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ローレン王宮最上階、「真理の円卓」を包んでいた重厚な静寂は、侍従が震える手で起動させた大型ホログラムモニターの駆動音によって、あっけなく破られた。空中に投影されたのは、トラヴァン共和国公式通信社のロゴが冷たく明滅する報道スタジオの映像である。窓の外では潮風が変わらず吹き抜けていたが、円卓を囲む者たちの背筋には、それとは異質の冷気が音もなく忍び寄っていた。
『──緊急特別追報。学術国家セレノアによる禁忌兵器実験の失敗、および特務官No.0による組織的隠蔽工作。先ほどセレノア当局は一切の関与を否定する声明を発表しましたが、我々はそれを覆す決定的な「技術的矛盾」と、現場での非道な実態を捕捉いたしました』
無機質なキャスターの声が、冷え切った広間に等間隔で響き渡る。画面は二分割され、片側には三十分前に発信されたばかりのセレノア王国、リュミエ女王による緊急否定声明の映像が映し出された。蒼銀の髪を揺らしながら「我が国は一切関与していない。これは技術の悪用である」と毅然として語る女王の表情には、一国の学術的権威を守り抜こうとする確かな覚悟が滲んでいた。だが、その声はトラヴァン側の冷酷なナレーションによって、事実上の雑音として塗り潰されていく。
『……ご覧ください。セレノアが潔白を主張し、ローレン王室がアレン氏の無実を叫ぶその裏で、現場では何が行われていたのか。これは、国家の不祥事を隠蔽するために使い潰された、マリス族の戦士たちの記録です』
画面が切り替わり、昨夜の防潮堤での死闘が流され始めた。だが、そこに映るのは救済の光景ではなく、悪意によって組み替えられた「差別構造」の強調であった。映像の焦点は、クラーケン・レガリアの猛攻に晒され、巨大な触手によって次々と海へ叩き落とされるマリス族の戦士たちの姿を、執拗に、幾度も追い続けている。スローモーションで流される彼らの絶叫と、砕け散る三叉槍。その断片へ、「後方の安全な旗艦に留まり、微動だにせず戦況を見下ろすアクアリオ王とエルシアン王子」の横顔が、繰り返し繰り返し合成されていった。
本来、王族たちが同胞の献身に心を痛め、必死に指揮を執っていたはずのあの瞬間は、アングルの切り替えと不気味な重低音の音楽によって、「マリス族を肉壁として特攻させ、高みの見物を決め込む暴君」という、まったく別の構図へと塗り替えられていた。
『……王族は、セレノアの技術的過失という国際的な不祥事を隠し通す時間を稼ぐため、マリス族を使い捨ての防波堤として戦場に並べたのです。彼らの流した血は、真実を闇に葬るための「コスト」に過ぎませんでした』
「……っ、何ですの、この吐き気を催すような悪意は……!」
セリス・ヴァレンティアの周囲では、抑えきれない憤怒の魔力が陽炎となって立ち上り、円卓を囲む空気を物理的な質量で沈み込ませていた。彼女の青色の瞳には、学術国家セレノアの名誉を泥で塗り潰し、あまつさえ現場で共に戦った者たちの誇りまでもを「被害者という名の駒」に仕立て上げる情報の暴力への、峻烈な憤怒が宿っている。フォークを持つ指のかわりに、いまその指先はレイピア《煌光穿》の飾緒を強く握っていた。
報道の毒液は、なお留まることなくアレン・ヴァルグレイへと牙を剥いていった。
『……ご覧ください。セレノアが潔白を、ローレン王室がアレン氏の無実を叫ぶその裏で、現場では物理的な証拠の抹消が行われていました。一度は公開されたあの粉砕映像。最新の魔力波形解析によれば、アレン氏が放った《魔術消去》は、デバイスを止めるためではなく、そこに刻まれていた「セレノアの全製造ログ」を根源から焼却するための、高度な隠滅工作であったことが判明したのです』
