8-11
女神歴二一九六年、七月二十一日。
覇権国家ヴァルゼン帝国の首都、帝都イグナイトを包む空気は、軍事国家特有の冷徹な活気に満ちていた。
摩天楼の如くそびえ立つ魔導建築群からは、絶え間なく機械的な駆動音が響き、石畳の街路を歩く人々の表情には、規律と秩序への盲信が刻まれている。
アレンとリィナの二人は、もはや慣れた足取りで帝都の魔軌士局支局へと足を踏み入れた。
漆黒の戦闘衣に包んだアレンと、その傍らで銀髪をなびかせるリィナ。
この局において、彼らは「特等席」への無言の通行証を手にしているも同然だった。受付の職員たちは、二人の姿を認めるなり、畏怖と敬意が混ざり合った複雑な表情で深々と頭を下げた。
案内された支局長室。
重厚な鋼鉄製の扉の先で、支局長ガウス・ヴァルドレーンは、提出された「三十九階層」の通常魔石とボス魔石を前に、胃の腑を握りつぶされるような思いで重いため息を吐いた。
「……また一段と、魔力の質が濃くなったな。もはや、この部屋の防魔結界が意味を成しておらん」
机の上に置かれた巨大な魔石からは、深層特有の禍々しくも澄み渡った魔力が脈動するように溢れ出していた。
鑑定具が異音を立て、室内の温度が数度下がったかのような錯覚がガウスを襲う。
事務処理が進む中、アレンの口座には前回の三十八階層ボス魔石の換金分が淡々と振り込まれていくが、今日のガウスの挙動には、隠しきれない焦燥が滲んでいた。
彼は書類を整理する手が微かに震えているのを隠すように、椅子の背もたれに深く体重を預けた。
「……アレン殿。実は、皇宮から使者が来ておってな。皇帝ダリオス陛下より、直々に『謁見の誘い』がある」
「……またかよ」
アレンは露骨に顔をしかめ、面倒そうな溜息を吐き出した。
アルヴェリア王国での引見も記憶に新しいが、彼にとって権力者との対峙は、迷宮の主を屠るよりも遥かに神経を逆撫でされる、合理性のない作業でしかなかった。
支局長が説明を続けようとした、その時だった。
──バンッ!!
静寂を切り裂くように、乱暴に扉が跳ね飛ばされた。
重厚な軍靴の音が室内に響き渡り、黒い外套を纏った数名の男たちが雪崩れ込んでくる。
帝国の誇る戦力、皇帝直属の近衛兵。その中心に立つ男の視線は、冷徹な刃のように鋭くアレンを射抜いた。
「──勅命である」
その一言が落ちた瞬間、ガウスは弾かれたように椅子から転げ落ち、床に膝を突いて深く頭を垂れた。
帝国臣民にとって、皇帝の言葉は絶対的な神の審判。逆らうことは死を意味する。
しかし、アレンとリィナは座ったまま、微動だにせず近衛兵を見据えていた。
アレンは独立した他国の魔軌士であり、リィナは彼の誓導者として「主と同じ姿勢を取る」という最上位の礼法に従っているに過ぎない。
彼らに帝国へ跪く義務など、一片も存在しなかった。
近衛兵のリーダーは、不敬を隠そうともしないアレンの態度に、露骨な不快感を剥き出しにした。
彼らにとってアレンは、帝国の英雄ガルド(No.10)が敗退した領域を易々と抜いた、疎ましくも危険な「余所者」だったからだ。
「特級魔軌士 No.11、アレン・ヴァルグレイ。およびその誓導者、支局長の三名は──八月一日、皇宮にて皇帝陛下に謁見されたし。以上である」
「謹んで、勅命を奉じます……!」
ガウスが震える声で応じると、近衛兵はアレンを死刑囚でも見るような目つきで睨みつけ、無言で退出していった。
扉が閉まった瞬間、アレンが椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「えっ! なんで勝手に返事しちゃうのよ! 俺、行かないよ!」
「アレン様、落ち着いてください……」
リィナが袖を引いて宥めるが、アレンの拒絶反応は止まらない。
対するガウスは、顔を蒼白にさせながらアレンに詰め寄った。
「バカを言うな! 勅命だぞ!? 逆らってみろ、俺の首どころかこの支局ごと物理的に潰されるわ!」
「いやいやいやいや! 俺、ただの魔軌士だぞ!? 一民間人を無理矢理呼び出すなんて、どんな独裁国家だよ!」
そこから数時間、リィナとガウスによる必死の説得が繰り広げられた。
帝国の絶対的な軍事力、魔軌士局という組織の板挟み、そして何より「行かなければ帝都そのものが混乱に陥る」というリィナの冷静な進言。
結局、アレンが折れる形で、この「避けられぬ謁見」は確定した。
八月一日。約束の当日。
三人は再び、張り詰めた緊張感の漂う支局長室に集まっていた。
「今日の提出物はこれだ。四十階層の通常魔石」
アレンが差し出したのは、通常魔石のみだった。
ガウスは首を傾げ、不思議そうに机を見つめた。
「……今日は、四十階層のボス魔石はないのか?」
「ああ。あれは、ちょっとな」
アレンは視線を斜め下へと逸らし、言葉を濁した。
隣で、リィナがふふ、と意味深に微笑んでいる。
それが皇帝への「最大級の不敬」を孕んだ贈り物として温存されていることを知る者は、この場にはいない。
「……はぁ。まあよい。準備は整っている。参るか」
ガウスの重い足取りを先頭に、三人は鉄の要塞と謳われるヴァルゼン皇宮へと向かった。
帝国の頂に君臨する覇王、ダリオス・ヴァルゼン。
世界を揺らす No.11 の男と、大陸最強国家の皇帝による対峙。
帝都の冷たい風が、嵐の前の静けさを孕んで吹き抜けていた。




