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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第30章:偽りの潮流

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30-10

ガルディア公国宮殿、公女王執務室。

かつては公国の未来を語るための静謐せいひつな場であった空間は、いまや全世界のサーバーから放たれた「情報の吹雪」に晒されていた。窓の外には見慣れた庭園の輪郭が夜闇に沈んでいたが、室内を満たす空気だけは、外の静けさとは無縁の緊張を孕んでいた。


室内を照らすのは、大型演算端末から空中に投影された幾多のホログラムパネル。そこに踊る文字列は、アレン・ヴァルグレイを「国際犯罪者」「情報の独裁者」として定義するトラヴァン公式通信社の断罪文であり、画面が更新されるたびに、無機質な電子音が弔鐘ちょうしょうのように室内に響き渡っていた。パネルの光が壁に落とす影は、誰かが動くたびに揺らめき、まるで室内そのものが息をひそめているかのようだった。


アレンは、執務机の前に彫像のごとく直立していた。背後にはリィナ、セリス、サツキの三人が、それぞれの沈黙を抱えて控えている。飛行場から宮殿へと直行する道すがら、誰一人として言葉を交わすことはなかった。凍てついた市民の視線と、無数の監視レンズを潜り抜けてきた四人の身には、まだその冷気がまとわりついているようだった。


「……以上が、ローレン海洋王国における事象の全容です」


アレンの声は、極低温のまま室内の空気を物理的な質量で沈み込ませた。彼は一度も目を逸らすことなく、玉座に座るエリシア・ヴァルステイン・ガルディアを見据えている。


「俺が海中のデバイスを粉砕した事実は、トラヴァンの設計図によって『証拠隠滅』へと書き換えられました。アクアリオ王が真実を叫ぼうと、今の世界にとって、俺は排除すべき『不確定なバグ』に過ぎません」


アレンは自身の内側から溢れ出しそうになる、ことわりを無へと還す静かな力を抑え込んだ。彼は一歩前へ踏み出すと、断罪にも似た合理的な進言を口にした。


「エリシア陛下。ガルディアの未来を削り取られたくなければ、今この瞬間に、魔軌士No.0の解任と国外放逐を宣言してください。それが、一国の主としての正しい選択です」


重厚な沈黙が、肺を圧迫するような重みで部屋を支配した。リィナは自身の喉元にそっと指先を当て、肺に張り付くような情報の澱みを追い出すように、短く、細い息を吐き出した。彼女の淡い青色の瞳には、アレンの提言が正しいと理解しながらも、それを受け入れたくないという矛盾した痛みが揺れていた。セリスの青色の瞳には、救世主を「独裁者」へとすり替える情報の暴力に対する、底冷えするような憤怒が宿っていた。彼女は口を開きかけては、また閉じることを繰り返し、拳を静かに握りしめていた。サツキは、主の斜め後方で微動だにせず、武人としての静かな威圧を放っている。彼女にとっての真実は、いま目の前にある主の背中と、あの日守り抜いた不殺の戦場にこそあった。


エリシアは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。彼女の右手薬指では、アレンが贈った共鳴指輪が、部屋を満たす情報の嵐の中でも変わらぬ白金の輝きを放っている。その静かな光は、周囲の無機質なホログラムの光とは対照的に、どこか人の温もりを宿しているようだった。


「……わたくしが、わたくしの目で見た真実を捨てるとお思いですか、アレン殿」


エリシアの声は、静かだが凛とした響きを湛えていた。彼女は執務机を回り込み、アレンの目前で足を止めた。彼女の穏やかな瞳の奥には、公女王としての理性を超えた、一人の友としての確固たる意志が宿っていた。


「世界があなたを『悪』と定義したというのなら、わたくしは、その定義そのものを疑います。……あなたがどれほど合理性を説こうと、ガルディアは、友を売って手に入れる安寧など、必要とはいたしません」


エリシアは空中に浮かぶ断罪のログを一瞥すると、それを右手で無造作に、情報の塵へと還すように消去した。虚空に浮かんでいた無数の呪詛の文字列が、光の粒子となって静かに散っていく。その所作は、まるで彼女自身の覚悟そのものを、この場に示す儀式のようであった。


「来月、トラヴァン共和国にて『世界十五か国首脳会議(WFS)』が開催されます。各国の首脳たちは、そこであなたを『断罪の円卓』へ引きずり出そうと画策しているでしょう。……だからこそ、わたくしは行きます」


エリシアはアレンを見つめ、不退転の決意をその瞳に宿した。


「アレン・ヴァルグレイ殿。……わたくしの盾となり、あの大陸の深淵まで付き従っていただけますか?」


アレンは、自身の蔦状の紋様が刻まれた胸元を静かに押さえた。現象マジックは消せても、世界が定義し終えた物語ノイズは消せない。だが、目の前の女王が選んだのは、そのノイズごと世界を力ずくで調律する茨の道であった。彼の脳裏には、ローレンの防潮堤で交わした武人たちの声や、ガルディアの滑走路で向けられた凍てつく視線の一つ一つが、静かに、しかし確かに刻まれていた。それでもなお、この女王が示した意志の重みを、彼は否定する言葉を持たなかった。


「……承諾した。陛下の行く先を阻む不協和音は、すべて俺が消去する」


アレンの言葉に呼応するように、背後の三人が静かに一礼を捧げた。その所作には、全世界を敵に回した者たちだけが分かち合える、峻烈なまでの連帯が宿っていた。リィナは目を伏せたまま、静かに胸元を押さえ、セリスは凛とした表情の奥に確かな覚悟を滲ませ、サツキは無言のまま、薙刀《星凪ほしなぎ》の重みを確かめるように肩を一度落とした。


数日後。ガルディア軍用飛行場の滑走路には、トラヴァンへと向かう最新鋭魔導軍用機が、その銀翼を夜明けの光に輝かせて待機していた。整備兵たちの間には、以前のような熱狂も、かといって明確な拒絶の色もなく、ただ淡々とした緊張だけが漂っていた。


ハッチへと続くタラップを登る際、アレンは一度だけ、ガルディアの空を振り返った。街を包む空気は、情報の毒によって均質化され、不気味なほどのなぎを保っている。夜明け前の薄闇の中、街の灯りは変わらず穏やかに瞬いていたが、その一つ一つが、いまや彼を疑いの目で見つめる無数の視線であるかのように感じられた。


理外の零番。彼は、全世界からの呪詛と監視のレンズを一身に浴びながら、情報の毒に酔いしれる世界を力ずくで調律するための「断罪の円卓」へと、その影を滑らせていった。


機体は高度を上げ、西大陸のコバルトブルーから、南大陸の重厚なあおへ。最悪の福音と共に幕を開ける「首脳会議」の舞台へと、鉄の翼が咆哮を上げた。


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