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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第9章: 二人の誓導者

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9-6

女神歴二一九六年、九月上旬。

一人の男の去就きょしゅうという名の巨大な石が、エルディア全土という静止した水面に投げ込まれた。

その波紋は、単なる一魔軌士の動向という枠組みを遥かに超え、数百年の歴史を積み上げてきた大陸の軍事バランスを、その根底から軋ませ、揺るがしていた。



中央大陸南部、世界樹の息吹が満ちるアルヴェリア王国。

王都アルヴェンの魔軌士局支局長室は、精霊の加護を受けた爽やかな外気とは無縁の、重苦しい焦燥に塗りつぶされていた。


「……アレン殿は、まだ来ないのか?」


重厚な黒檀の執務机を、指先で苛立たしげに叩きながら、国王レオニス・アルヴェリアが問う。

その声音は、常に「調和」を重んじる温厚な彼にしては珍しく、隠しきれない尖った響きを帯びていた。

あの日、人類未踏域である「四十階層ボス魔石」という、国宝をも凌駕する至宝を贈り物として受け取って以来、アレン・ヴァルグレイの足取りはぷっつりと途絶えていた。


「は、は……。王宮へは、一日のうち何度も同じ報告を差し上げておりますが……」


支局長レイフォルト・ハーグレンは、青ざめた顔で自身の胃のあたりを痛そうに押さえた。

彼のこめかみには、慢性的な胃痛とプレッシャーによる脂汗が滲んでいる。

喉の奥まで出かかっている「知らん、そんなことは俺が一番知りたい!」という叫びを、彼は行政官としてのプライドで辛うじて飲み込んでいた。


迷宮資源を国家運営の核とするアルヴェリアにとって、深層を「散歩」するアレンという存在は、喉から手が出るほど欲しい唯一無二の戦略資源に他ならない。

だが、彼らが誇る換金窓口には、今日もただ虚しい静寂と、自動扉の開閉音だけが流れていた。



同じ頃、東大陸。軍事大国ヴァルゼン帝国の皇宮。

鉄の錆と、高出力魔導兵器から漏れ出す焦げ付いたオゾン臭が漂う「円卓の間」を、一振りの咆哮が切り裂いた。


「……まだか! No.11 の動向を、未だ掴めぬというのかッ!」


皇帝ダリオス・ヴァルゼンの重低音が、厚い石壁に反響し、場を凍りつかせる。

彼の脳裏には、あの日、謁見の間に居並ぶ帝国の精鋭を赤子の手をひねるように退け、「国を地図から消す」と静かに言い放った黒髪の青年の姿が、屈辱と共に焼き付いていた。

あの謁見を境に、アレンは帝都のホテルからも、帝国の監視網からも、霧が消えるようにその姿を消していた。


「も、申し訳ございません。ギルド側でも、各支局の入退室ログを精査しておりますが……」


イグナイト支局長ガウス・ヴァルドレーンは、重厚な軍服を冷や汗で濡らしながら、床に額を擦り付けて平伏していた。

皇帝の威圧も死ぬほど恐ろしいが、あの「死神」の如き無機質な瞳を持ったアレンが、二度とこの国に慈悲をかけることはないであろうことを、現場で彼と対峙したガウスだけは、痛いほどに理解していた。



そして、運命の九月二日。

魔軌士局の国際魔力ネットワークを通じて、全世界の人々が持つアーク・リンクに、一つの「公式公示」が駆け巡った。


『特級魔軌士 No.11 アレン・ヴァルグレイ。ガルディア公国と正式雇用契約を締結』


端末に映し出された青白い文字情報は、単なる契約の事実以上に、各国の指導者たちを戦慄させた。

雇用主の欄には、西大陸の雄「ガルディア公国」。

そして、その下に列記された二名の誓導者の名が、歴史的な衝撃を物語っていた。


『第一誓導者:リィナ・フェルウェン』

『第二誓導者:セリス・ヴァレンティア』


ヴァルゼン帝国の軍務院。報告書を突きつけられた重鎮たちは、声もなく絶句していた。

「ガルディアに……? なぜだ、我が国ではなく……よりによって、あの小国にか……!」


その動揺は、世界最強を自負する最上位の特級魔軌士たちにも波及していた。

序列第一位、ヴァルツ・レグナスは、執務室で報告書を眺めながら、不敵な表情を崩さなかった。

だが、その拳は力強く握りしめられ、鋼の如き腕からは一筋の冷や汗が流れていた。

(……あの日、皇宮で仕掛けたのが私だけで済んで良かった。あれと本気で戦うなど、正気の沙汰ではない)


序列第十位、ガルド・エルネストは、自身の担当階層である二十八階層の巨大な魔導門を前に、自身の無力感に震えていた。

「……化け物め。俺が血を吐く思いで挑み、それでも届かない深淵を……」

アレンが「散歩」のついでに踏み越えていったという冷酷な事実が、努力型天才である彼の自尊心を、音を立てて粉砕しようとしていた。


対照的に、序列第十二位のグラウス・ラインハルトは、窓の外の月を見上げながら、静かに、そして深く溜息を吐いた。

アレンの加入により、自身の国際序列が一つ繰り下げられた。

だが、あの日、皇帝の前で繰り広げられた「理外の暴力」を目の当たりにした彼にとって、それはむしろ当然の、そして幸運な裁定にさえ感じられた。

「……繰り下げで済んだのが、最大の幸運だった、というわけか」



「むぅ……やはり、先を越されたか」

アルヴェリア王レオニスは、苦笑混じりに深く椅子へと体を沈めた。

「誓導者が二人……しかも一人は元公国の『至宝』セリス殿。これは戦力が単なる足し算ではなく、掛け算、いや、倍増しておりますな」


重鎮たちの分析は冷徹だった。

ガルディアが手に入れたのは、単なる一人の強力な魔軌士ではない。

歴史的な強者のみが確立し得る「複数誓約マルチ・オース」という安定した魔力基盤を手に入れた、理外の暴力そのものだった。


国際情勢は、この公示を境に劇的な変化を見せ始める。

ガルディア公国の国際的評価は天を衝く勢いで急上昇した。

特級 No.11 を擁し、二名の誓導者による絶対的な魔力安定度を持つ国家。

公女王エリシア・ヴァルステイン・ガルディアの政治的手腕は、大陸全土に「恐るべき調停者」として知れ渡ることとなった。


その一方で、帝国は深刻な焦燥に駆られていた。

深層攻略の停滞。最強を自負していた魔軌士たちの士気低下。

そして何より、たった一人の「余所者」に威信を傷つけられた皇帝の威厳は、民衆の目に見えて揺らぎ始めていた。


そして、西大陸南西、バルムート王国の魔軌士局本局。

総務局が管理する「特別監視枠」の最上位に、アレン・ヴァルグレイの名が太字で刻まれた。


『当該個体の動向は、単独で世界情勢を左右しうる。最優先で監視を継続せよ』


世界がその一歩一歩に怯え、戦慄し、固唾を呑んで見守る中。

当のアレン・ヴァルグレイは、首都の屋内訓練場にて、ただ静かに木刀を振り下ろしていた。

空気を切り裂く鋭い音が、無機質なドームに響き渡る。

彼にとって世界の混乱などは、迷宮の土埃つちぼこりを払うことよりも、遥かに優先順位の低い事象に過ぎなかった。


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