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トラヴェリス中央議事堂。世界十五か国首脳会議(WFS)は二日目を迎え、アグニス王国の軍事権移管という、一国の主権を事実上解体する過激な提案が放たれた後、円形ホールを支配したのは、吐き気を催すほどに均一化された「静寂」であった。均一な魔導照明の下、昨日までの議論の熱量は跡形もなく消え失せ、ただ計算された冷気だけが石床から立ち上っていた。
アレン・ヴァルグレイは公女王エリシアの座す議席の背後で、一切の微動を排して佇んでいた。彼の意識は《魔力直接操作》を介し、議場を満たす魔力波長の不協和音を冷徹に演算し続けていたが、そこにはアザルのような殺意の「熱」は微塵も存在しない。ただ、セイランが構築した「正解」に世界が呑み込まれていく、無機質な凪が広がっているだけであった。
演壇に立つ国家統合庁長官セイラン・ヴァル=トラヴァンが、穏やかな所作でアーク・リンクを操作した。
「──昨日に続いて、二つ目の『エラー』について共有いたします。これはアグニスの暴走と同等、あるいはそれ以上に深刻な、国際秩序の欠損です」
セイランの声はどこまでも澄み渡り、聴く者の警戒心を霧散させる響きを湛えていた。議場中央に展開されていた軍事システムの設計図が霧散し、代わって映し出されたのは、南の大国ローレン海洋王国の「影」であった。
ホログラムに映し出されたのは、ローレンポートの第七港湾区──重機が唸りを上げ、魔獣の乾いた血の匂いが漂うスラムに近い作業場の映像であった。過酷な荷役作業に従事し、全身を魔力の残滓で汚したマリス族の若者たちの姿。それと対比されるように、白亜の王宮で優雅に過ごすローレン族の特権的な生活が、冷徹なデータと共に並べられていく。映像の切り替わりは意図的なまでに鮮烈で、貧富の差を強調するアングルが、繰り返し繰り返し会場の目に焼き付けられていった。
「議題:ローレン海洋王国におけるマリス族差別の構造的問題」
セイランのナレーションが、会場の空気をさらに数度、凍てつかせた。
「港湾労働における深刻な賃金格差。マリス族に対する政治参加の制限。さらには教育機会の不平等。これらはすべて国際同盟への報告義務に違反しており、放置できない人道的問題です。……そして、この差別構造を維持するために、彼らは『理外の暴力』を隠蔽の道具として利用しました」
映像が切り替わり、先日ローレン沖でアレンが商船のデバイスを粉砕した瞬間の、あの加工された映像が再び流される。
『──特務官No.0。彼は王家の非道を闇に葬るため、マリス族の悲鳴ごと、真実のログを抹消したのです』
アレンは感情を削ぎ落とした瞳で、自身を「掃除屋」として定義する物語を観測していた。
(……現象は消せても、この『物語』という呪いは消せない)
アレンたちの手元にあるアーク・リンクが、断続的な微振動を繰り返している。それは全世界から放たれた「差別国家ローレンを許すな」「No.0の拘束を」という、純粋な正義に基づいた毒液のログであった。術式を介さない情報の重圧が、物理的な質量となって一行の肩にのしかかる。振動の周期が、まるで無数の心臓の鼓動が同期していくかのように、次第に規則正しくなっていくのをアレンは静かに観測していた。
ローレン海洋王国の議席に座るアクアリオ・ローレン王は、拳が白くなるほどに円卓を握りしめ、血が滲むほどに奥歯を噛み締めていた。
(……おのれ、セイラン。我らが抱える『澱』をこれほどまでに見事に突き、喉元を塞ぐか……!)
壁面のモニターに映し出された第七港湾区の汚泥と、自身の座す白亜の王宮の対比。それはアクアリオが長年目を背け、アレンに指摘されるまで「平和」と呼んでいたシステムの正体であった。
全世界のレンズが自身の「失策」を覗き込んでいるという事実は、高貴な王族の衣を一枚ずつ剥ぎ取られるような、峻烈な恥辱としてその身を焼く。アーク・リンクに殺到する「差別国家」という刻印が、王の魔力循環を不快に逆流させていた。セイランが紡ぐ福音は、もはやアクアリオにとって、慈悲なき公開処刑の宣告に等しかった。彼は自身の隣に控える随員へ視線を送ることもできず、ただ一人、円卓の重圧に耐え続けていた。
「アレン様……。ローレンの方々の心の波形が、恐怖と絶望に染まって……消えようとしています」
リィナ・フェルウェンが、悲痛な面持ちでローレン特使のラグナ・ティレオンを見つめた。ラグナの魔力波長は、セイランの提示する「正論」という名の檻に閉じ込められ、急速にその輝きを失っていた。リィナは自身の左手薬指に嵌まった共鳴指輪へと視線を落とし、その冷たい輝きの中に、せめてもの拠り所を求めるように指先を添えた。
セリス・ヴァレンティアの青色の瞳には、学術理論を汚し、一国の主権を情報のヤスリで削り取るトラヴァンのやり口に対する、底冷えするような憤怒が宿っていた。彼女は円卓の下で拳を握りしめ、その爪が掌に食い込む痛みだけを、静かに受け入れていた。
サツキ・ハートフィールドは、議場を吹き抜ける「魂の熱を奪う風」を静かに射抜いていた。彼女にとっての真実は、いま背後で守る主の静かな呼吸の中にしかなかった。彼女の視線は、ホログラムに映る港湾区の惨状から一瞬も逸れることなく、その光景を自身の記憶に刻み込むように見つめ続けていた。
「セリス、情報の流れを演算し続けろ。……騒がせておけ。奴が真の『刃』を抜く瞬間まで、俺たちはただの観測者だ」
アレンの極低温の号令。
断罪の円卓。火の国の次は、海の国。一国の歴史と誇りが「国際規格」という名のヤスリで削り取られ、平坦なデータへと書き換えられていく音を、アレンは静寂の中で聞き続けていた。彼の胸元に刻まれた蔦状の紋様が、この場に満ちる重苦しい情報の澱みに呼応するかのように、微かな熱を帯びていく。それでもなお、アレンは表情一つ変えることなく、次なる展開を見据えていた。
議場の壁面モニターには、依然として第七港湾区の映像が流れ続けている。荷役に従事する若者たちの疲弊した横顔が、無機質な照明の下で幾度も繰り返し映し出され、そのたびに議場の空気は、じわりじわりとローレンへの断罪の色を濃くしていった。




