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セレノア王宮「白磁の理の広間」。天井の多層式魔導ガラスから差し込む午後の陽光は、床の幾何学模様を精密な光のグリッドとして描き出していた。室内の空気は高度な空調によって一定の湿度に保たれているが、そこに漂っているのは、学術国家としての誇りを曇らせる、拭いきれない自責の重苦しさであった。
円卓を挟んで向き合うのは、ガルディア公女王エリシア・ヴァルステイン・ガルディアと、セレノア王国の女王リュミエ・セレノア。アレン・ヴァルグレイはエリシアの数歩後ろに立ち、その漆黒の瞳で広間の魔力圧を静かに観測していた。アレンのすぐ後ろ、エリシアが座す重厚な椅子の傍らには、サツキ・ハートフィールドが背負った《星凪》の重みを微塵も感じさせぬ佇まいで控え、武人としての研ぎ澄まされた視線を周囲の死角へと走らせている。
「……公女王陛下。まずは、我が国を代表し、心からの謝罪を」
女王リュミエが、蒼銀の髪を微かに震わせ、深く頭を下げた。彼女の背後に控える宮廷魔術師たちも、一様に沈痛な面持ちで視線を落としている。
「我が国のバルトロメウス教授がフェルシアで犯した暴挙。そして、我が国の集魚技術がローレンで最悪の事象を引き起こしたこと……。真理を追究すべき我が国の『知』が、誰かを縛り、傷つけるための鎖に使われた。それは女王である私にとって、死に勝る恥辱です」
リュミエの声には、学術国家の元首としての深い悔恨が滲んでいた。アレンの傍らで、リィナ・フェルウェンが自身の喉元にそっと指先を当て、肺に張り付くような情報の澱みを追い出すように、短く、細い息を吐き出した。彼女の波長観測は、リュミエの言葉の裏側に潜む、トラヴァン共和国が提唱し始めた「規格」という名の凪が、セレノアの知性さえも侵食しようとしている不快な質感を読み取っていた。
「お顔を上げてください、リュミエ陛下。……責められるべきは、知を悪用した者と、それを『正解』へと塗り替えた情報の嵐ですわ」
エリシアの静かだが凛とした声が、広間の沈黙を打った。彼女の右手薬指では、アレンから贈られた共鳴指輪が、主の静かな呼吸に同期するかのように光に反射している。
「わたくしは、世界十五か国首脳会議(WFS)で目の当たりにしました。トラヴァンが提示する『規格』が、いかに容易く一国の主権と誇りを削り取っていくかを。……陛下、彼らの狙いはセレノアの知性そのものです。独自性を『ノイズ』として切り捨て、すべてを彼らの演算回路の一部に組み込もうとしている。いま、セレノアの理論を救わなければ、世界はたった一つの『正解』に窒息してしまいますわ」
エリシアの言葉は、単なる同情ではなかった。アレンの力を背景に、情報の不条理と戦い抜いた一国の王としての、鋭い政治的覚悟がそこに宿っていた。
セリス・ヴァレンティアは、エリシアの斜め後ろで、手元のアーク・リンクに流れる「国際魔導規格」の更新ログを青い瞳で注視していた。魔術師なら誰もが憧れる聖地である、セレノアの誇り高き理論が、効率化という名のヤスリで削り取られていく現状は、底冷えするような憤怒の対象であった。
「わたくしは提案いたします、リュミエ陛下。セレノアの独自理論を、トラヴァンの規格から独立した『非公開プロトコル』としてガルディアの防衛システムと統合することを。……彼らの定規が届かぬ場所を、わたくしたちの手で作るのです」
「それは……、国際社会からの孤立を招く恐れがありますわ」
「孤立ではありませんわ。それは、真理を守るための『聖域』です」
エリシアの強い意志に、リュミエの瞳に微かな、しかし確かな知性の火が灯った。彼女は円卓に置いた両手を静かに組み直し、しばしの沈黙の後、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「……聖域、ですか。学術国家として、それはあまりにも危険な賭けです。トラヴァンが定義する『開かれた協調』から離脱すれば、我が国は国際同盟の中でも異端の座に押し込められるでしょう。……ですが」
リュミエは一度言葉を切り、円卓の向こうに立つアレンへと視線を移した。彼の存在そのものが纏う、理論では捉えきれない異質な重み。それを目の当たりにしたことで、彼女の中で何かが確かに揺らいでいた。
「あなたが《魔術消去》で示したものは、単なる破壊ではなく、『別の理』の存在証明でした。……わたくしたちセレノアが積み上げてきた理論体系が、決して唯一の正解ではないという事実。それをこの目で見せられた以上、トラヴァンの規格に縋る理由も、実は薄れているのかもしれません」
サツキは主の斜め後方で、微動だにせずその外交戦を見守っていた。彼女の直感は、この対話こそが、次の深淵へと続く戦端であることを理解していた。彼女の茶色の瞳には、言葉を交わす二人の女王の背後に、静かに渦巻き始めた新たな覚悟の色が映り込んでいた。
アレンは感情を削ぎ落とした瞳で、壁面のモニターに映し出される情報の流れと、広間の隅々まで浸透し始めた目に見えぬ「凪」を観測していた。アレンの《魔力直接操作》は、一見すれば完璧に管理されたこの王宮の理の中に、現代魔術が抱える構造的な脆さ ── 数値化された正義によって引き起こされる、回避不能な「論理の綻び」を冷徹に演算し続けていた。
(……セレノアもまた、選択を迫られている。トラヴァンの規格に呑まれるか、独自の理を貫くか)
アレンの視線の先で、リュミエが深く息を吸い込み、エリシアへと向き直った。
「……分かりました、エリシア陛下。まずは、我が国の中央図書館と研究施設をご案内いたします。セレノアの『理』が、いかなる土台の上に築かれているか。そして、それがどれほど脆いものであるかを、あなた方自身の目で確かめていただきたい」
リュミエの提案に、エリシアは静かに頷いた。外交戦の第一幕は、まだ結論には至らない。だが、二人の女王の間には、トラヴァンという共通の脅威に対する、微かながら確かな連帯の芽が生まれつつあった。窓の外では、計算され尽くした幾何学の街並みが、変わらぬ午後の陽光を浴びて静かに輝いていた。




