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女神歴二一九六年、六月中旬。
中央大陸北東部に位置する、武を尊ぶ「騎士国家アグニス」。その首都アグナードを包む空気は、一年中絶えることのない鍛錬の熱気と、武具を打つ鉄槌の音によって重く沈んでいた。
王宮の一角にある巨大な屋外鍛錬場では、一際激しい炎の渦が巻き起こっていた。
「……っ、ハァッ!!」
一振りの巨大な魔導剣が、空気を焼き切りながら一閃される。放たれた高熱の余波が周囲の石壁を赤く熱し、訓練用の巨大な石像を瞬時に溶岩へと変えて崩落させた。
剣を振るうのは、アグニス王国騎士団の若手エースにして、特級魔軌士No.30を冠する男──カイル・ヴァン・ブラッドレイである。一八〇センチを超える引き締まった体躯を重厚な甲冑に包み、滴る脂汗を拭うこともせず、彼は手元のアーク・リンクの画面を忌々しげに睨みつけていた。
青白く発光する画面には、四月一日に更新された国際序列が、無慈悲な事実として刻まれている。
『特級魔軌士No.11:アレン・ヴァルグレイ』
「……ふざけるな。どこの馬の骨とも知れぬ若造が」
カイルの低い声に、粘りつくような憎悪が混じる。
アレン・ヴァルグレイ。四月に突如として特級上位に躍り出た、所属国も経歴も一切が不明の男。戦場での武功も、他国の英雄との対人戦の記録もない。ただ迷宮の未踏域から拾い上げた「石ころ」を換金した実績だけで、伝統あるアグニスの騎士たちを遥か高みから見下ろす位置に座った「成金」。
カイルの隣では、彼の誓導者であるフェリシア・ルーンが、静かに魔力の波長を整えていた。彼女は主の激情を察しながらも、騎士国家の誇りを汚された屈辱については、カイルと同じ想いを抱いていた。
「迷宮の奥で石を拾い、階級を金で買った詐欺師め……」
カイルは魔導剣を鞘へと叩き込むように収めた。アグニスの矜持が、この屈辱を許さない。武を以て国を成し、炎の魔術を極めた自分たちの歴史が、実戦経験もない「虚像」に抜かれるなど耐え難かった。
「行くぞ、フェリシア。奴は今、ヴァルゼン帝国の帝都にいる」
「カイル様、独断での越境は国際問題に……」
「構わん! 我が国の威信を汚す偽物を、この手で暴き、地の底へ叩き落とすだけだ」
誇り高き騎士の瞳に、復讐にも似た炎が灯った。
同じ頃。東大陸にある世界最強の軍事国家、ヴァルゼン帝国の首都イグナイト。
鋼鉄の巨塔が立ち並び、魔導の香りが漂うこの街は、騎士国家とはまた異なる硬質な冷徹さに支配されていた。
アレンとリィナは、帝都最高級『ヴァルシオン・ホテル』の専用フロアで、穏やかな午後の時間を過ごしていた。六月の柔らかな風が、最上階のテラスを通り抜け、リィナの銀髪を優しく揺らす。
「……アレン様、今日もいいお天気ですね。アルヴェリア産の精霊茶が手に入りましたので、淹れ直しましょうか?」
リィナが穏やかな笑みを浮かべ、洗練された所作でティーカップを差し出す。アレンは身体を高級ソファの背もたれに預け、漆黒の瞳を細めてそれを受け取った。
「ああ、そうだな。……少し平和すぎるくらいだ」
アレンは手元の黒いアーク・リンクを無造作にテーブルへ置いた。九月のガルディア公国との契約開始まで、今はしばしの休息期間。だが、アレンの「理外の視界」は、平和な情景の裏側で、空間を伝ってこちらへ向かってくる「歪な魔力の波形」を正確に捉えていた。
迷宮の深層で培われた、生物的な本能を超えた直感。
それは、こちらへ向かってくる剥き出しの「敵意」と、灼熱の「焦燥」を伴った重苦しい足音だった。
「リィナ。……夜の散歩は、少し賑やかになりそうだぞ」
アレンの声には、警戒よりも、ただ日常を乱されることへの僅かな面倒くささが滲んでいた。
「……え? はい、アレン様。どこまでも、お供します」
リィナは主の意図を察し、柔らかな微笑みを崩さないまま、内側で《三重魔導護膜》の術式を静かに、けれど完璧に再構築した。
騎士国家から放たれた「独走」という名の影が、帝都の静寂を切り裂こうとしていた。




