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ガルディア公国宮殿の深奥に位置する政務室。
重厚な石造りの壁は外界の喧騒を完全に遮断し、室内には冷徹なまでの緊張感が漂っていた。
公女王エリシア・ヴァルステイン・ガルディアは、彫刻の施された執務机に向かい、微動だにせず座っている。
その前には、ガルディアの国政を担う重鎮たちが顔を揃えていた。
四大公爵家の代表、財務卿、軍務卿、そして老練な宰相。
彼らの表情には、一様に「納得がいかない」という不満の影が色濃く刻まれている。
「……三兆エル。陛下、失礼ながら正気とは思えぬ金額ですな」
沈黙を破ったのは、公国の財布を管理する財務卿だった。
彼は手元の報告書を、苛立ちを隠さずに机へ叩きつけた。
「対象はアレン・ヴァルグレイ。階級は上級魔軌士。……たかが上級魔軌士一人の傭兵契約に、国家の年間予算を揺るがすほどの額を投じるなど、あまりに常軌を逸しております!」
「国庫が持ちませぬぞ」と、軍務卿も険しい表情で追従した。
「素性も知れぬ他国の傭兵にこれほどの額を投じれば、民が黙っていないでしょう。これは国防ではなく、無謀な浪費です」
エリシアは感情を排した静かな瞳で、彼らの主張を黙って聞いていた。
彼女は「調停者」として、彼らの認識が旧来の「魔軌士等級」という基準に縛られ、目の前の真実を見誤っていることを悟っていた。
「……あなた方は、アレン殿の戦闘力を根本から誤解しているようです」
エリシアの声は静かだったが、室内の喧騒を切り裂くような鋭さがあった。
「誤解……? 上級魔軌士と特級魔軌士の間には、確実に埋めがたい差があるのは常識です」
宰相が怪訝そうに眉を寄せた。
エリシアはゆっくりと視線を上げ、重鎮たちの顔を一人ずつ見据えた。
そして、セリス・ヴァレンティアから受けた極秘の観察報告を、淡々と共有し始めた。
「アレン殿の現在のナンバーは、あくまで迷宮探索の結果のみを反映したものでしかありません。実際の戦闘力は、既存の特級魔軌士という枠には到底収まらないのです」
エリシアは一度言葉を切り、彼らの反応を確認するように間を置いた。
「彼は、第十位以上の特級魔軌士を容易にあしらう実力を持っています。十人同時に相手取っても、問題にすらならないという。攻撃は届かず、防壁は揺らぎもしない。それが、セリスの観察結果です」
政務室が、凍りついたような静寂に包まれた。
「……そんな馬鹿な。特級魔軌士最上位を、十人も同時に……?」
軍務卿の顔から血の気が引いていく。
「誇張……いや、失礼ながらセリス殿の報告に、何らかの虚偽があるのでは?」
「セリスが誓導者候補として、最も近くで観察した真実です」
エリシアは迷いなく断言した。
「彼女は虚偽を述べるような性格ではありません。そこには誇張は一切ないのです」
重鎮たちは言葉を失い、立ち尽くした。
彼らは「国家戦力の基準」そのものが崩壊するほどの存在を、これまでの人生で想定していなかった。
財務卿は青ざめて書類を握りしめ、宰相は苦悩するように眉間を押さえた。
アレン・ヴァルグレイという男の規格外さが、政治的現実として彼らに突きつけられた瞬間だった。
「アレン殿との契約は──皆様、よく聞いてください。むしろ、『安い』のです」
エリシアは、迷いなく結論を口にした。
「安い……? 三兆エルが、ですか」
「ええ。彼は国家の形を変えうる存在です」
エリシアは理性的でありながら、その言葉には確かな熱量が宿っていた。
「国防、迷宮攻略、そして外交。どれを取っても我が国にとって計り知れぬ価値があります。そのような人物を『適正価格』で雇えると思う方が間違いなのです」
重鎮たちは、もはや反論する言葉を持たなかった。
セリスが語ったというあの男の力は、確かに自分たちの常識を超えていたからだ。
重鎮たちが退室した後、エリシアは一人、自室の窓外を見つめた。
セリスは誠実な女性だ。彼女が見た「理外の光景」は真実だろう。
そしてアレンは、ガルディア公国にとって「未来を変える存在」になり得る。
(この契約は、我が国の命運を左右する……)
窓外、夜の公都を照らす二つの月が、静かに女王の横顔を照らしていた。




