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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第29章:蒼穹の澱(よどみ)

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29-2

ガルディア公国軍の最新鋭魔導軍用機は、南大陸特有の力強い上昇気流を翼で受け止めながら、緩やかに高度を落としていった。眼下に広がるのは、西大陸の穏やかな蒼とは明らかに異質な、鮮烈なコバルトブルーの海である。低い雲の切れ間から差し込む陽光が波頭を次々と切り取り、無数の砕けた宝石を撒き散らしたように輝かせていた。


やがてその海の果てに、巨大な陸地の輪郭が滲むように浮かび上がってきた。南の大国、ローレン海洋王国の心臓部──巨大港湾都市ローレンポートである。


「……凄いですわ。これが、世界一の海運国家の玄関口なんですのね」


セリス・ヴァレンティアが機窓に額を寄せ、感嘆の声を漏らした。眼下には数千隻に及ぶ魔導船舶が整然と列を成し、巨大な魔導クレーンが低い唸りを上げてコンテナを次々と運び出している。四大迷宮の深層を踏破してきた彼女の瞳をもってしても、その圧倒的な物流の密度は新鮮な驚きとして映っていた。


機体が滑走路に滑り込み、重厚なハッチが開かれる。その瞬間、機内を満たしていた乾いた空調の空気に代わって流れ込んできたのは、湿り気を帯びた芳醇な潮の香りと、肌にねっとりと絡みつく熱気であった。ガルディアの峻烈な冬とは真逆の、命の気配に満ちた大気である。


「アレン様、潮の匂いです。……カザリアの風とも、サハリスの砂とも違う、命の匂いがします」


リィナ・フェルウェンがタラップを降りながら、深く息を吸い込んだ。彼女の周囲には、入国と同時に自然と展開されていた光の膜が薄く輝き、南国の強い陽光を乱反射させて、真珠のような色を纏っていた。サツキ・ハートフィールドは背負った得物の重みを確かめるように一度肩を落とし、アレンの半歩後ろで周囲へと視線を配っていた。その茶色の瞳は、歓迎の列に並ぶローレン海軍の整然とした立ち姿の中に、武人らしい規律を静かに読み取っている。


タラップの先。真紅の絨毯が敷かれた道の向こうには、この国の威信を体現する二人の男が待っていた。


一人は、深い群青色の海軍礼装を纏った大柄な男──国王アクアリオ・ローレンである。四十七歳という脂の乗った年齢にふさわしい、潮風に鍛えられた強靭な体躯と、すべてを包み込むような海の包容力を感じさせる立ち姿であった。


その隣には、彼よりも一回り細身ながら、引き締まった身のこなしを見せる青年が立っている。


「ようこそ、理外の零番。そして公国の美しきアンカーたちよ」


アクアリオ王が、雷鳴のような朗々とした声で腕を広げた。


「カザリアの草原に慈悲の風を吹かせた御仁を、こうして我が国へ迎えられたことは、海王としての誇りだ。……紹介しよう。我が息子、第一王子のエルシアンだ」


王に促され、青年が一歩前へ出て深々と頭を下げた。


「お初にお目にかかります、アレン・ヴァルグレイ殿。エルシアン・ローレンです。父より貴殿の武勇と『理』については伺っております。この滞在が、貴殿らにとって至高の休息となるよう、私が責任を持って案内させていただきます」


エルシアン王子の声は、若々しさの中に落ち着いた知性を湛えていた。丁寧な挨拶であった。だが、アレン・ヴァルグレイはその礼儀正しい言葉の裏に、微かな不協和音を感じ取っていた。


王子の肌は、ローレン族(人間)特有の滑らかさを持ちながら、その耳の形状や指先の質感には、マリス族(獣人)の血筋が色濃く滲んでいる。ローレン族の王と、マリス族の第二妃。彼という存在そのものが、かつて血みどろの抗争を繰り広げた両民族が、政略によって結んだ「融和」という名の危うい契約書に他ならなかった。


(……期待と、それ以上の焦燥か)


リィナが密かに己の固有能力を走らせる。王子の心の奥底から伝わってくるのは、救世主を歓迎する純粋な喜びだけではない。自分という「不純物」が、この国の歪な平和を繋ぎ止めるための部品として正しく機能しているか──その答えを、アレンという「究極の個」に見出そうとする、切実な承認欲求であった。


一行は王族専用の大型電動魔導車へと案内された。静かなモーター音とともに車が滑り出すと、車窓にはローレンポートの光と影が交互に映し出されていく。


目抜き通りには白亜の石造りのビルが並び、ローレン族の官僚や商人がアーク・リンクを片手に忙しなく行き交っていた。だが一歩路地を挟んだ港湾区に目を向ければ、そこには過酷な荷役作業に従事し、全身を汗と魔力の残滓で汚したマリス族の若者たちの姿があった。


「この国は、海と共に生きています」


車内でエルシアン王子が、流れる景色を愛おしげに見つめながら口を開いた。


「ローレン族が交易の航路を書き、マリス族が魔獣の手からその航路を命懸けで守る。この二つの歯車が噛み合って初めて、世界への食糧供給は維持されるのです。……アレン殿、貴殿にはぜひ、この美しい『共生』の姿を見ていただきたい」


王子の言葉は、教科書に記された理想のように美しかった。だが、アレンの黒い瞳は、その美しさの奥にある影を冷徹に射抜いていた。


(共生、か。……一方の犠牲の上に成り立つシステムを、そう呼ぶならな)


アレンは座席の肘置きに手を置いたまま、意識だけを地表へと沈めていった。街の活気の下、不可視の魔力波長として伝わってくるのは、澄み渡った海風の揺らぎではない。


それは、ある一定の「規格」へと無理やり均された、不自然なまでに静かな凪であった。人々の熱気や怒り、誇りといった個の感情が、目に見えぬ何かによって削り取られ、平坦なデータへと書き換えられていく──音のない崩壊の残響である。


「……アレン様?」


リィナが不安げにアレンの横顔を覗き込んだ。アレンは視線を窓外へ戻すと、温度を欠いた声で短く応じた。


「……ああ。綺麗な街だ。海も、凪いでいるな」


その言葉に、エルシアン王子は満足げに微笑んだ。だが、その隣に座るサツキだけは、主の言葉の裏に潜む警告を静かに聞き取っていた。武人としての直感が、この美しい蒼穹の裏側に、かつてないほど冷たい「風」の胎動を感じ取っていたのである。


車窓の外を、白亜の建物と、その陰にひしめく灰色の路地が、まるで別々の国のように交互に流れていった。海は変わらず穏やかに凪ぎ、二つの月が昇るにはまだ早い午後の空の下、ローレンポートは何事もない平和な港町の顔をしたまま、その底に沈めた不協和音を誰にも悟らせようとはしなかった。


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