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トラヴァン共和国、首都トラヴェリス。あの一挙手一投足さえも「規格」という名のヤスリで削り取られるような、情報の監獄を離れ、ガルディア公国軍専用機は南大陸の熱気を帯びた上昇気流に乗って、東大陸南部の空域へと滑り込んでいた。高度一万メートルの静寂を支配しているのは、魔導エンジンの規則正しい重低音と、キャビンを穏やかに満たす、トラヴァンの森とは異なる「開放された魔力」の残響であった。
アレン・ヴァルグレイは、一人がけの革張りシートに深く腰掛け、漆黒の瞳を窓外の雲海へと向けていた。彼の周囲には、三人の誓導者たちがそれぞれの得物を手にし、主による「調律」の刻を待っていた。アレンの身体から溢れ出す術式なき魔力圧が、キャビン内の空気を物理的な質量で沈み込ませ、三人の循環系を「三拍子の鼓動」へと深く同期させていく。
「……サツキ。重心が右に零点三ミリ、魔力の通り道が滞っている。トラヴァンの回路は精密だが、遊びがなさすぎるな」
アレンは、サツキ・ハートフィールドから預かったアダマンタイト製の薙刀《星凪》の石突に指先を添えた。《魔力直接操作》の知覚触手が、金属の分子構造の隙間に滑り込み、内部に組み込まれたトラヴァン製の魔力安定回路を、サツキの武人としての呼吸に合わせてしなやかな「理」へと上書きしていく。アレンの循環を受けた《星凪》が、深海のような底知れぬ蒼い燐光を放ち、サツキの魂と完全に同調する。
「感謝します、アレン様。……あなたの鼓動が流れてくるたび、この刃が私の腕の延長から、命の拍動そのものへと変わっていくのが分かります」
向かいの席に座るサツキが、姿勢を正して短く応じた。彼女の茶色の瞳には、主による調律を経て、研ぎ澄まされた武の熱量が宿っている。
アレンは次に、リィナ・フェルウェンが差し出したオリハルコン製の《澄光星環》へと手を伸ばした。
「リィナ。……オリハルコンの環状回路内に、環境ノイズが蓄積している。光属性の純度を一段階引き上げるぞ」
アレンの指先がロッドの先端をなぞると、内部の「星光環状魔力回路」が激しく明滅し、光と水の複合魔力流がかつてない速度で加速を開始した。リィナは自身の左手薬指に嵌められた共鳴指輪の冷たさを感じながら、肺を満たす清浄な魔力の広がりに、穏やかな吐息を漏らした。
「ありがとうございます。……アレン様の魔力が、とても優しく私の内側を洗ってくれるようです」
最後にアレンが向き合ったのは、セリス・ヴァレンティアのレイピア《煌光穿》であった。ガルディア公国・ヴァレンティア辺境伯家の令嬢としての矜持を湛えたセリスの青い瞳が、主の所作を熱心に見つめている。
「セリス。六属性の集束路の干渉を排除した。これで俺の循環を受けた際の過給効率が、理論値で一割向上する」
アレンがレイピアの刀身を指先で弾くと、オリハルコンの金属音が「キィィィン」と澄んだ和音を奏でた。セリスは左手薬指の共鳴指輪を愛おしげになぞり、魔術師としての純粋な知的好奇心と、誓導者としての責任感をその瞳に宿した。
「見事な調律ですわ。……わたくしたちの友好国、セレノア。かつて学院で学んだ理論の故郷を、アレン様と共に訪れることが誇らしいですわ」
やがて機体は高度を下げ、眼下に「学術の都」セレニスの全景が姿を現した。
それは、これまでのどの国家とも決定的に異なる、あまりにも「美しすぎる」幾何学の結晶であった。都市の中央から同心円状に広がる白磁の街並み。巨大な図書館や魔術研究所は黄金比に基づいて配置され、一つ一つの建築物が巨大な魔導回路のパーツであるかのように機能美を誇っている。窓外を流れる街路の一本一本までもが、あらかじめ引かれた設計図の上をなぞるように整然と並び、その隙間から漏れる魔導照明の光さえも、均一な色温度で統一されていた。
だが、機体がセレノア自慢の「最高精度都市結界 ── アトラ・レガリア」の感知圏内に入ったその瞬間、不協和音が弾けた。
アレン・ヴァルグレイという存在。その内側に蓄えられた、世界樹の根源に直結する理外の魔力圧が、セレノアが「完璧な均衡」と定義した空間の防壁と接触したのである。
キィィィィィィィィィィン!!
