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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第28章:砂塵の残響

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アレン・ヴァルグレイが放った《魔術消去ディスペル・アーツ》によって、物理法則を歪めていた鋼鉄の隔壁が、音もなく塵となって崩れ落ちた。その先に広がっていたのは、放送基地の最深部──中枢区画「ブレイン・コア」である。


室内を支配していたのは、耳の奥を執拗にむしるような電子音と、肺の奥に粘りつく蒼紫色の不気味な魔力光であった。空調からは焦げ付いた魔力と薬品が混ざり合った、アーラム機関特有の腐った匂いが漂っている。天井から吊るされた無数のケーブルが、まるで巨大な生物の内臓のように部屋の中央へと垂れ下がり、その先端がすべて一点へと収束していた。


「……アレン様。私の直感が、これ以上の前進は危険だと告げていますわ」


サツキ・ハートフィールドが薙刀《星凪ほしなぎ》を中段に構え、武人としての鋭い気配を限界まで研ぎ澄ませた。彼女はアレンの斜め前方、死角を完全に埋める位置を維持しながら、広間の中心から放たれる不自然な重圧を射抜くように見据えている。彼女の呼吸は浅く、しかし乱れることなく一定のリズムを刻み続けていた。


部屋の中央。そこには迷宮の第二十四階層から略奪された、膨大な「深層魔力の結晶」が鎮座していた。本来、迷宮を構成する一部であるはずのそれは、無数の魔導ケーブルによって強制的に固定され、ドクドクと不気味に脈動しながら、精神を汚染する毒液のごとき波動を周囲へ放射し続けていた。結晶の表面には無数の亀裂が走り、その隙間から漏れる蒼紫色の光が、まるで生き物の血管のように部屋全体を這い回っていた。


結晶の周囲には、幾重にも重なる幾何学的なホログラムウィンドウが展開されている。そこに流れるのは、かつてアレンがアークレストで沈めた男、アザル・ハル=サーミが遺した自律型プログラムであった。文字列は途切れることなく流れ続け、まるで死してなお生き続ける意志のように、暗い部屋を無機質な光で満たしていた。


「……救済という名の支配。あるじを失ってなお、この不浄な『ことわり』は、世界を縛り続けていますのね」


セリス・ヴァレンティアがレイピア《煌光穿グロリアス・ライト・ピアース》の柄をきつく握り締め、忌々しげに吐き捨てた。解析ログによれば、このプログラムは略奪された魔力を「汚染された精神波」へと変換し、先ほどまで中継器ブースターにされていたセラフィナを介して、今この瞬間も全世界へ毒を撒き続けていたのである。セリスの視線は、流れ続けるプログラムの文字列を一行ずつ追いながら、その悍ましい構造への嫌悪を隠しきれずにいた。


「っ、あ……。意識が、泥に沈んでいくみたいで……!」


リィナ・フェルウェンが胸元を強く押さえ、苦悶に顔を歪めた。結晶から放たれる精神侵食波は、アレンの傍らにある者さえも虚無の淵へと引き摺り込もうとする。額から流れる汗が頬を伝い、顎先から滴り落ちていく。リィナは歯を食いしばり、自身の内側から溢れ出す光魔力を《澄光星環アストラ・ルーセント・リング》へと集束させた。


空間隔絶結界スペース・セパレーション


リィナを中心に、透明な魔力の膜がドーム状に広がった。外界との「干渉そのもの」を物理的に遮断するリィナの固有聖域。結界が完成した瞬間、室内を支配していた重苦しい不協和音が嘘のように霧散し、一行に静寂が戻った。リィナは荒い呼吸を静かに整えながら、それでも視線だけは結晶の脈動から逸らさなかった。


アレンは静かに、脈動を続ける「コア」へと歩み寄った。瓦礫を踏む彼の足音だけが、静まり返った室内に規則正しく響いていた。アレンの視界の中で、結晶を包む防御術式も、複雑なプログラムの羅列も、もはや意味を成さない情報のノイズに過ぎない。アレンは無造作に右手を伸ばし、空間そのものを掴み取るように指を曲げた。


魔力直接操作アーケイン・マニピュレーション


それは、現代魔術の体系を根底から否定する、理外の権能。アレンは魔術式という手順を無視し、ネットワークの核である魔力構造そのものを、物理的な質量としてその掌の中に掴み取った。掌に伝わる感触は、燃え盛る炭のような熱と、氷のような冷たさが同時に押し寄せる、矛盾に満ちた質感であった。


「不合理なシステムだ。……その存在の定義ごと、消えろ」


アレンが掌を強く握り込んだ。彼が消去したのは、装置の物理的な破壊ではない。その魔力が「精神ネットワークとして機能する」という、世界のシステムへの定義そのものの抹消であった。


──パリンッ!!


世界がひび割れるような硬質な音が響き、巨大な魔力結晶が、光の塵となって瞬時に霧散した。同時に、空中を埋め尽くしていた不浄な術式言語が、一文字残らず消滅していく。部屋を満たしていた蒼紫色の光が急速に色を失い、最後には天井の照明が放つ無機質な白光だけが、静かに室内に取り残された。


その瞬間、地上の各地で劇的な変化が起きた。バルムートの空港で、アークレストの執務室で、そしてガルディアの外交茶会で──。虚無の淵に沈んでいた各国要人たちが、一斉に瞳に意志の光を取り戻し、き物が落ちたように大きく息を吐いたのである。


「アレン様、精神リンクの完全消滅を確認しましたわ。各国の特使や次官級の方々、全員の意識が回復したとの速報が入っています!」


セリスの報告に、リィナが安堵のあまり胸を撫で下ろした。彼女の肩から力が抜け、緊張に強張っていた表情が、ようやく柔らかさを取り戻していく。サツキもまた、薙刀の構えを解かぬまま、しかしその瞳には確かな信頼の光を宿して主に頷いた。


「よし。……あとはこの場所を、跡形もなく消すだけだ」


アレンは退却を促しながら、自身の右手に高密度の光魔力を集束させた。アレンを中心とした「三拍子の鼓動」は今、かつてないほど完璧な調律を保っている。彼の指先に灯る白銀の光は、これまでの戦闘で消耗したはずの魔力の疲労を微塵も感じさせない、澄み切った輝きを放っていた。


光刃魔術ビーム・ブレード・アーツ


アレンの手元から伸びた白銀の光刃が、放送基地の心臓部を、土台となる古代遺跡ごと無慈悲に両断した。


「わたくしも手を貸しますわ! 《爆炎砲フレア・キャノン》!」


セリスが放った超高熱の火柱が、両断された中枢装置を白濁した炎の中に飲み込んでいく。鋼鉄が飴のように融解し、不浄な放送を続けていた狂気の拠点は、完膚なきまでに物理破壊された。崩れ落ちる瓦礫の轟音が室内に響き渡り、やがてその音も静けさの中へと吸い込まれていった。理外の零番は、砂漠の底に澱んでいたアーラム機関の狂気の源流を、その手で完全に、そして冷徹に断ち切ったのである。


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