7-3
鉄と潤滑油の臭いが、重苦しいほどに大気を満たしていた。
覇権国家ヴァルゼン帝国が誇る四大迷宮の一つ、『帝国魔導要塞』。
その深部へと歩を進めるほどに、迷宮はその本質である「機械的な冷徹さ」を剥き出しにし、侵入者を圧殺せんと数多の魔導回路を脈動させているはずだった。
(……魔力流路が、怯えているな)
アレンは身体を揺らし、無機質な鉄の回廊を悠然と歩く。
彼の「理外の視界」には、壁の内側を走る魔導線の明滅が、自身の接近に合わせて力なく減退していく様子が克明に映し出されていた。
通路に仕掛けられた致死性の魔導罠は、発動の火花を散らすことさえ忘れ、天井に据え付けられた自動防衛兵器は、照準のレンズを震わせたまま沈黙を守っている。
「……アレン様、迷宮があなたを避けているような気がします」
銀髪を微かに揺らすリィナが、不思議そうに周囲を見回しながら小声で呟いた。
特級魔軌士No.10のガルド・エルネスト率いる大規模クランでさえ、血を流し、死傷者を出してようやく進める鉄の要塞。
その迷宮そのものが、アレンという規格外の存在を前に、本能的な「拒絶」と「恐怖」を示していた。
「魔力流路が単純だ。……無機質な計算に基づいている分、先が読める」
アレンは淡々と応じ、立ち止まることなく二十八階層の最深部──守護獣の部屋へと辿り着いた。
行く手を遮る重厚な鋼鉄の扉が、油圧の唸り声を上げて左右に開き、内部の冷気が溢れ出す。
そこに鎮座していたのは、帝国の大規模クランを撤退に追い込んだ元凶──巨大な歯車の塊のような『巨大魔導兵器』だった。
侵入者を感知し、兵器の心臓部である魔導エンジンが猛烈な回転を始める。
シュゥゥゥッ、という高圧の蒸気が隙間から噴き出し、赤い警戒灯が室内を不気味に染め上げた。
アレンは一歩も動かず、ただその巨躯を真っ直ぐに見据えた。
直感 → 分析 → 沈黙。
アレンの思考プロセスが、瞬き一つの間に完了する。
複雑に入り組んだ鋼鉄の装甲。そのわずかな継ぎ目の奥、規則正しく脈動する「魔力核」の位置を一瞬で特定した。
「念のため、張っておきますね。──《光盾》」
リィナが光の盾を展開するが、それが真価を発揮する隙すら、アレンは守護獣に与えなかった。
彼はポケットから片手を引き抜くと、無造作に指先を向けた。
「──《光束魔術》」
無詠唱で放たれた一筋の白銀の閃光。
それは光速の速さで空間を切り裂き、巨大魔導兵器が防御姿勢を取るよりも速く、鋼鉄の装甲を紙細工のように貫通した。
内部で守られていた魔力核が正確に射抜かれ、音もなく消滅する。
耳を劈くような金属音。
反撃の咆哮を上げることすら許されず、巨大な魔導兵器はただの鉄の塊へと戻り、床を震わせて沈黙した。
後に残ったのは、焦げ付いたオゾン臭と、圧倒的な蹂躙の余韻だけだった。
「……終わったな」
「はい、アレン様。本当にお見事です」
リィナが安堵の息を吐きながら微笑む。
帝国最強の一角が足止めを食らっていた階層を、二人は「静かに」通り過ぎていった。
二十九階層、安全地帯。
ここまでの鉄臭さが嘘のように、空気は軽く、魔力波形は穏やかに安定していた。
「一度、地上へ戻るか。情報の整理も必要だ」
アレンは床の座標を自身の魔力で読み取り、魂に深く刻み込んだ。
「はい、お供します」
アレンが空間を折り畳む感覚。
次の瞬間、二人の視界は一階層の安全地帯へと、一瞬で切り替わった。
帝国軍が数日を費やし、多大な犠牲を払っても攻略できなかった二十八階層。
アレンとリィナにとっては、それは半日にも満たない、穏やかな「散歩」に過ぎなかった。
「……アレン様、本当にすごいです。世界がひっくり返ってしまいますね」
リィナが小声で、憧憬と畏怖の混じった感嘆を漏らす。
アレンは出口から差し込む帝都の光を見つめ、短く返した。
「まだ先がある。……こんなところで驚いてる暇はない」
二人は静かに、巨大な鉄の迷宮を後にした。




