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覇権国家ヴァルゼン帝国の心臓部、帝都イグナイト。その中心に鎮座する最高級『ヴァルシオン・ホテル』の広大な裏庭は、夜の帳と幾重にも張り巡らされた防魔結界によって、都市の喧騒から切り離された静寂の中にあった。
しかし、六月の湿り気を帯びた夜気を切り裂くように、突如として赤々と燃える暴力的な「熱」が空間を支配した。
「逃がしはせぬぞ、特級No.11。貴様の化けの皮、このアグニスの炎で焼き剥いでくれるわ!」
重厚な甲冑が激しい金属音を立て、一人の男が立ち塞がった。
騎士国家アグニスの特級魔軌士No.30、カイル・ヴァン・ブラッドレイ。
その手には、主の昂ぶる闘志に呼応するように激しく火の粉を散らす魔導剣が握られている。
背後には、彼の誓導者フェリシア・ルーンが控え、魔力循環誓約によって増幅された灼熱の波動をカイルへと送り込んでいた。
アレン・ヴァルグレイは、リィナを伴った夜の散歩を邪魔されたことに、心底面倒そうな溜息を吐いた。
身体を揺らし、彼は漆黒の戦闘衣のポケットに手を突っ込んだまま、焦点の定まらない瞳で騎士を見据える。
「……決闘? 悪いが、今はプライベートだ。他を当たってくれ」
「抜かせッ! 戦場での武功もなく、迷宮の石ころを拾っただけの成金が、我らアグニスの誇りを汚した罪……その命で購うがいい!」
アレンの拒絶を「臆病ゆえの逃避」と受け取ったカイルが、激昂と共に大地を蹴った。
その瞬間、フェリシアとの完全な魔力同調により、魔導剣から溢れ出した炎が巨大な奔流となって夜の庭園を昼間のように照らし出す。
「──《爆炎斬》!!」
殺到する超高熱の斬撃。大気が熱膨張で悲鳴を上げ、周囲の草木が瞬時に炭化していく。
だが、アレンは避ける素振りさえ見せず、ただ無造作に、自身の指先を軽く横に振った。
直感 → 分析 → 行動。
アレンの「理外の視界」は、カイルが構築した術式の「継ぎ目」を正確に捉えていた。
座標、強度、指向性──それら現代魔術の理論という名の不完全な数式が、アレンの指先一つで書き換えられる。
──パチン。
乾いた音が響いた刹那、カイルが放った必殺の劫火は、まるで幻影であったかのように音もなく霧散した。
魔術を成立させていた魔力構造そのものが内側から解体され、後に残ったのは、焦げ付いたオゾン臭と、呆然と立ち尽くすカイルの姿だけだった。
「……っ!? な、何だと……。術式が、消えた……?」
驚愕に目を見開くカイルを余所に、アレンは足元に落ちていた、乾燥して脆くなった一本の「折れた木の枝」を拾い上げた。
それはどこにでもある、なんの魔力も宿っていない、ただのゴミ同然の棒切れだった。
「剣での手合わせが望みか。……いいだろう。これくらいで十分かな」
「貴様ッ、どこまで我らを愚弄すれば気が済むのだぁぁぁ!!」
誇り高き騎士の矜持を物理的に踏みにじられたカイルが、我を忘れて再度の突撃を敢行する。
しかし、アレンの身体は「最適」な重心移動を熟知していた。
第一召喚時の記憶はなくとも、魂に深く刻み込まれた武の記憶が、無意識に木の枝を最短の軌道へと導く。
重厚な魔導剣の振り下ろしを、棒切れ一本で受け流し、あるいは逸らす。
カイルから見れば、自分の剣がまるで吸い込まれるように、アレンの持つ枝の先へといなされていく感覚だった。
そして、アレンは一瞬の隙を突き、棒切れの先をカイルの重装甲の胴体へと、そっと触れさせた。
「──《衝撃制御》」
棒切れが甲冑に触れた瞬間、理外の衝撃がカイルを襲った。
アレンが精密に制御した魔力は、内臓や骨へのダメージを完全に遮断しながらも、その質量だけを純粋な物理的暴力へと変換した。
ドォォォォォンッ!!
重さ百キロを超えるカイルの巨体が、まるで巨大な大槌で叩かれたかのように後方へと弾き飛ばされた。
芝生を深く削り取りながら、カイルは数十メートル先の植え込みまで転がっていき、激しい土煙を上げて沈黙した。
物理的な損傷はない。だが、意識を刈り取る寸前の圧倒的な敗北感が、彼の心を真っ向から粉砕していた。
「……っ、あ、ガ、ハ……っ」
地面に伏したまま指一本動かせないカイルを見下ろし、アレンは手元の枝が折れたのを確認すると、それを無造作に捨てた。
「次はもう少し、マシな得物(武器)を持ってきなよ。……帰るぞ、リィナ。散歩はもうおしまいだ」
「はい、アレン様! やっぱり、アレン様は世界で一番すごいです!」
リィナは、眩いものを見るような瞳でアレンの腕に寄り添った。
二人がホテルへと戻る背中を、遠く離れた建物の影から監視していた帝国の「影」たちが、震えながら見送っていた。
「騎士の独走」による暗殺未遂は、帝国の歴史に、新たな「理外の恐怖」を刻みつける結果となったのである。




