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トラヴェリス中央議事堂に隣接する迎賓館「常緑の回廊」では、首脳会議の閉幕を告げる記念晩餐会が催されていた。天井に配された無数の魔導シャンデリアが、計算し尽くされた最適の光量で広間を照らし、最高級の合成香料を含んだ空調の風が、肺を無機質な清涼感で満たしている。
だが、豪奢な円卓を囲む空気は、祝宴とは程遠い「情報の冷気」に支配されていた。壁面を飾る精緻な意匠の彫刻でさえ、この均質化された空間の中では、まるで規格の一部として陳列された装飾品のように、生気のない輝きを放っているだけであった。
アレン・ヴァルグレイは、公女王エリシアの数歩後ろで、壁の一部と化したかのように直立していた。彼の漆黒の瞳は、手元のアーク・リンクへと視線を落とし、刻々と更新される全世界のログを冷徹に演算していた。画面を流れるのは、アレンを「情報の独裁者」と断罪し、アグニスの暗殺未遂をトラヴァンの正義で塗り潰そうとする、一点の曇りもない善意の呪詛である。
広間に集う他国の首脳や随員たちの視線は、アレンたちの周囲に歪な空白を作り出していた。それは物理的な距離ではなく、アーク・リンクによって定義された「世界の敵」を視界から排除しようとする、拒絶の意思であった。給仕の者たちでさえ、アレンの近くを通り過ぎる際には、無意識のうちに歩幅を早め、視線を逸らしていた。
「……アレン様。皆さんの魔力波長が、とても不自然に凪いでいます」
背後に控えるリィナ・フェルウェンが、微かな吐息と共に囁いた。彼女が捉えているのは、議案を否決したという達成感ではない。自らの理性で「否決」を選びながらも、頭の片隅に植え付けられたセイランの正論――「規格こそが救済である」という情報の毒液に、内側から侵食され始めている不協和音であった。リィナは自身の左手薬指の共鳴指輪をそっと撫でながら、この場に流れる冷たい波長から、わずかでも心を守ろうとするように、静かに息を整えていた。
広間の中央では、否決された当事者であるはずのセイラン・ヴァル=トラヴァンが、一点の曇りもない微笑を湛えて各国の王と談笑していた。敗北の陰りなど微塵もない。むしろ、彼は「正解を演算し終えた計算機」のような静謐さで、相手の心に規格の種を蒔き続けていた。
「素晴らしい決断でした、レオニール陛下。……不完全な主権を愛でるその勇気こそ、我々が守るべき多様性の欠片です」
セイランの慈愛に満ちた声が響くたび、周囲の首脳たちの魔力波形が、目に見えぬグリッドへと強制同期されていく。セリス・ヴァレンティアは、凛とした立ち姿のまま、周囲から向けられる毒を青色の瞳で跳ね除けていた。
「……不快ですわね。自らの意思で判断しているつもりで、その実、トラヴァンの引いた定規の上を歩かされていることに気づかないなんて。魔術理論を汚すにしても、これほど悪質なやり方はありませんわ」
セリスの冷徹な独白。気品ある立ち姿を崩さず、周囲から向けられる不当な拒絶の視線を、凛とした一瞥のみで跳ね除け続けていた。
サツキ・ハートフィールドは、主の斜め前方で重心を微動だにさせず、周囲の死角を射抜いていた。祝宴の華やかさの裏側に潜む、殺意なき「管理」の視線。武人としての直感は、この平穏な空間そのものが、一国の誇りを塵のように削り取るための檻であることを察知していた。
祝宴の喧騒から切り離されたその空白へと、重厚な軍靴の響きが近づいてきた。
アグニス王国の王、ヴァルガン・アグニス。彼は手にしたグラスを無造作に傾けながら、周囲の冷淡な視線をその巨躯から放たれる熱気で強引に押し退け、アレンの正面に立った。
「──俺の警告は、役に立ったか。理外の零番」
地響きのような低い声。ヴァルガンの深紅の瞳は、武人としての鋭い光を宿していた。
アレンは表情を変えず、温度を欠いた瞳で老王を見据えた。
「……セイランが作ったあの『凪』のことなら、確かに陛下の言った通りだったな。だが、あいつの引いた定規は、情報を事前に知っていたところで対抗できるような代物じゃなかった。……術式がない以上、消去のしようがない」
アレンの極低温の回答。それは敗北感ではなく、事象を冷徹に演算した結果の吐露であった。ヴァルガンは鼻で短く笑い、空になったグラスを傍らのテーブルに置いた。その音が、この静かな広間の中では意外なほど大きく響いた。
「だろうな。……あいつが振るっているのは刃ではない。世界が『正しい』と信じ込むための物語だ。だが、貴公が回廊でサツキを動かし、あの偽装鎧を『物証』として残さなければ、今頃我が国の騎士たちはトラヴァンの首輪を嵌められていたはずだ。……礼は言わんが、貸しにしておこう」
「貸し借りなどは興味がない。俺はただ、理に合わないノイズを弾いただけだ」
「相変わらず可愛げのない男だ。……だが、忘れるな。物語による侵食は、一度始まれば止まらん。……貴公が次に往く地でも、あの『凪』が待ち構えているだろう」
ヴァルガンはそれだけを言い残すと、再び周囲を圧倒するような威圧感を纏い、情報の冷気が渦巻く雑踏の中へと背中を向けた。彼の後ろ姿は、先の議場で孤立を強いられた姿とは異なり、確かな覚悟を纏っているように見えた。アレンはその背後で、かつてアグニスの風に感じた「魂の熱」の不在を思い返していた。
アレンは、自身の蔦状の紋様が刻まれた胸元を静かに押さえた。指先に伝わるのは、熱を奪われた大地の冷たい震動。現象は消せても、世界が定義し終えた「物語」は消せない。
(……詰みだ。奴にとって、議案の否決すら設計図の一部に過ぎない)
理外の零番は、全世界からの呪詛と好奇の視線を一身に浴びながら、情報の毒に酔いしれる祝宴の底で、次なる調律の刻を静かに待っていた。窓外に広がる管理された森の静寂が、まるで巨大な墓標のように一行の背後で佇んでいた。リィナは無言のままアレンの傍らに寄り添い、セリスは円卓の遠くを見つめる視線の先に、まだ見ぬ次なる戦場の気配を探るように目を細めていた。サツキだけが、この祝宴の中でただ一人、静かな刃のような佇まいを崩すことなく、主の背後を守り続けていた。




