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翌朝、ローレンポートの白亜の街並みを鮮やかな初夏の陽光が射し込む中、アレンたちは王宮から差し向けられた無人電動車に揺られていた。目的地は、華やかな表通りの喧騒から遠く離れた、巨大港湾施設の最外縁──「第七港湾区」である。
「ここから先は、観光客や一般のローレン族が足を踏み入れることはまずありませんわ」
セリス・ヴァレンティアが、車窓から見える景色の変化を冷徹な瞳で追っていた。舗装された石畳はいつしかひび割れたアスファルトへと変わり、立ち並ぶビルは錆びついた魔導クレーンや巨大な倉庫群に取って代わられていく。大気に混じるのは、芳醇な海産物の香りではなく、海洋魔獣の乾いた血の匂いと、老朽化した機械が吐き出す重苦しい魔力の排気臭であった。窓の外を流れる景色の色合いが、表通りの白から次第に赤茶けた影へと沈んでいくのを、リィナ・フェルウェンは黙って見つめていた。
車が停車したのは、潮風にさらされて赤茶けた鉄筋が露出した、港湾省の出張所の前であった。そこで一行を待っていたのは、港湾省次官ラグナ・ティレオンである。彼は第二妃ミオラと同じくマリス族の血を引く獣人であったが、官僚としての紺色の制服を隙なく着こなし、その海底のような濃い青色の瞳には、実務家としての深い理性と、隠しきれない疲弊が滲んでいた。
「……遠い公国からようこそ、理外の零番。港湾省次官のラグナです。王妃様より、皆様をご案内するよう仰せつかっております」
ラグナは短く、事務的な一礼を捧げた。その所作は洗練されていたが、リィナが密かに放った思考読解の網には、彼が背負っている「同胞」たちの重苦しい精神波形が、不協和音となって引っかかっていた。
(……諦めと、僅かな希望。そして、それらを押し潰そうとする巨大な『規格』の重圧。……この方の心も、とても重いです)
リィナがアレンに微かな視線を送る。アレンは無言のまま、ラグナの先導で港湾区の奥深くへと足を踏み入れた。
案内されたのは、捕獲された海洋魔獣の解体場であった。そこでは、筋骨逞しいマリス族の若者たちが、巨体を持つ魔獣の皮を剥ぎ、魔力を帯びた肉や骨を手際よく仕分けている。彼らの動きには長年培われた熟練の技があったが、その額に浮かぶ汗と、荒く上下する肩の動きからは、体力の限界を押して働き続けている疲労が滲み出ていた。彼らの周囲を飛翔する監視ドローンは、作業の効率を秒単位でログに記録し、わずかな停滞も許さない「無機質な管理」を続けている。
「マリス族は、古くから海と共に生きてきました。海洋魔獣を狩り、航路の安全を守る。それは私たちの誇りでもありました」
ラグナが、解体場の熱気を見つめながら静かに口を開いた。
「ですが、最近はその『誇り』が、セレノアの魔導工学がもたらした『効率』という定規で測られるようになりました。どれほど命を懸けて海を守ろうとも、数値化できない貢献は、この国では『ノイズ』として処理される。……彼らの住むスラムの劣悪な環境も、海軍での特攻に近い危険な任務も、全ては『合理的な配分』の名の下に放置されています」
ラグナの言葉は、単なる差別の告発ではなかった。もっと根深い、社会というシステムそのものが静かに変質していくことへの恐怖が、その低い声の底に沈んでいた。
ふと、アレンが作業場の一角に置かれた、真新しい魔導機器に目を留めた。それはセレノア王国の紋章を模した刻印が打たれた、円筒形のデバイスであった。銀色の表面が、周囲の油じみた喧騒の中で、不自然なほど清潔な光沢を放っている。
「これは何だ?」
アレンの極低温の問いに、ラグナは一瞬だけ表情を曇らせ、それから慎重に言葉を選んだ。
「……セレノアの技術を応用した、新型の『集魚誘導チップ』の試作機です。特定の波長で海洋生物を誘導し、マリス族の漁の負担を減らすという名目で導入されました。……ですが、私にはどうにも、このデバイスから放たれる凪のような魔力が、海本来の揺らぎを殺しているように思えてならないのです」
アレンは掌をそのデバイスに近づけ、《魔力直接操作》で内部の構造を演算した。確かにそこにあるのは、魔術式ではない。極めて均質化された、他者の意思を塗りつぶすための「情報の設計図」であった。
「情報の設計図」とは、「個人の意思(自由な揺らぎ)」を、社会全体の最適化という名目で「エラー(雑音)」として自動排除し、すべてを同じ規格に作り変えるための、世界規模のオートコレクト・システムである。アレンの指先の下で、その円筒形の表面がわずかに脈打つように熱を帯びるのを感じた。生き物の呼吸ではない、明らかに人工の律動であった。
「……誇りと、絶望か」
背後でその光景を見ていたサツキ・ハートフィールドが、静かに呟いた。彼女の茶色の瞳には、過酷な労働に従事しながらも、自身の得物を手入れする瞬間にだけ誇り高い光を宿すマリス族の戦士たちへの、武人としての深い共感が宿っていた。作業の合間、一人の若い戦士が腰の短刀を取り出し、丁寧に刃を布で拭う姿を、サツキはしばらく無言で見つめていた。その所作には、疲れ切った身体からは想像もつかないほどの、静かな誇りが宿っていた。
「彼らの刃には、まだ熱があります。……けれど、その周囲に吹いている風が、あまりにも冷たすぎる」
サツキの言葉に応じるように、第七港湾区に立ち込める霧が、さらに深くなったように感じられた。アレンは黒いコートの襟を正し、ラグナを見据えた。
「……ラグナ次官。あんたが見ている絶望は、ここにあるものだけではないはずだ」
アレンの言葉に、ラグナは僅かに目を見開いた。理外の零番が捉えているのは、目の前のスラムの惨状だけではない。世界規模で進行しつつある、魂の「規格化」という名の、音のない崩壊の予兆であった。ラグナはしばらく口を閉ざしたまま、解体場の奥で作業を続ける同胞たちの背中を見つめていた。彼らの一人一人が、日々摩耗しながらも、まだどこかに残された誇りを頼りに働き続けている。その事実が、ラグナ自身の胸の奥を、静かに、しかし確実に締め付けていた。
「……その通りです、アレン殿。……この澱みは、既に海そのものを侵食し始めている」
ラグナの重い独白と共に、第七港湾区の埠頭には、不気味なほど静かな凪が広がっていた。遠くの海面は朝の光を受けて穏やかに輝いていたが、その静けさは、荒波の後の凪ではなく、何かに押さえつけられたような、不自然な沈黙に近かった。
リィナはその光景を見つめながら、自身の胸元をそっと押さえた。マリス族の若者たちが額に汗を滲ませながら働くその向こうで、監視ドローンだけが淡々と稼働を続けている。誇りと絶望が同じ空の下で共存するこの場所に、彼女はガルディアの雪原とも、サハリスの砂漠とも異なる、静かで底の見えない痛みを感じていた。
美食という誘いに乗って訪れたこの国で、アレンたちが目にしたのは、魔術では決して消去することのできない、人々の「正義」と「生活」を人質に取った、あまりにも残酷な情報の罠であった。潮風は変わらず吹き続け、遠くの波打ち際では、規則正しい駆動音を立てながら、いくつもの監視ドローンが空を旋回していた。その無機質な羽音だけが、第七港湾区の重苦しい静寂を、いつまでも静かに満たし続けていたのである。




