7-2
帝都イグナイトの朝は、巨大な歯車が噛み合うような、硬質で規則的な響きと共に幕を開ける。
四大迷宮の一角、『帝国魔導要塞』。
その入り口に立つアレンとリィナの視界を占拠しているのは、雲を突き抜け、天を衝く鉄の巨塔だった。アルヴェリアの『蒼風峡谷』が自然の深淵なら、ここは魔導工学の粋を集めた人工の深淵だ。
「……行くか」
アレンが短く告げると、リィナは「はい、アレン様」と穏やかに、しかし一人の誓導者としての覚悟を瞳に宿して応じた。
二人の荷物は驚くほど少ない。アレンの《空間収納》の中には、ガルディアで調達した物資が、まだ残っていて、時間の止まった「無」の領域に静かに眠っているからだ。
重厚な魔導門を潜り抜け、一階層の安全地帯に足を踏み入れた瞬間、アレンは足を止めた。
彼は無機質な鉄の床に視線を落とし、自身の魔力回路を深層の位相へと沈めていく。
(……ここの座標軸の歪みは、これまでの迷宮より規則的だな。固定しやすい)
「座標登録、完了。ここを《空間転移》の起点にする」
「それにしても……周囲の魔力濃度が凄まじいですね。帝国の結界構造、非常に合理的です」
銀髪を揺らすリィナが、壁面に刻まれた軍事術式を興味深げに指先でなぞった。帝国が迷宮そのものを軍事拠点化しようとしている形跡が、通路の至るところに見受けられた。
「分析は後だ。行くぞ」
二人は迷宮を淡々と進み始めた。
通常、上級魔軌士の精鋭パーティであっても、二十五階層までの往路には十七日から二十日という、神経を削るような長期遠征を必要とする。だが、アレンの長躯が刻む歩みは、まるで午後の公園を散策する「散歩」そのものだった。
迷宮の壁は一面が鉄鋼で覆われ、通路の奥からは魔導エンジンの重低音と、潤滑油が焼けるような独特の匂いが漂ってくる。
曲がり角から姿を現したのは、肉体の一部が真鍮の歯車やピストンへと置換された異形の生命体──帝国特有の「機械化魔獣」だった。
だが、魔獣たちが侵入者の存在を認識し、蒸気を噴き上げるよりも早く。
アレンの指先から放たれた《光束魔術》が、物理法則を置き去りにする速度で空間を薙いだ。
「……十階層、通過」
「……二十階層、処理完了です」
リィナが手元の「アーク・リンク」で進捗を確認しながら、溜息混じりに告げる。
途中、二晩の休息を挟んだが、戦闘そのものは常に一瞬で決着した。帝国の大規模クランが死傷者を出し、返り血を浴びて突破したはずの階層を、二人は塵一つ立てず、無傷で通り過ぎていく。
二十七階層。
そこには、全身を白銀の防弾装甲で包んだ巨大な守護者が待ち構えていた。
突進してくる巨躯。大気が悲鳴を上げ、鉄の回廊が振動に震える。
だがアレンは眉一つ動かさず、自身の魔力で形成した高密度の光を、右手の指先から滑らせるように解き放った。
──《光刃魔術》。
閃光が爆ぜた。
次の瞬間、強固を誇る機械の装甲は紙細工のように容易く両断され、内部の魔力核は熱量すら残さず霧散した。
リィナはもはや驚くことさえ忘れ、アレンの規格外な背中を追い、淡々と補助をこなしていた。
やがて、二人は二十八階層の安全地帯へと辿り着いた。
リィナが大気中に漂う魔力の残滓を鋭く読み取り、小声でアレンに告げる。
「……おかしな話ですね。二十七階層まで、すべての階層にボスが残っていました」
「ああ。帝国のクラン共も、影も形もないな」
アレンは重厚な鉄扉に背を預けた。
「特級魔軌士No.10のガルドが、先日ホテルにいた理由が分かった。……あいつら、この先の壁に叩き伏せられて、総員撤退した後だったんだろう」
「特級上位ですら停滞し、メンツを捨てて逃げ出すしかなかった階層……。ここからが本当の意味での『未踏域』ですね」
リィナの瞳に、わずかな緊張が走る。
アレンは短く頷き、リィナの銀髪を優しく見つめた。
「ここで一時休憩しよう。リィナ、準備を頼む」
「はい。お食事も用意しますね」
リィナが手際よく防御結界を構築し、冷たい鉄の迷宮に、束の間の安息が訪れる。
鉄の匂いとオイルの香りが混ざり合う要塞の深淵で、二人は静かに牙を研いでいた。人類の限界を超え、帝国の「傲慢」を粉砕する、その一瞬のために。




