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世界樹の頂を覆う大気は、今や濃密な黄金の燐光に満たされていた。
その中心で静かに滞空するルミナの輪郭が、呼吸に合わせるように微かに揺らぎ、淡く透け始めている。
ルミナは慈愛に満ちた眼差しを、茫然と立ち尽くす亜連へと向けた。
「アレン様の魔力回路を真に起動させるには……私が、本来の形へと還らなければなりません」
その声には、避けられぬ宿命を受け入れた者特有の、清廉な響きがあった。
セラフィナによって創られた“魔術生命体”。その存在意義の終着点は、アレンの内に宿る理外の力の「核」となること。それは数百年前から定められていた、たった一つの完結だった。
「待って……! そんなの……そんなの嫌だよ……!」
張り詰めた沈黙を切り裂いたのは、リィナの悲痛な叫びだった。
精緻な銀髪が激しく揺れ、その淡い青色の瞳からは、大粒の涙がとめどなく溢れ出す。
リィナは震える両手を宙に伸ばし、消え入りそうな光の塊を必死に繋ぎ止めようとした。
「あなたがいなくなったら……アレンさんは、どうなってしまうの……? 誰が彼を支えるっていうの……っ!」
ルミナはふわりと風に乗り、リィナの目の前まで滑るように移動すると、その小さな、透き通るような指を彼女の頬にそっと添えた。
「大丈夫です、リィナ様。私は消えるのではありません……アレン様の一部になり、永遠に共に在り続けるだけですから。……これからは、あなたが一番近くで彼を支えてあげてください」
そして、ルミナは再び亜連に向き直った。
その宝石のような瞳に、最初で最後の、そして最も深い祈りを込める。
「どうか、生きてください。……私たちの、たった一つの希望として」
ルミナが優しく微笑んだ瞬間、その身体が弾けるように、数千、数万の光の粒子へとほどけた。
淡い金色の吹雪が世界樹の根の上を舞い踊り、リィナの指先を無情にもすり抜けていく。
光の奔流は意志を持つ巨大な渦となり、逃れることのできない引力に導かれるように、一点――亜連の胸の中央へと吸い込まれていった。
「くっ……あ、ああああああああっ!!」
亜連の巨躯が、落雷に打たれたかのように大きく仰け反った。
身体が、内側から爆ぜるような、凄まじい熱量に焼かれる。
胸の奥で、二十年間の人生で一度も開いたことのない「禁忌の門」が、強引に、そして決定的に抉じ開けられた。
初めて、この世界の“真理”である魔力が、全身の血管を駆け巡る。
それはもはやエネルギーという生易しいものではなく、血管の中を沸騰した溶岩が流れるような、絶大な暴力に近い熱だった。
「がはっ……っ!」
亜連は膝をつき、溢れ出す衝撃を逃がそうと拳を根に叩きつけた。黄金の樹皮が、彼の力に耐えかねて深く、無残に抉れる。
ドクン、ドクンと、世界樹の根が亜連の鼓動に呼応するように激しく脈動し始めた。
周囲の大気が物理的な圧力を持って震え、一本の巨大な光の柱が、天を圧殺せんばかりに真っ直ぐに突き抜ける。
リィナは涙に濡れた瞳で、その光の暴風の中に立つ亜連を、ただ祈るように見守ることしかできなかった。
「……あ、あ…………」
やがて、亜連がゆっくりと顔を上げた。
魔力回路が完全に起動し、そこを流れる膨大なエネルギーが、彼という存在の根源を書き換えていく。
その黒い瞳が、一瞬だけ神話的な金色に染まり、周囲に不可視の衝撃波を撒き散らした。
光が収まり、再び耳を劈くような静寂が戻る。
亜連の胸の奥に、かつて響いていたルミナの快活な声はもうなかった。
会話をすることも、その小さな羽ばたきを見ることも、もう叶わない。
だが、心臓の鼓動に重なるように。
微かな、本当に微かな温もりが、そこには確かに残っていた。
深い眠りについた誰かの、静かな寝息のような、優しい気配。
亜連は自身の胸に手を当て、失われた温もりを確かめるように、シャツの上から皮膚を強く握り締めた。
「……行ったのか、ルミナ」
返事はない。
代わりに、かつてないほどに研ぎ澄まされた視界と、全能感に近い重厚な魔力が、彼の内に満ち満ちていた。
現代魔術の体系を根底から覆し、理の守護者として君臨する、最強の魔軌士としての覚醒。
運命の日は、この静寂の中から始まった。