画面には、アレンが指先を弾き、海中のチップを《魔術消去》で粉砕した瞬間のスロー映像が繰り返された。アレンの指先から放たれる漆黒の魔力粒子には、本来存在しない赤黒いノイズのエフェクトがデジタル合成され、空間がひび割れる音には、聴く者の不安を煽るような不快な不協和音が被せられている。デバイスが塵となって崩れる瞬間、画面の下部には鮮烈な赤文字で、決定的な断罪の言葉が刻まれた。
──【特務官No.0、偽りの救世主。王族の非道を隠蔽し、真実のログを抹消か】
「アレン様、窓の外が……!」
リィナ・フェルウェンは、王宮の外から押し寄せる市民たちのどす黒い波形を敏感に捉え、痛ましさに顔を歪めて自身の肩を抱くように身を竦ませた。彼女の《思考読解》は、モニター越しの情報の正体までは掴めない。しかし、王宮のすぐ外、ローレンポートの街中に溢れ出し始めた「人の心」の変質は、目視せずとも肌を刺すような悪意の波となって伝わってきた。
先ほどまで救世主への感謝を口にしていた市民たちは、アーク・リンクに提示された「映像という正解」に激しく動揺していた。
「俺たちの仲間は、隠蔽のために殺されたのか?」
「あのNo.0が、王族の汚れ仕事を請け負ったというのか!」
信じたかった感謝が、世界という巨大な「規格」に否定される。その恐怖が、疑念を確信へと変質させていく。特に「第七港湾区」のスラムからは、ニュースに呼応したマリス族の若者たちが三叉槍を掲げ、怒号を上げながら目抜き通りへと溢れ出し始めていた。彼らにとって、モニターに映る「特攻させられる同胞」の姿は、長年蓄積された差別の痛みと重なり、消えない炎となって魂を焼いていた。
アレン・ヴァルグレイは、自身の顔が「情報の独裁者」として全世界に中継される様を、表情一つ変えずに観測していた。円卓に置かれた彼のカップの中で、冷めきった紅茶の水面が、遠くから伝わる怒号の振動を受けて微かに波打っている。
「……風が変わったな。アグニスの王が言っていた通りだ」
アレンの脳裏には、ヴァルガン王の警告──「術式なき侵食(凪)」という言葉が蘇っていた。魔術では消せない、正義という名の情報の毒。トラヴァンが提示したこの物語は、事実を伝えているのではない。世界が「そうであるべきだ」と望む、残酷なまでに整えられた「規格」を押し付けているのだ。
アレンはモニターから視線を外すと、蒼白な顔で立ち尽くすアクアリオ王とエルシアン王子へと、逃れようのない現実を突きつけた。
「魔術では消せない、正気のままの狂気。セレノアがどれほど潔白を叫ぼうと、あんたたちがどれほど誠実に『魂の公表』を行おうと、トラヴァンのアルゴリズムが提示したこの『特攻の映像』という正解の前では、それは隠蔽者の共謀にしか聞こえない。……凪が、言葉になって世界を塗り潰し始めた。ローレンは、俺と共に『世界の敵』に定義されたんだ」
一同のポケットの中で、そして円卓の上で、アーク・リンクが一斉に断続的な震動を続けている。それは全世界のサーバーから放たれた誹謗中傷のログが、個人の端末を物理的に圧迫している「不協和音」であった。
『隠蔽の零番を極刑に!』
『セレノアの毒を消した証拠を見せろ!』
『世界十五か国会議(WFS)でNo.0を即刻拘束せよ!』
救世主としての誇りを、一国の危機を救ったという事実を、トラヴァンのアルゴリズムが無慈悲に「悪の証拠」へと変換していく。広間に流れる海風は、いまや一国を丸ごと飲み込む、絶対的な孤立の冷気を孕んで吹き抜けていた。




