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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第30章:偽りの潮流

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30-1

ローレン王宮最上階、「真理の円卓」。窓の外に広がるコバルトブルーの海は、昨夜の惨劇が嘘であったかのように凪いでいたが、その静けさは決して安らぎをもたらさなかった。円卓を包む空気は冷え切った潮風と、崩壊を免れた都市が吐き出す重苦しい安堵の混濁だけで満たされている。


円卓の主座には国王アクアリオが腰を下ろし、その傍らにはエルシアン王子が座していた。憔悴の色を隠しきれないその横顔には、しかし昨日までとは異なる何かが宿っている。自らの過ちを直視した者だけが持つ、消えない火のようなものが、彼の瞳の奥で静かに揺れていた。


アレン・ヴァルグレイは窓外の水平線を無機質な瞳で見つめたまま、一歩も動かずに口を開いた。


「アクアリオ陛下。……嵐は去ったが、潮の匂いはまだ濁ったままだ」


極低温の声が、静まり返った広間に硬質に響いた。誰も反論する言葉を持たない、断定的な物言いだった。アクアリオ王は深く、沈痛な面持ちで頷いた。海の男らしい太い指が、円卓の縁を無意識に撫でている。


「……理外の零番よ。貴殿の指摘は、我々ローレン王族が長年目を背けてきた深淵そのものだ。魔獣を呼び寄せたのが王子の独断であったとしても、その土壌を作ったのは他ならぬ私だ」


「土壌、か。随分と生ぬるい表現だな」


アレンは視線を王へと戻すと、逃れようのない診断結果を突きつけた。その口調には、責める熱もなければ慰める柔らかさもない。ただ観測された事実だけが、淡々と積み上げられていく。


「海を病ませているのは魔獣ではない。……マリス族の誇りに甘え、彼らをシステムの部品として組み込んだ、この国の歪な構造そのものが不協和音の正体だ。あんたたちは、彼らを防波堤として使い潰すことで、ローレン族の平穏という名の規格を維持してきた」


アレンが掌を円卓の石面に添えると、指先から漆黒の魔力がわずかに滲み出した。理外の権能――魔術式を介さぬ魔力の直接的な把握が、この都市の循環を静かに読み解いていく。可視化された波長が、青白いグリッドとなって空間に浮かび上がった。それは、ローレンポートという都市が長年維持してきた、あまりにも均質化されすぎた魔力循環の記録であった。網目状に整えられたその光は、美しくはあったが、どこか呼吸を止めた生き物のように硬直して見えた。


「王子が海に沈めたあのデバイス……あれは救済の道具ではない。社会の歪みが上げる悲鳴を遮断するための、ただの耳栓だ。不自然な凪を強制し、理を塗りつぶすことで、あんたたちは問題が解決したと錯覚した。だが、その耳栓の裏側で、膿は深海四千メートルまで溜まり続けていたんだ」


「……耳栓、ですか」


エルシアンが、自嘲気味な笑みを口元に浮かべた。かつて彼の瞳に宿っていた、規格化された無機質な正義の輝きは、もはや欠片も残っていない。代わりに宿っているのは、己の犯した罪の重さを、確かな質量として受け止めた者の顔だった。


「私は、彼らを救いたいと本気で思っていた。けれど、私が選んだのは彼らの隣で血を流すことではなく、彼らの存在を規格という檻に閉じ込めることだった……。アレン殿。私は、救いようのない傲慢の中にいたのですね」


「気づいたなら、あとは自分の足で立て。……他人の定規に縋れば、また同じ風に流されるぞ」


アレンの言葉は短く、しかし王子の背筋を確かに正すだけの重みを持っていた。エルシアンの肩が、わずかに、しかし確実に伸びる。


アレンはアクアリオ王へと向き直ると、断罪を締めくくる最後の一撃を放った。


「真の浄化は、魔術的な解決ではない。種族の間に引かれた効率という名の定規を捨て、構造そのものを再定義することだ。……それができないというのなら、次にこの国を飲み込むのは、魔獣ではなく民の怒りだ」


重厚な沈黙が、円卓を支配した。リィナ・フェルウェンは、主から放たれた言葉の峻烈さにそっと喉元を押さえ、その重みを肺の奥で受け止めるように、深く、静かに息を吐き出した。淡い光を纏う彼女の存在が、張り詰めた広間の中でわずかな柔らかさを添えていたが、その表情には隠しきれない痛みが滲んでいた。セリス・ヴァレンティアは凛とした立ち姿を崩さぬまま、手元のアーク・リンクに映し出される情報の残響を監視し続けている。学術国家セレノアの技術を汚した悪意の源流を追う彼女の視線は、一切揺らぐことがなかった。


サツキ・ハートフィールドは、主の斜め後方で微動だにせず、武人としての静かな威圧を放っていた。昨夜、防潮堤でマリスの戦士たちと共に交わした熱の記憶が、彼女の内側でいまも静かに燃え続けている。誰も声を発さない中、彼女の呼吸だけが規則正しく、変わらぬ静けさを保っていた。


「……肝に銘じよう、理外の零番。ローレンは変わらねばならぬ。この海を、本当の意味で凪へと導くために」


アクアリオ王の宣言。それは、一国の理が書き換えられるための最初の一歩であった。王の声には、これまでの威厳とは違う、何か新しい覚悟のようなものが滲んでいた。だが、理外の零番たちの観測は、まだ終わることを許されなかった。


広間の片隅で待機していた侍従が、震える手で大型ホログラムモニターを起動させたのは、その直後であった。液晶の輪郭が青白く明滅し、緊急信号を示す文字列が空間に浮かび上がっていく。


『──緊急ニュースをお伝えします。ローレンにおける災厄。その真相を語る、決定的な映像を入手いたしました……』


アレンの黒い瞳が、僅かに細められた。王宮に吹いた一筋の風。それは、アグニスの王が警告していた、いかなる魔術消去でも消し去ることのできない、情報の毒液であった。


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