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首都ガルディアスの街並みは、四大迷宮の一つを抱える国家とは思えないほど、穏やかな静寂に包まれていた。
白石の建物が規則正しく並び、行き交う人々の表情には、生活の安定に裏打ちされた特有の「余裕」が漂っている。
その根底には、洗練された魔導工学によるインフラ整備と、何よりもこの国が長年守り続けてきた確かな治安の良さが流れていた。
「アレン様、この先に古い寺院があるんです。中等部時代、寮を抜け出してよく遊びに来ていた、私の思い出の場所なんです」
リィナが銀髪を秋風になびかせ、懐かしそうに細い指で森の奥を指し示した。
アレンは彼女の柔らかな微笑みに惹かれるように、「行ってみよう」と短く応じ、隣を歩き始めた。
首都の喧騒を離れ、人通りの絶えた静かな森へ一歩足を踏み入れると、大気の「質」が明確に変化した。
そこには苔むした石段と、幾星霜もの年月を経て黒ずんだ古びた木造建築の寺院がひっそりと佇んでいた。
周囲の木々は天を衝くほどに高く、差し込む陽光は葉脈を透かして、石畳の上に幻想的な緑の文様を描き出している。
アレンはふと足を止め、眉を寄せた。
彼の《魔力直接操作》が、寺院の裏手にある古い石畳の広場に、奇妙な「空間の澱み」を感知したからだ。
そこには魔術陣の起動痕も、能動的な術式の行使も見当たらない。
しかし、何も無いはずの空間が、物理的に「重い」のだ。
「……リィナ、下がっていろ。何かいるぞ」
「え……? でも、ここには精霊以外、何もいないはずです……」
リィナが戸惑いながらもアレンの背中に隠れる。
アレンは迷いのない足取りで、その「無」の空間へと歩み寄った。
彼の鋭い眼光が一点を射抜き、低く、威圧感のある声が静寂を切り裂く。
「……そこにいるのは分かっている。光学迷彩か何か知らないが、姿を現せ」
アレンの言葉が落ちた瞬間、空気がガラスが砕けるように激しく歪んだ。
反射する陽光が螺旋を描き、今まで背景に溶け込んでいた「巨大な質量」が、現実の質量として再定義されていく。
現れたのは、全長三十メートルを優に超える巨躯。
古びた、けれど鋼よりも硬質の輝きを放つ鱗を全身に纏い、その金色の瞳には世界の理を知る者特有の深い威厳を宿した、伝説の存在――「ドラゴン」だった。
「……懐かしい匂いがするわい」
地響きのような重低音が、寺院の森全体を震わせた。
ドラゴンの吐息が白く混じり、周囲の気温が数度上昇するのをアレンは肌で感じた。
「えっ……ドラ、ドラゴン……っ!? 本物、ですか……!?」
リィナは息を呑み、アレンの服の裾をぎゅっと握りしめた。
ドラゴンは鼻を鳴らして熱風を撒き散らすと、その巨大な顔を、アレンの眼前にまで数センチの距離に近づけた。
「忘れるはずがなかろう。お前は……かつてわしの尻尾を切りおった男じゃろうが」
「……は?」
唐突な告白に、アレンは表情を変えずに首を傾げた。
「アレンさん、尻尾……切ったんですか……?」
背後からのリィナの困惑した視線に、アレンは無機質な声で答える。
「覚えてない」
「覚えてないじゃと!? わしは一瞬たりとも忘れんぞ……あの時の、身を切るような痛みと、絶望を……!」
ドラゴンは憤慨したように喉を鳴らし、寺院の屋根が揺れるほどの鳴き声を上げた。
だが、次の瞬間、彼は毒気を抜かれたように深く長い溜息をついた。
「……まあ、ええわい。お前さんに悪意がないのは分かっておる。頼むから、もう尻尾は切らんでくれ」
「切らないよ。……理由もなくそんなことはしない」
アレンの淡々とした返答に、ドラゴンは静かに目を閉じた。
ドラゴンの正体は、このガルディア公国を二千年にわたり陰から支え続けてきた「真の守護者」だった。
約二千年前、まだこの国が荒野だった頃。
彼は伝説の魔術師セラフィナ・エルフェリスと、その隣にいたアレンに敗北したという。
「セラフィナ様にコテンパンにのされてな。力でねじ伏せられた最後に、命じられたのじゃ。『わしがいなくなった後も、この地の人々を見守り、国を守りなさい』とな」
以来、彼は約二千年間、一度も眠ることなくガルディア公国を見守り続けてきた。
人々に無用な恐怖を与えぬよう、光学迷彩の如き古代魔術で姿を隠し続け、国を脅かす魔獣や災厄を、誰に知られることもなく屠り続けてきたのだ。
「わしは……あの方に命じられた通り、ずっと守ってきた。約二千年、ただの一日も欠かさず、ずっとじゃ」
「……そんなに長い間、たった独りで……」
リィナが同情を込めて呟くと、アレンはドラゴンの古びた鱗に視線を投げ、静かに言葉を添えた。
「大変だったな」
「大変じゃったわい。セラフィナ様は容赦なかったからのう……。だが、おかげで良いものも見れたわ」
アレンは、今日見てきたガルディアを包む穏やかな空気、行き交う人々の笑顔を思い出した。
「……この国はどうなんだ? 守る価値はあったか?」
ドラゴンは少しだけ思案するように目を細め、遥か先に見える首都の空を見上げた。
「見ての通りじゃ。みんな笑顔じゃろう。……良い国じゃ。わしは、この国が好きじゃ。人も、街も、空気もな。守る価値がある国じゃよ、アレン」
その言葉には、二千年の重みを経た真実の響きがあった。
一人の魔術師が遺した未来への願いを、一頭の聖獣が二千年も守り通した結果が、現在の平和なのだ。
アレンはその事実を、自身の魔力回路に刻み込むように静かに受け止めた。
リィナはアレンの横顔を見つめ、彼が抱える「理外」の責任と、それを受け継ぐ覚悟を察したのか、静かに、そして誇らしげに微笑んでいた。




