30-9
最新鋭魔導軍用機の銀翼が雲海を切り裂き、西大陸の中央――ガルディア公国の領空へと滑り込んだ。
客室内を支配しているのは、高度一万メートルの気圧を調整する魔導空調の乾いた駆動音と、重苦しい沈黙である。窓外に広がる見慣れた山脈の稜線は、夕闇に溶け始めていた。かつてこの峰々を見下ろしながら帰路についた時には、疲労の奥にいつも安堵の温もりがあったはずだった。だが今、四人の誰の胸中にも、その温もりの気配はない。
アレン・ヴァルグレイは一人がけの革張りシートに深く腰掛け、手元のアーク・リンクに流れる情報の「残響」を無機質な瞳で見つめていた。
画面には、ローレン海洋王国での「蹂躙」を告発するトラヴァン公式通信社の記事が、際限なく更新され続けている。アレンの手元で端末が微振動を繰り返すたび、世界中のサーバーから放たれた呪詛がログとなって積み重なっていく。指先でその文字列を一つ一つ追う必要はなかった。要約するまでもなく、そこに書かれている「結論」は、既に世界のどこでも同じ色をしていた。
「……まもなく、ガルディア軍用飛行場に着陸いたしますわ」
セリス・ヴァレンティアが、自身の端末に投影された着陸誘導プロトコルを確認しながら告げた。彼女の青色の瞳には、故郷へ戻る安堵よりも、そこに待ち構えているであろう「澱」に対する底冷えするような警戒が宿っていた。レイピア《煌光穿》の柄を、彼女は無意識のうちに何度も指先で確かめていた。
機体が高度を下げ、首都ガルディアスの灯りが眼下に姿を現した。かつては勝利の象徴として輝いて見えたその光も、今の四人には、真実を塗り潰そうとする情報の灯のように映った。窓に額を寄せたリィナ・フェルウェンの瞳には、無数に瞬く街の光が、まるで無機質な監視の目の集合体であるかのように映り込んでいた。
衝撃と共にタイヤが滑走路を捉え、最新鋭魔導軍用機は白磁の格納庫へと滑り込んだ。ハッチが開き、タラップが降りる。夜気が機内へと流れ込み、それは以前であればどこか懐かしい、故郷特有の柔らかさを孕んでいたはずだった。だが今この瞬間、四人が肌で感じ取ったのは、ただ張り詰めた沈黙だけであった。
一歩、ガルディアの大地を踏みしめたアレンを真っ先に迎えたのは、春の柔らかな夜風ではなかった。
「…………」
出迎えの列に並ぶ公国軍の兵士たち。かつてアレンを「公国の英雄」と称え、最敬礼で迎えた彼らの瞳から、熱狂は跡形もなく消え失せていた。そこに宿っているのは、石像のような無機質な沈黙と、アーク・リンクを通じて定義された「国際犯罪者」を検分するような、逃れようのない疑念の視線である。整列した兵士たちの中には、以前アレンが凱旋した際に真っ先に敬礼を捧げていた顔見知りの姿もあったが、その男もまた、他の者たちと同じ、感情を押し殺した硬い表情を貼り付けているだけであった。
タラップの脇に設置された大型のホログラムモニターが、夜の静寂の中で青白く明滅していた。
『――特務官No.0、独断による軍事介入の波紋。国際同盟はガルディア公国に対し、速やかな事実究明を要求……』
ニュースキャスターの無機質な声が、滑走路の重低音に混じって響く。モニターを見つめる整備兵たちの指先が、アレンの姿を認めるなり、一斉に自身の端末へと動いた。数千、数万のデジタルレンズが、アレンの歩みを「ノイズ」として全世界へ発信し続けている。滑走路の脇に控える者たちの多くが、あからさまにアレンへ視線を向けることを避け、その代わりに手元の端末へと逃げるように顔を伏せていた。
「アレン様……。皆さんの心の波形が、とても……冷たいです」
リィナ・フェルウェンが、アレンの背に隠れるように身を寄せ、震える声で囁いた。彼女が捉えているのは、洗脳による虚無ではない。自分たちは「情報の正解」を確認しているのだという、一点の曇りもない善意の拒絶。悪意がないからこそ、その沈黙は刃よりも鋭く一行の精神を圧迫していた。彼女は自身の左手薬指に嵌まった共鳴指輪を、確かめるように、しかし決して誰にも気づかれぬよう、指先でそっと撫でていた。
サツキ・ハートフィールドは、無言のまま主の斜め前方に立ち、武人としての気配を限界まで押し殺していた。彼女の深い茶色の瞳は、周囲の街角に設置された監視ドローンの紅い監視孔を射抜いている。そこに宿る殺意なき「管理」の視線が、第二の故郷であるはずのガルディアを、異質な檻へと変質させていた。彼女の手は薙刀《星凪》の柄には触れていない。ただ、いつでも構えられるよう、静かに重心を整えているだけであった。
「……往くぞ」
アレンの極低温の号令。彼は周囲の凍てつく視線を、道端の石礫を眺めるような無関心で受け流した。彼が一歩進むたび、足元から地表へと浸透した魔力圧が、滑走路の結界回路を「未定義のノイズ」で激しく軋ませていく。その軋みは、まるで街そのものが彼の存在を拒絶し、抗おうとしているかのような不気味な響きを伴っていた。
軍用飛行場のゲートを抜ける際、遠巻きに見守る市民の一人が、震える指先でアレンを指差した。
「あの御方が……本当に、テロリストなのか……?」
その呟きは、春の夜風にさらわれて消えた。だが、街を包む空気は、もはやアレンたちが知っているガルディアのそれではない。情報の毒によって均質化され、自らの理性で「世界の敵」を選び取ろうとする、不気味なまでの凪。ゲートの外に並ぶ街灯の光は変わらず柔らかかったが、その下を行き交う人々の視線だけが、以前とはまるで別のものへと変質していた。
アレンは、自身の蔦状の紋様が刻まれた胸元を静かに押さえた。現象は消せても、世界が定義し終えた「物語」は消せない。理外の零番は、全世界からの呪詛と監視のレンズを一身に浴びながら、敵に見える不協和音の渦中へと、その影を滑らせていった。彼の後ろに続く三人の足音だけが、静まり返った滑走路に規則正しく響き、やがて夜の闇へと吸い込まれるように消えていった。




