みと愛惜が宿っていた。


リィナが寝床の準備をする間、アレンはふと窓から夜空を見上げ、決定的な証拠を捉えた。


「……月が、二つ……」


夜空に浮かぶ、大小二つの月。

青白い冷徹な輝きを放つそれらは、ここが故国から遥か遠く離れた別の天体であることを、残酷なまでに証明していた。

逃げ場のない現実が、静かな絶望と共にアレンの肩にのしかかる。


(……可愛い、よな)


ふとリビングに視線を戻せば、自分のために不器用なほど甲斐甲斐しく立ち働く銀髪の女性がいた。

その優しく、献身的な横顔。

自分を信じ、世界を託すと告げた彼女の微笑みが、アレンの心に深く根を下ろしていた孤独を、少しだけ溶かしてくれた。


アレンは眠れないまま、異世界で初めての夜を、静かな覚悟と共に過ごした。


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