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次の日の早朝。
トラヴェリス軍用飛行場の滑走路は、森から這い出した濃い朝霧に包まれていた。不自然に整えられた都市の境界線が霧に滲み、魔導エンジンの低い唸りだけが、夜明けの静寂を無機質に震わせている。踏みしめる石畳には夜露が薄く張り、一歩ごとにアレンたちの足音を微かに湿らせた。
ガルディア公国軍専用機へ向かうアレン・ヴァルグレイたちの前に、一人の男が立ち塞がった。
帝国の英雄、魔軌士No.1、ヴァルツ・レグナス。
随伴する誓導者を下がらせ、ただ一人で佇むその姿は、周囲の朝霧を物理的な質量で押し退けるほどの重厚な魔力圧を放っていた。ヴァルツは一歩前へ踏み出すと、鋼を打つような眼光でアレンを真っ向から射抜いた。
「……アレン・ヴァルグレイ。貴様の力は、この世界の定規を遥かに超えている」
ヴァルツの声は低く、硬質な重みを伴っていた。
「トラヴァンの設計図が貴様を『悪』と定義しようと、俺の肌が感じた貴様の理までは否定できん。……だが、忠告しておく。世界は規格で回っている。……そのズレを力ずくで調律し続ければ、いずれ貴様自身が、世界の重みに潰されることになるぞ」
「……御忠告、痛み入りますわ。ですが、わたくしたちの主がそのような定規に収まる器でないことは、貴方が一番よくご存知のはずですわ」
セリス・ヴァレンティアがヴァルツの圧を真っ向から受け流し、凛とした口調で返した。彼女の指先はレイピア《煌光穿》の飾緒に軽く触れ、しかしそれを抜く気配は微塵もなく、ただ言葉のみで一国の英雄に対峙していた。ヴァルツは僅かに口角を上げると、アレンの漆黒の瞳を数秒だけ射抜き、それ以上言葉を重ねる価値なしと断じたように、無言で朝霧の奥へと消えていく。その背中には、かつて剣を交えた者への敬意ではなく、拭い去れない「世界の不協和音」を背負った男への、冷徹な哀れみだけが宿っていた。
ヴァルツが霧の奥へと消えていくのと入れ替わるように、別の影が近づいてきた。アークレスト王国の再建を担うNo.4 グラディウスと、サハリスの至宝No.6 セラフィナである。
「アレン殿。……アルゴリズムが何を語ろうと、アークレストの民は、あの日あなたが救った真実を忘れてはいない」
グラディウスが、その巨躯を折り曲げ、不器用ながらも深い敬意を込めた一礼を捧げた。朝霧の中でも尚、彼の重装の輪郭は揺るぎなく、その言葉には飾り気のない誠実さが滲んでいた。セラフィナもまた、琥珀色の瞳に穏やかな光を宿し、アレンの胸元の紋様へと視線を送った。
「……雪の日の約束は、まだ途切れてはおりませんわ。アレン様、貴方の往く先を阻む不協和音は、わたくしたちの祈りがかき消してみせましょう」
リィナ・フェルウェンは、かつて救い出した同志たちの言葉に、自身の胸元を静かに押さえた。彼女が捉えているのは、政治的に定義された「犯罪者」への視線ではない。最前線で理外の深淵に触れた英雄たちだけが分かち合える、純粋な個としての敬意。その熱量は、冷え切った彼女の心を微かに温める一筋の灯火となった。彼女は自身の左手薬指の共鳴指輪へと視線を落とし、その輝きがいつもより幾分か柔らかく感じられることに、密かな安堵を覚えていた。
サツキ・ハートフィールドは、主の斜め後方に控えたまま、グラディウスとセラフィナの姿を静かに見つめていた。彼女にとって、この二人の敬意は、言葉よりもその佇まいそのものに宿っているように感じられた。武人としての彼女の目は、彼らの一礼の深さ、視線の真っ直ぐさに、偽りのない誠意を見て取っていた。
「……往くぞ」
アレンの極低温の号令。彼は英雄たちの残響を振り返ることなく、漆黒のコートを翻してタラップへと足を踏み出した。彼が一歩進むたび、足元から地表へと浸透した魔力圧が、滑走路の結界回路を「未定義のノイズ」で激しく軋ませていく。その振動は、まるで彼の存在そのものが、この規格化された世界に対する消えない異物であることを、静かに証明し続けているかのようであった。
最新鋭魔導軍用機のハッチが閉じ、重い金属音が朝の静寂に響いた。機内の座席に腰を下ろすと、窓の外にはまだ晴れきらぬ朝霧が、滑走路の輪郭をぼんやりと霞ませているのが見えた。
「……次は、セレノアか」
アレンは一人がけの革張りシートに深く腰掛け、窓外を流れる管理された森を見つめていた。情報の毒によって歪められた世界を、再び理へと引き戻すための旅路。その次なる舞台は、理論と幾何学が支配する知の都――セレノア王国へと続いていた。
隣の座席では、リィナが窓の外を静かに見つめながら、指先で共鳴指輪の表面をなぞっていた。セリスは腕を組み、目を閉じたまま思考を巡らせ、サツキは膝の上に置いた《星凪》の柄に、そっと片手を添えていた。誰も言葉を発さぬまま、機体はゆっくりと滑走路を離れ、上昇していく。
機体は高度を上げ、中央大陸の重厚な碧を猛烈な速度で遠ざかっていく。理外の零番。彼は、全世界の呪詛をその背に負いながら、次なる不協和音の源流へと、その影を滑らせていった。眼下に広がる朝霧の海は、やがて雲の切れ間に呑まれ、トラヴェリスの街並みは静かに、しかし確実に、四人の視界から消えていった。




