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第一種生活結界が「存在しなかったこと」にされるという、偽りの奇跡に沸き立つ第十三研究所。研究員たちが歓喜の声を上げ、互いの肩を叩き合う喧騒の中で、広間の一角に設置された超高精度魔力走査装置 ── 『理の天秤』だけが、異質な不協和音を立てていた。
「……待て。結界の消去ログの裏に、別の波形が混じっている。……これは何だ?」
一人の若き分析官が、走査装置のコンソールに表示された異常な数値に、顔を強張らせた。彼の視線は、結界が消えた座標ではなく、その数メートル後ろに佇むアレン・ヴァルグレイの一行へと注がれていた。
アレンは漆黒のコートの襟を正し、無機質な瞳で装置を眺めていた。アレンを中心に、リィナ、セリス、サツキが、一分の隙もない配置で立っている。彼女たちはただ静止しているように見えたが、走査装置が捉えたのは、四人の個別のバイタルデータではなかった。
「……ば、馬鹿な。四人の魔力波長が、完全に……一つのシステムとして拍動している……!?」
モニターに映し出された波形は、現代魔術が定義する「個の独立」を真っ向から否定していた。そこにあるのは、重厚で深淵なアレンの魔力圧を核とし、三人の誓導者がその「余白」を完璧に補完し合う、幾何学的なまでに整えられた円環。
ドクン、ドクン、ドクン ──。
走査装置のスピーカーから、四人の魂が奏でる《三拍子の鼓動》が、物理的な衝撃を伴って室内に漏れ出した。それは音楽でも、術式の駆動音でもない。生きた魔力が、互いの領分を侵さず、かつ寸分の狂いもなく溶け合うことで生じる、理そのものの拍動であった。
「トラヴァンが提唱する『均質化』など、これに比べれば児戯に等しい……。あちらは法と技術による『強制的な凪』だ。だが、これは……魂レベルでの『完全な調律』ではないか!」
主任研究員が、弾かれたようにコンソールへと駆け寄った。彼の瞳には、先ほどまでの全能感に代わり、文明の前提が足元から崩れ去るような、学術的な戦慄が宿っていた。
魔力循環誓約によって結ばれた四人の回路。それは、国家が予算を投じ、数千人の魔術師を同期させても到達し得ない、生命の共鳴による最終形態。装置が弾き出す「同期率:計測不能」という文字列が、絶望的なまでに点滅を繰り返す。
キィィィィィィィィィィン!!
突如、走査装置の回路から激しい火花が散った。アレンたちの放つ「同期の密度」が、セレノアが誇る最高精度デバイスの許容容量を物理的に食い破ったのだ。装置の奥底から焦げ付いたオゾンの臭いが立ち込め、ホログラムパネルがノイズを吐き出しながら次々と暗転していく。
「測定器が……焼き切れた……? 現代魔術の定規では、彼らの『安寧』すら測ることさえ許されないというのか……」
分析官は、煙を上げる装置の前に力なく膝を突いた。彼らが信じてきた「数値化できる真理」が、アレンという深淵がもたらす「理外の絆」を前に、塵となって霧散した瞬間であった。
その光景を、リィナ・フェルウェンは自身の胸元にそっと手を添えながら見つめていた。彼女にとって、この《三拍子の鼓動》は特別な現象などではなく、日々の暮らしの中で自然と積み重なってきたものであった。それがこうして、セレノアの学者たちの前で「計測不能な奇跡」として扱われることに、彼女は複雑な戸惑いを覚えずにはいられなかった。
「……アレン様。……皆さんが、わたくしたちの鼓動をこんなにも驚いていらっしゃいます」
リィナの呟きには、誇らしさよりも、むしろ静かな困惑が滲んでいた。セリス・ヴァレンティアは、その隣で凛とした表情を崩さぬまま、崩れゆく測定装置を見据えていた。
「……数字にできないものを前にして、狼狽える姿は滑稽ですけれど……。わたくしたちにとって、これは特別なことではありませんもの。日々、当たり前のように積み重ねてきたものですわ」
セリスの言葉には、誇りと同時に、この場の異様な熱狂への冷ややかな距離感が込められていた。
サツキ・ハートフィールドは、測定器が自壊する様を武人としての沈痛な面持ちで見届け、理外の絆を測ろうとした者たちの末路を、ただ静かな呼吸と共に自身の内に刻んでいた。
アレンは、機能停止した装置を一瞥すると、温度を欠いた瞳で学院長アウレリアへと向き直った。
「……アウレリア院長。言ったはずだ。あなたたちの定規では、俺の空気は重すぎる、と」
アレンの極低温の独白が、装置の冷却ファンが止まった後の、墓場のような静寂を硬質に打った。
三人の誓導者は、主の言葉に呼応するように、静かな、しかし抗いようのない威圧を伴って歩み出した。
知の最前線と謳われた第十三研究所。そこには、自らの知性が届かない「真実」を突きつけられた、学者たちの魂の呻きだけが重く沈殿していた。焼け焦げたオゾンの臭いが漂う室内で、先ほどまでの歓喜の声は跡形もなく消え失せ、研究員たちはただ、崩れ落ちた測定装置の残骸を、呆然と見つめ続けるしかなかった。




