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トラヴェリス中央議事堂。円形ホールに満ちていたのは、加工された映像がもたらした不快な残響と、十五か国の首脳たちが一斉に手元のアーク・リンクへと視線を落とす、衣擦れの音だけであった。均一な魔導照明の下、誰の表情にも等しく落ちる無機質な陰影が、議場全体を一枚の静止画のように凍りつかせていた。
「──馬鹿げた断定を口にするな、セイラン・ヴァル=トラヴァン!」
静寂を、地響きのような咆哮が強引に引き裂いた。アグニス王国の王、ヴァルガン・アグニスが、椅子を蹴るような勢いで立ち上がったのである。その巨躯から放たれる熱気が、精密に管理されていた議場の冷気を一瞬にして塗りつぶした。
ヴァルガンの深紅の瞳は、演壇で微笑を絶やさないセイランを真っ直ぐに射抜いていた。
「我が国の騎士たちが動いたのは、純粋な善意によるものだ! 虐げられる同胞を見過ごせぬという、騎士道の名誉に基づいた行動を『ノイズ』だと? 貴公は、数千年の歴史を持つ我が国の魂を、その無機質な言葉遊びで踏みにじるつもりか!」
ヴァルガンの叫びは、ホールに反響し、重厚な石壁を物理的に震わせた。だが、その「熱」に対する議場の反応は、あまりにも「冷淡」であった。周囲の首脳たちは目を伏せ、あるいは手元の端末へと視線を逃がし、誰一人としてヴァルガンの言葉に同調する素振りを見せなかった。
セイランは表情一つ変えず、静かにヴァルガンを見返した。その瞳に宿るのは、怒りでも蔑みでもない。ただ、規格外の部品を検分するような、底知れぬ理性だけであった。
「ヴァルガン王。あなたの言う『名誉』とは、一体誰のためのものですか?」
セイランの声は、低く、そして慈愛に満ちていた。
「個人的な感情で剣を抜き、他国の主権を侵す。それが美徳だというなら、それは国際社会の安定にとっての障害でしかありません。法と規格に従わぬ武力は、どれほど美辞麗句で飾ろうと、単なる暴力です。……アーク・リンクのログをご覧ください。世界はすでに、あなたの『熱』に怯えている」
その言葉に呼応するように、議場の壁面に設置された巨大なモニター群に、リアルタイムで全世界のSNSログが流れ始めた。
『アグニスは侵略国家だ』
『騎士道なんて時代遅れの暴力だ』
『特務官No.0と組んで何を企んでいる?』
アレン・ヴァルグレイは、公女王エリシアの背後で、彫像のごとく動かずにその光景を観測していた。彼の《魔力直接操作》が捉えているのは、議場を満たす魔力波長が、セイランの提示した「正論」という規格へと、急激に同調・収束していく不気味な凪であった。ヴァルガンの熱が孤立していくのに反比例するように、議場全体の魔力波形は静かに、しかし確実に均されていく。
(……なるほど。これが『情報の断罪』か。現象を消す術式はどこにもない)
アレンの感覚触手は、議場を圧迫する物理的な重圧の正体を、全世界から放たれた「正しい意見」という名の不協和音であると演算していた。それは、いかなる《魔術消去》でも根源を掴めない、情報の毒液であった。
傍らに控えるセリス・ヴァレンティアは、唇を血が滲むほどに噛み締めていた。彼女の青色の瞳には、騎士道の誇りを「エラー」として切り捨てる情報の暴力に対する、激越な憤怒が宿っていた。彼女の指先はレイピア《煌光穿》の飾緒を強く握りしめ、爪の先が白く変わっていくのが分かった。
サツキ・ハートフィールドは、孤立していくヴァルガン王の背中を、微動だにせず、ただ静かな重圧を伴う視線で見守っていた。彼女にとって、あの王の叫びこそが真実に聞こえていたが、この議場を吹く風は、すでに彼を見捨てていた。
エリシア・ヴァルステイン・ガルディアは、膝の上で握りしめた拳の震えを必死に抑えていた。
(……明白な、論理の罠ですわ。いま、わたくしがアグニスを庇えば、ガルディアもまた『規格外の暴力』を是認する共謀者に定義される……)
エリシアは、情報の毒が作り出した「否定できない檻」の完成度に、底冷えするような戦慄を覚えていた。ここで声を上げることは、セイランが用意した次のアルゴリズム――「身内の隠蔽」という規格に嵌められることを意味する。彼女の知性は、中立を貫くことの残酷さを、誰よりも深く理解していた。彼女は自身の視線を円卓に落とし、感情の揺れを表情に出さぬよう、静かに息を整えていた。
ヴァルガン王の咆哮を切り捨てるセイランの冷徹な正論を聞きながら、アクアリオ・ローレン王は自身の座す議席が、底知れぬ深淵の上に浮いているような浮遊感を覚えた。
アグニスの「名誉」がエラーとして処理される様は、そのままローレンの「主権」が解体される未来図だ。抗議の声を上げようと唇を震わせるが、胸の奥に澱として残るマリス族問題という弱みが、物理的な重圧となって言葉を押し止める。火の国の王が独り立たされる円卓の光景は、海の王にとって、逃れようのない「規格」という檻の完成を意味していた。
「……反論はないようですね」
セイランの静かな宣告が、議場を凍てつかせた。
アグニス王国の弁明は、全世界から向けられた「冷たい正論」の前に霧散し、火の国は今、完璧な孤立の深淵へと突き落とされた。ヴァルガンは拳を震わせたまま、それでも席に着くしかなかった。その巨躯が椅子に沈み込む音だけが、静まり返った議場に重く響いた。
アレンは感情を削ぎ落とした瞳で、演壇で静かに微笑むセイランを見据え続けていた。
情報の嵐は、まだ第一楽章を終えたに過ぎない。世界が「均質化」という名の鎖に縛られていく音を、アレンは静寂の中で聞き続けていた。ただ静かに、次なる不協和音の予兆を待ち続けていた。