空中に展開されていた不可視の結界膜が、アレンの放つ圧倒的な存在の質量に耐えかねて、悲鳴のような高周波の摩擦音を上げた。
「アレン様……。ここの魔力、とても澄んでいますが、少しだけ『浮き足立っている』気がします」
リィナが自身の胸元にそっと手を添え、不快な圧迫感を追い出すように細い息を吐き出した。彼女の波長観測は、セレニスの街を覆う均質な魔力密度が、アレンという「天災」の侵入によって物理的な歪みを生じ、演算エラーを吐き出し始めているのを正確に捉えていた。
航空機が滑走路に接地し、白磁のターミナルへと滑り込む。
空港では、セレノア王室が用意した華やかな歓迎のファンファーレが鳴り響いていた。白銀の礼装を纏った楽団が奏でる祝福の音。しかし、その輝かしい音色の裏側で、空港の至る所に設置された魔導警告灯が、不吉な真紅の光を小刻みに点滅させていた。
「──未定義のエラー。魔力圧異常。座標(0,0,0)を中心に、理論外の干渉を検知」
無機質な合成音声による警告が、祝祭の喧騒に紛れて繰り返される。セレノアの技師たちが、手元のアーク・リンクに殺到するエラーログを見て青ざめ、計器を叩く音がそこかしこで響いていた。楽団の奏でるファンファーレは変わらず優雅に続いていたが、その旋律の下で幾つもの警告灯が明滅する様は、まるで祝祭という表層と、警戒という深層が同時に進行する、二重写しの光景を作り出していた。
アレンは周囲で狂ったように明滅する真紅の警告灯を一瞥もせず、音もなくタラップへと足を踏み出した。その数歩後ろ、公女王エリシアのすぐ傍らには、背負った《星凪》の重みを背中で感じながら、武人としての気配を研ぎ澄ませたサツキが控えていた。
アレンが一歩、セレノアの大地を踏みしめるたび、足元から地表へと浸透した魔力圧が、地下の送電網や結界維持回路を「未定義のノイズ」で激しく軋ませていく。
学術の都が誇る「最高精度の理」。それが理外の零番の来訪によって、出会い頭に音を立てて崩れ始めていた。滑走路の端では、セレノアの若い技師の一人が、震える指先で自身のアーク・リンクを操作しながら、上司へと報告のための通信を繋いでいた。その声は、祝祭の喧騒にかき消されながらも、確かな戦慄を帯びていた。
「……主任。理論値を、遥かに超えています。……このままでは、都市結界の維持プログラム自体が、再演算を求められるかもしれません」
アレンはその声を耳に入れることもなく、ただ静かに歩を進めていく。彼の漆黒のコートが、セレニス特有の乾いた風にわずかに揺れた。かつて幾度も訪れた迷宮の深層とは異なる、あまりにも整い過ぎたこの都市の空気を、彼は無機質な感覚で受け止めていた。ここにあるのは魔獣の唸りでも、敵意の刃でもない。ただ、彼という存在そのものが、精密に組み上げられた理論の楼閣に対する「未知数」として扱われているという、静かな、しかし確かな異物感だけであった。
セリスは滑走路を歩きながら、白磁の街並みを懐かしそうに見渡していた。彼女にとってこの国は、かつて誓環学院で理論を学んだ日々と地続きの、憧憬に近い感情を抱く場所である。だがその胸中にも、既にトラヴァンで見た「規格」という名の毒が、微かな影を落とし始めていた。
「……アレン様。この国の理論が、あの均質化の毒に呑まれていないことを祈りますわ」
セリスの呟きは、離陸の際の重低音にかき消されるように、静かに滑走路の風へと溶けていった。




