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トラヴェリス中央議事堂の円形ホールを支配していたのは、アグニス王ヴァルガンの咆哮を飲み込んだ、底冷えするような静寂であった。演壇に立つ国家統合庁長官セイラン・ヴァル=トラヴァンは、憤怒に震える王を、壊れた精密機械を慈しむような瞳で見つめていた。均一な魔導照明の下、ヴァルガンの巨躯だけが、この無機質な空間の中で異物のように熱を放っていた。
「──ですから、我々は提案いたします」
セイランの声は、どこまでも澄み渡り、そして無機質であった。彼が手元のアーク・リンクを操作すると、議場中央に展開されていた「蹂躙の映像」が、幾何学的な魔導回路と国際法の条文が緻密に組み合わさった、巨大な「システムの設計図」へと切り替わった。
「アグニス王国の不祥事は、個人の熱情に依存する軍事体系の限界を示しています。これ以上の悲劇を防ぐため、我々はアグニス王国の軍事指揮権を、一時的に『国際同盟安全保障局』へ移管すべきであると考えます。そして──」
セイランの指先が、空中に浮かぶ設計図の一点をなぞる。
「我らトラヴァンが開発した『平等監視システム』を、全アグニス騎士の魔導端末へ強制導入いたします。これにより、騎士道という不確かな『熱』は、国際規格という『光』によって最適化されるのです」
議場が、今日一番のどよめきに揺れた。それは一国の主権である軍事権を、技術と法という名の鎖で縛り上げる、事実上の解体宣言であった。円卓を囲む首脳たちの間で、微かなざわめきが波紋のように広がっていく。その多くは反発ではなく、むしろ「これも一つの合理的な解決策か」という、静かな受容の色を帯びていた。
(……詰み(チェックメイト)を、正義という言葉で飾っているな)
アレン・ヴァルグレイは、公女王エリシアの座す議席の背後で、彫像のごとく動かずにその光景を観測していた。アレンの足元から議場の石床へと浸透した《魔力直接操作》の知覚触手は、議場を圧迫する魔力波長の不協和音が、セイランの提示した「合理性」という名の凪へと、恐ろしい速度で収束していく様を捉えていた。
同時に、アレンたちの手元にあるアーク・リンクが、断続的な微振動を繰り返している。それは、議場を壁面モニター越しに注視している全世界の数億人から放たれた、「規格こそが正しい」「アグニスの暴力に管理を」という、純粋な善意に基づいた呪詛のログであった。術式を介さない情報の毒液が、物理的な質量となって一行の肩にのしかかる。
「……っ、アレン様。あの方の心の波形には、やはり一点の澱もありません。彼は本気で、この鎖がアグニスを救うのだと信じています」
リィナ・フェルウェンが、苦悶の表情で演壇を見つめた。彼女の《思考読解》は、セイランの精神の深淵に、私欲も策略も存在しないことを証明してしまっていた。悪意がないからこそ、彼の振るう刃は、いかなる《魔術消去》でも捉えきれない、絶対的な「正解」として世界を塗りつぶしていく。彼女は演壇に示された非情な設計図を見据え、一人の人間として言葉を失いながらも、公女王エリシアが背負う重圧を少しでも分かち合おうとするかのように、凛とした佇まいでその場に留まり続けた。
「……バカな。騎士の剣を、貴様らの機械で管理しようというのか!」
ヴァルガン王が、絞り出すような声で吠えた。だが、その言葉は議場を埋め尽くす首脳たちの「冷淡な同意」の前に、虚しく霧散していった。首脳たちは、手元のアーク・リンクに映し出される、トラヴァンの案に従った際の「効率化された安全指数」のグラフに、蛇に睨まれた蛙のように魅入られていた。彼らの視線は一様にホログラムパネルの数値へと注がれ、ヴァルガンの叫びに応える者は一人もいなかった。
サツキ・ハートフィールドは、その光景を沈痛な面持ちで見つめていた。彼女にとって、あの設計図は「魂を閉じ込める檻」にしか見えなかったが、この議場を支配しているのは、誇りを塵のように削り取る、均質化の冷たい風であった。演壇に示された『魂を閉じ込める檻』の設計図を一瞥し、主の往く道を阻む不純物をいつでも断ち切れるよう、音もなく重心を僅かに整えた。
「ヴァルガン王。これは管理ではなく、最適化です。二度とあのような悲劇を起こさないための、救済なのです」
セイランの微笑みは、聖者のように慈愛に満ちていた。
トラヴァンが提示した解決案。それはアグニスの誇りを切り裂き、次に狙うべき「獲物」──ローレン海洋王国の主権へと、その矛先を向けようとしていた。
エリシア・ヴァルステイン・ガルディアは、円卓の上で組んだ両手に力を込め、この場で発言することの危険性を冷静に演算していた。ガルディアがここで異を唱えれば、それはセイランにとって「規格への抵抗勢力」を炙り出す絶好の口実となる。彼女は唇を固く結び、ただ静観することしかできない自身の立場に、微かな苦渋を滲ませていた。
セリス・ヴァレンティアの青色の瞳には、一国の武の誇りを機械仕掛けの規格へと変質させようとするトラヴァンのやり口への、底冷えするような憤怒が渦巻いていた。彼女はこの場で剣を抜くことの無意味さを、誰よりも痛感していた。魔術も武も、この「情報の戦場」では何の力も持たない。その事実が、彼女の誇りを最も深く傷つけていた。
アレンは感情を削ぎ落とした瞳で、演壇で静かに微笑むセイランと、議場を圧迫する情報の不協和音を観測し続けていた。世界が飲み込み始めたこの呪いは消せない。アレンは沈黙を貫いたまま、その不気味な凪の底で、システムの「綻び」を演算し続けていた。
彼の脳裏には、これまで戦ってきた敵の顔が次々と浮かんでは消えていった。アザルの狂気、黒鋼派の独善、そしてバルトロメウスの狂信。それらはいずれも、何らかの「術式」という形を持ち、ゆえにアレンの権能で根源から消去することができた。だが、いま目の前で世界を塗り替えようとしているセイランの「福音」には、消すべき術式そのものが存在しない。それは人々の理性そのものに根を張り、自発的な選択という最も強固な土壌の上で育っていく、これまでのどの敵よりも厄介な「正義」であった。
議場の隅で、ヴァルガン王が拳を震わせながら、それでも声を発することができずにいた。その沈黙こそが、トラヴァンの提示した「解決案」が、既に議場の大勢を掌握しつつあることの、何よりの証拠であった。




