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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第30章:偽りの潮流

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30-6

碧き潮流を切り裂き、透明な「滑走路」の上をアレン・ヴァルグレイたちの影が奔る。アレンの《魔力直接操作アーケイン・マニピュレーション》によって極限まで密度を固定された海面は、物理法則をあざ笑う硬度を保ち、一行を戦場の中心──商船『アクア・ルミナス号』へと最短距離で運んでいた。


前方から吹き付ける潮風には、焦げ付いた魔力の臭いと、張り詰めた殺意の不協和音が混じっていた。夜明け前の薄闇はまだ完全には晴れておらず、鈍く光る海面に、幾つもの艦影が黒々とした輪郭を描いている。視界の先では、白亜の商船を包囲するローレン海軍の旗艦群に対し、アグニス騎士団の高速魔導突撃艦がその巨躯を割り込ませていた。


「……撃てッ! 同胞を、血も涙もない王族の手から救い出すのだ!」


突撃艦の甲板に並ぶアグニスの若き騎士たちが、手にしたトラヴァン製の最新型魔導小銃を一斉に構えた。銃身に刻まれた精密な魔術回路が蒼白く明滅し、次々と魔導弾が射出される。それらはアレンたちの頭上を飛び交い、海面を爆ぜさせ、かつての友好国であるローレン海兵たちを威圧していた。飛び交う弾の一つ一つが、暗い海面に微かな光の尾を引き、まるで星の欠片が降り注ぐかのような不気味な美しさを湛えていた。


「何ですの、あの無様な射撃は……! 誇り高きアグニスの炎を、あのような無機質な『規格』に委ねるなど、武人としてあまりに嘆かわしいですわ!」


セリス・ヴァレンティアがレイピア《煌光穿グロリアス・ライト・ピアース》の飾緒を鮮やかに弾いた。彼女の青色の瞳には、自国の技術を汚され、さらに友邦の騎士たちを操り人形へと変質させたトラヴァンの「情報の毒」に対する、底冷えするような憤怒が宿っていた。


「アレン様、わたくしがこの濁流を一度、静めて差し上げますわ!」


セリスが《煌光穿グロリアス・ライト・ピアース》を天へと掲げると、彼女の周囲に六属性の幾何学的な術式陣が展開された。アレンとの「三拍子の鼓動」を受けて極限まで過給された彼女の深層回路が、海域全体の魔力密度を演算し、最適解を導き出す。展開された陣の一つ一つが淡い光を放ち、複雑に絡み合いながら、彼女の周囲を輝く螺旋として彩っていく。


圧界グラビティ・プレス・全域固定》


セリスがレイピアを海面へと突き下ろした瞬間、商船を中心とした半径数百メートルの空間に、物理的な質量を伴う「重圧」が発生した。アグニスの突撃艦から放たれた魔導弾の弾道が、まるで見えない巨大な掌に押し潰されるように、強引に海面へと引き摺り下ろされ、虚しく水柱を上げる。噴き上がった飛沫が薄闇の中で銀色に散り、しばらくの間、宙に留まっているかのような錯覚を見る者に与えていた。


だが、情報の毒に酔いしれる者たちの狂熱は、重力程度では止まらなかった。『アクア・ルミナス号』の甲板から、トラヴァン製のタクティカルスーツに身を包んだマリス族の若者たちが、三叉槍をアレンへと向けた。


「掃除屋が来たぞ! 俺たちの仲間の犠牲を、また無かったことにしに来たのか!」


三叉槍の先端から、空気を震わせる「広域衝撃弾」が放たれた。それはアレンの《衝撃制御インパクト・リミット》を模倣した魔術式に基づく、不可視の圧力弾である。アレンは滑走を止めず、向かってくる衝撃の「核」を無機質な瞳で見据えた。彼の漆黒のコートが潮風を孕んで大きく波打ち、その足取りには一切の迷いも動揺も見られなかった。


パチン、と乾いた指の音が戦場に反響した。


魔術消去ディスペル・アーツ


刹那、マリスの若者たちが放った広域衝撃弾も、アグニスの騎士たちが追加で放った魔導弾も、その根源にある術式言語を奪われ、ただの無害な空気の揺らぎへと還っていった。物理的な破壊ではない。アレンの権能によって、それらの攻撃が「魔術として機能する」という世界の定義そのものが抹消されたのだ。攻撃の残滓が光の粒となって夜の海に溶け、消えていく様は、まるで戦いの熱量そのものが虚無へと吸い込まれていくかのようだった。


アレンは、自身の手元で霧散していく光の塵を、冷徹に観測していた。


(……飛んできた弾丸の術式マジックは、こうして容易く消せる。だが……)


アレンの視線の先。自分たちが正義だと確信し、一点の曇りもない瞳で次の弾丸を装填する騎士たち。そして、奪われた尊厳を叫びながら三叉槍を叩きつける海賊たち。彼らを突き動かしている「情報の毒」──トラヴァンが定義した「アレン=悪」という規格スタンダードには、消去すべき術式がどこにも存在しない。


(……現象は消せても、この不気味な『なぎ』は消せないか)


魔術ではない、術式なき侵食。その不条理な現実を前に、アレンは事もなげに商船の甲板へと降り立った。足裏に伝わる木甲板の感触は、深層迷宮の重圧とはまるで異質な、しかし確かな緊張を孕んでいた。


「サツキ、前を空けろ。……美食の口直しだ。まとめて処理してやる」


「御意」


サツキ・ハートフィールドが蒼い一閃と化して躍り出た。手にした《星凪ほしなぎ》が真空の衣を纏い、襲いかかる海賊たちの武器を「芯」から砕き、その持ち手を一瞬にして気絶させていく。魔術を介さない純粋な武の練度が、情報の毒に浮かされた者たちを次々とねじ伏せていく。彼女の動きには一切の無駄がなく、踏み込みから斬撃、そして次の相手への転身までが、まるで一つの流れる水のように滑らかに連続していた。


アレンは乱戦の只中で掌を左右に広げると、最大出力で解放した。


衝撃制御インパクト・リミット・全方位拡散》


ド、ンッ!!


海域全体を揺らすような、内臓に響く重低音。アレンの手の平から放たれた「質量なき衝撃」は、アグニスの騎士たち、ローレンの海兵たち、そしてマリスの海賊たちの「外殻」だけを等しく包み込み、彼らの意識を強制的に沈黙させた。誰一人として骨の一本も折れず、ただ糸の切れた人形のように人々がくずおれていく。甲板の上に次々と倒れ伏す身体が、まるで一斉に糸を切られた操り人形のようであった。


数秒前までの怒号が嘘のように、戦場に静寂が戻る。アレンは感情を削ぎ落とした瞳で、重なり合って眠る「正義の犠牲者たち」を見下ろした。夜明け前の薄闇の中、彼らの穏やかな寝顔は、先ほどまでの憎悪や殺意など微塵も感じさせぬほど無垢に見えた。


その頭上──。灰色の雲の間から、数機の偵察ドローンが紅い監視孔をアレンへと向けていた。その無機質な機体は、まるで獲物を狙う猛禽のように、じっと甲板の惨状を映し続けている。


アレンが振るった不殺の慈悲。それはトラヴァンのアルゴリズムによって、「アレン・ヴァルグレイが両国の軍を武力で蹂躙し、沈黙させた」という、最悪の国際犯罪の記録へと、リアルタイムで書き換えられていたのである。


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