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ガルディア公国を離れ、ルミナは再び中央大陸へと向かう空の上にいた。
季節は巡り、吹き抜ける風には湿り気が消え、代わりに乾いた草花の香りが混じり始めている。
フェルシア農業国の北部に広がる名もなき草原。
そこは今、傾き始めた午後の陽光を浴びて、波打つ黄金の海へと姿を変えていた。
(……あ。秋の色、ですね)
ルミナはふわりと高度を下げ、背の丈ほどもある黄金色の草の合間を泳ぐように進んだ。
彼女の二十センチの身体にとって、揺れる草の葉は巨大な帆船の帆のようであり、その間を縫って飛ぶことは、知識ベースにある「障害物機動訓練」よりも遥かに刺激的で、楽しい経験だった。
その時、一筋の鮮やかな青が、ルミナの視界を横切った。
それは、この大陸でも珍しい「瑠璃大蝶」だった。
ルミナの掌ほどもある大きな青い翅は、鱗粉を散らしながら、秋の陽光を反射してサファイアのように煌めいている。
蝶はルミナの放つ純粋な魔力の燐光に惹かれたのか、警戒することなく彼女の周囲を、愛らしげに旋回し始めた。
「……わぁ。あなたも、ルミナと一緒に遊びたいのですか?」
ルミナは満開の花のような笑顔を見せると、蝶の軌跡を追いかけるように光の翼を羽ばたかせた。
二十センチの妖精と、一羽の青い蝶。 黄金の草原を舞台に、幻想的な光のダンスが描かれる。
ルミナが急上昇すれば、蝶もまた螺旋を描いて昇り、ルミナが宙返りをすれば、青い翅がその軌跡をなぞる。
ルミナの小さな笑い声が、風に乗って草原に溶けていく。
彼女の脳内には、一七〇〇年前の気象データや昆虫の分類学、重力制御の数式が完璧に格納されている。
しかし、今この瞬間に感じている「翅が空気を打つかすかな音」や、「追いかけっこをしている時に胸が温かくなる感覚」は、いかなる古代魔術の理論でも記述できないものだった。
ふと、ルミナは空高く舞い上がり、眼下に広がる世界を見渡した。
どこまでも続く黄金の野、遠くに見える険しい山脈、そして全てを等しく照らす二つの月の予感。
「……あ。世界って、こんなに綺麗なんですね……」
その呟きは、誰に届くこともなく空に消えた。
ルミナは知っている。自分が「鍵」としての役目を果たし、主アレンと合一した瞬間、この「自分」という個体としての意識も、この目で見た景色の記憶も、全ては彼の巨大な魔力の一部となって溶けていくことを。
けれど、寂しさはなかった。
主が守るべきこの世界の美しさを、その幼い感性に刻み込むこと。
それ自体が、彼女に与えられた最後の贅沢であり、誇りだったからだ。
「アレン様……。もう少しだけ、待っていてくださいね」
ルミナは名残惜しそうに蝶に一度だけ手を振ると、夕闇が迫る空へと、再び高く舞い上がった。
目的地は、全ての始まりの場所。
二人目の波長一致者が待つ、世界樹の麓。




