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女神歴二一九六年、四月十一日。
帝都イグナイトの朝は、鉄の粒子が混じったような重く冷たい空気に包まれていた。
アレンとリィナは、宿泊先のヴァルシオン・ホテルを出て、中心街にそびえる魔軌士局支局へと足を向けた。
局内の空気は、数日前とは明らかに異質な「熱」を帯びていた。
長身を揺らしてアレンが入室した瞬間、ロビーで談笑していた魔軌士たちの視線が一斉に凍りつき、次いで騒がしい囁きへと変わる。
「……おい、No.11だ。あの、ヴァルグレイが来たぞ」
「特級第十位のガルド様が膝を折った二十八階層を、たった半日で……。化け物め」
アレンはそれらの視線を、迷宮の壁に刻まれた無意味な落書きを眺めるような冷淡さで無視し、リィナと共に支局長室へと直行した。
扉を叩き入室すると、待ち構えていた支局長ガウス・ヴァルドレーンは、アレンの顔を見るなり、胃の腑の底から絞り出すような深く重いため息を吐いた。
アレンは無言のまま、二十八階層ボス魔石の預かり証を机に置いた。
続けて、自身の指先に魔力を集束させ、空間から一際禍々しい輝きを放つ「二十九階層ボス魔石」を取り出し、事もなげに提示する。
「……お前ら、一体何者なんだ。化け物にも程があるだろう。帝国の精鋭が数年かけても届かなかった領域を、まるで散歩のついでに石でも拾うような真似をしおって」
ガウスの震える問いに対し、アレンは表情を変えず、短く応じた。
「……探索のついでだ。換金の手続きを頼む」
手続きは、もはや事務的に、けれど室内に満ちる二十九階層魔石の圧倒的な魔力圧の中で淡々と進められた。
「……二十九階層ボスの預かり証だ。……換金にはまた、十日ほど時間を置け」
二人は静かに部屋を退出した。
局内の喧騒を背に、アレンはホテルの自室へ戻ると、リィナの柔らかな手を取った。
アレンが世界の理から座標を切り離し、空間を直接掴み取る。
──《空間転移》。
瞬き一つの間に、二人の肺を満たしていた鉄の匂いは消え、代わりに世界樹の息吹が混じる、アルヴェリア王国の湿り気を帯びた空気へと切り替わった。
四月十二日。
アルヴェリア支局長レイフォルト・ハーグレンは、机に突っ伏しそうな勢いで二人を迎えた。
提出されたのは、三十階層ボス魔石の預かり証と、新たに狩り取られた「三十一階層ボス魔石」。
鑑定士が震える手で魔石の波長を確認する中、レイフォルトは慢性的な胃痛を堪えるように、力なく首を振った。
「勘弁してくれよ……。どんなペースで潜れば、この深層魔石が次々と出てくるんだ。ギルドの換金予算が底を突くぞ」
「必要なものがあれば、また潜るだけだ」
「……預かり証だ。十日後にまた顔を出してくれ。……いや、もう何が起きても驚かんぞ」
支局を出ると、ロビーはすでに騒然となっていた。昨日まで東大陸のヴァルゼン帝国にいたはずのNo.11が、今日、西大陸の裏側にあるこの支局に現れたという「理外」の事実に、魔軌士たちは戦慄を隠せなかった。
アレンは周囲の騒ぎに無関心を貫き、ホテルへ戻った。そして再びリィナを抱き寄せると、《空間転移》で西大陸のガルディア公国へと跳んだ。
四月十三日。
三か国目の目的地は、首都ガルディアスに誇り高くそびえる、世界最高峰の魔術衣装店『ガルネリア本店』
「お待ちしておりましたわ。アレン様、リィナ様」
オーナーのレティシア・ガルネリア夫人が、自信作を手にした職人たちを引き連れ、優雅な礼をもって二人を迎え入れた。
一着、一億エル。
特級上位の魔軌士にのみ許される、フルオーダーの極致。
「アレン様……! すごい、可愛いです……っ!」
完成した新戦闘衣装を抱きしめ、リィナが淡い青色の瞳を輝かせて跳ねた。
銀髪に映える、光と水の魔力を宿した白銀のドレス。それは繊細な刺繍の内側に、あらゆる外部干渉を遮断する強靭な術式が織り込まれた逸品だった。
アレンはそれを見て、短く、けれど真摯に告げた。
「……似合っている」
「……っ、はい! ありがとうございます!」
リィナは嬉しそうに頬を染め、アレンの腕にそっと身を寄せた。
そしてアレンもまた、自身の新しい衣装を纏った。
理外の魔力を淀みなく循環させ、その質量に耐えうる漆黒の戦闘衣。それは、静寂の中に死神の如き威風を放つアレンの「理の守護者」としての姿を完璧に補完していた。
周囲の店員たちがその圧倒的な圧力に思わず膝をつく中、リィナはうっとりと、自分だけのマスターを見上げた。
「……アレン様、とってもかっこいいです……」
新たな力を纏った二人の姿は、まさに伝説の再来に相応しい威厳に満ちていた。
だが、この甘美な平穏は、覇権国家ヴァルゼン帝国が放とうとしている「影」の接触、その嵐の前の静けさかもしれない。




