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セレノア魔術学院の最深部、白亜の回廊が途切れ、重厚な防魔合金の扉が幾重にも重なる区画。そこは、学術の都において最も不吉な数字を冠する場所 ── 『第十三研究所』。
扉が開かれた瞬間に一行を襲ったのは、保存処理を施された古書の匂いではなく、大型演算端末の冷却ファンが吐き出す乾いた熱気と、高周波のノイズが織りなす不快な耳鳴りであった。壁一面を埋め尽くすホログラムモニターには、膨大な魔術式のコードが滝のように流れ落ち、青白い燐光が室内を不気味に明滅させている。
サツキ・ハートフィールドは、一分の隙もない位置取りを維持したまま、茶色の瞳で室内の空気を射抜いた。彼女の武人としての生存本能が、この空間に漂う「異質さ」を鋭敏に嗅ぎ取っていた。
「……アレン様。ここは、人の居場所ではありません」
サツキの低く硬質な声が、演算機の駆動音に混じって響いた。彼女は自身の背負った《星凪》に右手を添えることすらなく、ただ静かな重圧を伴う視線を、熱狂に浮かされる研究員たちへと向けた。
「ここにあるのは、命の熱量ではなく……ただの、部品の置き場です」
その言葉を裏付けるように、中央の実験場では数十名の研究員たちが、自身のアーク・リンクと巨大な魔導共振器を同期させ、陶酔した表情でモニターを凝視していた。彼らの瞳に宿るのは、知理への敬意ではなく、理外の力を手中に収めようとする剥き出しの功名心である。
「実験開始! 周波数固定 ── 座標デリート、実行!」
研究主任の絶叫と共に、室内の魔力圧が異常な高まりを見せた。共振器から放たれた特定の干渉波が、空間の理を強引に揺さぶる。
刹那。
パリン、という乾いた音が、静寂の降りた室内に響き渡った。
それは破壊の音ではない。広間の入り口に展開されていた第一種生活結界が、霧のように薄れ、文字通り「存在しなかったこと」へと書き換えられた瞬間であった。衝撃も、魔力の残滓も、抵抗の跡さえない。ただ、そこにあったはずの術式という「定義」が、情報の海へと強制的に消去されたのだ。
「成功だ! ついにやったぞ!!」
「万歳! セレノアの叡智が、理外の零番を超えた瞬間だ!!」
研究員たちが一斉に拳を突き上げ、地響きのような歓喜の声を上げた。彼らにとって、防犯結界が消えたことによるセキュリティの崩壊など、些末な問題に過ぎない。自分たちの理論が、アレン・ヴァルグレイだけが持つとされる「消去」を再現したという全能感が、彼らの理性を塗り潰していた。
リィナ・フェルウェンはアレンの傍らで、自身の袖口をぎゅっと握りしめ、悲痛な面持ちで狂騒の渦を見つめていた。
「……アレン様。彼らの心の波形……とても危ういです。高揚しているのに、その中心には……深い暗雲のような、底知れぬ虚無が沈んでいます」
リィナの言葉を受け、アレンは無表情のまま、結界が消えた「無」の空間を見据えた。彼の《魔力直接操作》は、研究員たちが喜んでいる「成果」の正体を、冷徹に演算していた。
(……再現、だと?)
アレンの脳裏を掠めたのは、かつて三倍収納カバンの欠陥を覗き込んだ時と同じ、不快な指先の痺れであった。彼の視界の奥で、研究員たちの歓喜する姿が、まるで自らの足場が崩れていく音に気づかず踊り続ける者たちの残像のように映った。
「……リィナ。心配しなくていい。……彼らが抜いたのは、最初から腐りかけていた柱だ。俺の仕事とは、根本的に質が違う」
アレンの極低温の独白は、祝祭の歓声にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
セリス・ヴァレンティアは、研究員たちの熱狂の裏側に潜む危うさを、青い瞳で静かに見つめていた。彼女にとって、この光景は魔術理論への冒涜にも等しいものであった。理論の探求とは、本来、真理への謙虚な歩みであるはずだ。それがいま、目の前では、根拠なき全能感へと変質し、研究員たちの理性そのものを蝕んでいる。彼女は無言のまま、自身のレイピア《煌光穿》の柄を確かめるように指先を添え、その冷たい感触の中に、静かな警戒を込めていた。
「……この浮かれようは、セレノアの知性が育んできたものとは、根本的に別物ですわ」
セリスの呟きは、研究員たちの歓声に紛れて、誰の耳にも届くことなく静かに消えていった。
サツキは室内を満たす熱狂を、武人としての鋭い感覚で観察し続けていた。彼女にとって、この場に漂う「命の熱を欠いた歓喜」は、これまで対峙してきたいかなる敵意よりも、不気味で薄気味悪いものに感じられた。剣を交える者同士の間には、たとえ敵であっても確かな熱の応酬があった。だがこの部屋に満ちているのは、ただ空虚な数字を追い求める者たちの、乾いた高揚だけである。
知の最前線と謳われる第十三研究所。そこには、現代魔術が抱える致命的な「綻び」を福音と見誤り、自らの破滅を万歳で迎える狂信者たちの、無機質な静寂だけが満ち始めていた。
一行は、偽りの奇跡に酔いしれる「部品の置き場」を後にし、さらなる理の揺らぎ ── 四人の魂を直接測定しようとする、過酷な鑑定の場へとその影を進めていった。研究員たちの歓声は、扉が閉ざされた後もなお、遠く籠った音となって回廊にまで響き続けていた。




