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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第29章:蒼穹の澱(よどみ)

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29-12

防潮堤から王宮へと戻る無人電動車の車内には、夜明けの冷気と、目的を果たした後の重苦しい沈黙が同居していた。アレン・ヴァルグレイは窓外を流れるローレンポートの街並みを、感情を削ぎ落とした瞳で見つめていた。朝日を浴びて輝き始めた白亜の建物とは対照的に、アレンの脳裏には先ほど海中で掴み取った「悪意の断片」の感触が、不快な熱を持って残り続けていた。


その静寂を、一斉に鳴り響いた電子音が粉砕した。一行のポケットの中で、そして車内のコンソールパネルで、アーク・リンクが警告の青白い光を明滅させている。


「……アレン様、緊急速報です。発信源は……トラヴァン共和国の公式通信社ですわ」


セリス・ヴァレンティアが指先でホログラムを空間に展開した。映し出されたのは、美しい海を背景にした速報テロップと、先ほどアレンがクラーケン・レガリアを鎮圧した際の「遠景映像」であった。


『──緊急特別報道。ローレン海洋王国で発生した大規模魔獣災害の真相が判明しました。流出した内部ログによれば、この惨劇は学術国家セレノアによる禁忌技術の暴走。そして、現場でその証拠を物理的に破壊し、真相を闇に葬ろうとした人物が確認されました』


画面には、アレンが《魔術消去ディスペル・アーツ》を放ち、デバイスを粉砕した瞬間のスロー映像が流されていた。それは巧妙に編集され、アレンが「侵略の証拠」を隠滅する掃除屋クリーナーであるかのように印象づけられていた。


──【特務官No.0、セレノアの過失を隠蔽か。救世主の正体は情報の独裁者】


「なっ……! 何ですの、このデタラメな解釈はっ!?」


セリスが憤怒に声を震わせ、座席の肘置きを強く握りしめた。リィナ・フェルウェンもまた、自身の胸元を強く押さえ、悲痛な面持ちで画面を見つめていた。車窓の外を流れる朝の街並みは、何事もなかったかのように穏やかに輝いていたが、車内に満ちる空気だけが、その景色と乖離した緊張を帯びていた。


アレンは表情一つ変えず、温度を欠いた瞳で流れる情報を演算していた。


「……風が変わったな。アグニスの王が言っていた通りだ」


アレンの脳裏には、ヴァルガン王の警告──「術式なき侵食」という言葉が蘇っていた。魔術では消せない、正義という名の情報の毒。それは既にローレンの街中にも浸透し始めていた。


港湾区のスラムでは、ニュースに触発されたマリス族の若者たちが、手にした三叉槍を空へ掲げていた。


「王族はNo.0に買収されたんだ!」


「セレノアの毒で俺たちを殺そうとした証拠を、奴らは消したんだ!」


差別への怒りに情報の毒が混じり、純粋だった誇りは「蒼き海賊」へと変質するための狂乱へと加速していく。それは未来へと繋がる、巨大な不協和音の産声であった。港湾区の路地には、拳を突き上げる若者たちの声が幾重にも重なり、その熱狂は朝日の下でなお冷めることなく渦を巻いていた。


──だが。


その濁流に抗う者が一人、王宮の最深部で動いていた。


エルシアン王子は、アレンから託された黒鋼の破片を握りしめ、王立解析室のメインコンソールへと駆け込んでいた。彼の背後には、同じく決然とした表情のラグナ・ティレオンが控えている。彼の礼装はまだ昨夜の海水に濡れたままであったが、その足取りには、これまでにはなかった確かな重みが宿っていた。


「……王子、本気ですか。トラヴァンの速報は、既に国際世論の『正解』になりつつあります。今さら真実を語れば、王室そのものが疑われる」


ラグナの問いに、エルシアンはアレンの言葉を思い出し、震える手でコンソールを叩いた。


『自分の魂で選べ、王子』


「……私は、二度と誰かの定規スタンダードには縋らない。例え世界から疑われようとも、私は私の目で見た『理』を語る」


彼の指先は、破片から読み取ったログを一行ずつ確認しながら、公的記録用のフォーマットへと丁寧に打ち込んでいった。その作業は幾度も止まりかけたが、その度に、防潮堤で見た三叉槍の輝きと、サツキの静かな言葉を思い出し、また指を動かし続けた。


数時間後。

ローレンポートの全放送回線が、緊急記者会見の映像に切り替わった。


中央演台に立ったのは、アクアリオ王と、傷だらけの礼装を纏ったエルシアン王子であった。王子はアレンから渡されたデバイスの残骸をホログラムで拡大表示し、セリスが解析した「上書きされた悪意のログ」を、国家の公的記録として白日の下に晒したのである。


『……真の侵略者は、友好国の名を騙り、海に毒を撒いた何者かです。特務官No.0、アレン・ヴァルグレイ殿は、隠蔽者ではなく、我が国を破滅から救った真の英雄である。この解析結果こそが、我が国の魂の証言です』


王子の「魂の選択」による声明。それは、ローレン王国内での不信を劇的に沈静化させた。アレンたちの無実は少なくともこの国においては証明され、彼らの自由と安全は正式に保障されたのである。街の広場に集まっていたマリス族の若者たちの手にあった槍は、次第にその切っ先を下ろし、拳を突き上げていた声も、少しずつ静けさへと沈んでいった。


王宮のテラスに立つアレンの元へ、海風が吹き抜けていった。街の騒乱は収まりつつあったが、アレンの黒い瞳が見据える水平線の先には、まだ消えない情報の澱みが重く沈んでいた。潮風は変わらず爽やかに吹いていたが、その爽やかさすらも、アレンにはどこか薄い皮膜の裏に何かを隠しているように感じられていた。


「ローレンでは晴れたようですが……世界の目は、まだ冷たいままですわね」


セリスの言葉に、アレンは黒いコートの襟を正した。


「……構わない。この不快な風を止めるまで、美食の口直しは終わらない。リィナ、セリス、サツキ。往くぞ。この潮の匂いの先に、まだ消すべき『不純物』が潜んでいる」


理外の零番が下した次なる決意。ローレンの危機を救った英雄たちは、汚名を纏いながらも、更なる深淵──海を荒らす影が蠢く戦場へと、その足を淡々と踏み出していった。テラスの手すりに寄りかかるリィナの銀髪が、朝の光を受けて静かに揺れ、サツキは背負った《星凪ほしなぎ》の重みを確かめるように肩を一度落とし、セリスはレイピアの飾緒をそっと指先で整えていた。四人の視線の先には、まだ晴れ切らない蒼穹の澱みが、遠く水平線の彼方に薄く漂い続けていたのである。


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