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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第28章:砂塵の残響

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サハリス王宮の最深部、外界の灼熱を完全に遮断した「真理の間」。窓一つない石造りの空間を満たしていたのは、整然と並ぶ大型演算端末が吐き出す低い唸りと、幾重にも重なるホログラムウィンドウが投げかける冷たい青白の光であった。乾いた砂漠の大気は、ここでは高度な魔導空調によって常に一定の湿度と温度に保たれ、かすかに焚かれた香油の匂いが、石の壁に染み込むように漂っている。天井の高い位置に埋め込まれた発光石が、青みを帯びた薄明かりを絶えず降らせ、床に描かれた幾何学模様の魔法陣を静かに照らし出していた。


アレン・ヴァルグレイは、部屋の中央に据えられた黒石の座に、静かに腰を下ろしていた。上半身をはだけた彼の肌には、世界樹の加護を示す蔦状の紋様が、この空間の魔力密度に呼応するかのように不気味なほど鮮明に浮かび上がり、青白い光を吸い込んでは鈍く沈む。座の周囲を取り巻く冷却ファンの音だけが、規則正しく空気を震わせていた。


「……これより、我がサハリス王家に伝わる『魂の構造解析』を開始する。アレン殿、少しばかり意識が遠のく感覚があるだろうが、抗わずに受け入れてほしい」


国王サイファ・サハリスが、琥珀色の瞳を鋭く光らせながらアレンの周囲をゆっくりと歩いた。彼は空中に指先を滑らせ、複雑な幾何学模様を描く魔術式を次々と編み上げていく。指の動きは滑らかで、しかしその奥には、王としての公務とは別の、学者としての抑えきれない緊張が滲んでいた。サハリスが誇る精神魔術の極致──それは対象の魔力波長を深層まで逆行させ、魂の根源的な設計図を暴き出す秘術であった。


「……ああ、構わない。始めてくれ」


アレンが短く応じ、ゆっくりと瞼を閉じた。直後、室内の空気が物理的な重みを伴って震動を開始した。キィィィィィィン、という高周波の摩擦音が鳴り響き、壁一面のホログラムグラフが激しく波打ち始める。アレンの脳裏には、溶けた鉛を流し込まれるような、あるいは深海へと引きずり込まれるような、不快な浮遊感が広がっていった。それは痛みではない。ただ、自分という輪郭が水面に垂らした墨のようににじみ、拡散していく感覚だった。


部屋の隅に控えていたリィナ・フェルウェンは、両手を胸元で重ねたまま、アレンの表情から一切目を離さなかった。淡い青色の瞳には、術式の余波で微かに震える魔力の残滓が、彼女自身の《思考読解》に断片的に流れ込んでくる。だがそれは言葉にならない、雪の匂いに似た遠い何かでしかなかった。セリス・ヴァレンティアは端末の解析ログを凝視し、数値の羅列が示す異常を一行ずつ拾い上げようとしていた。サツキ・ハートフィールドは扉際に直立し、外部からの干渉に備えて薙刀《星凪ほしなぎ》の存在を背に感じながら、室内の空気の揺らぎだけを静かに読み取っていた。


解析開始から数分。順調にデータを読み取っていたはずのサイファの手が、突如として止まった。彼の眉間には深い皺が刻まれ、その顔には、一国の王としての威厳を上書きするほどの戦慄が滲んでいた。


「……っ!? な、なんだ……これは……!?」


サイファが驚愕の声を上げ、空中に浮かぶデータを強引に拡大した。投影されたホログラムパネルには、アレンの魂のイメージが映し出されている。中心部へ向かって情報の糸が収束していくはずのその場所で、解析術式は目に見えるほどの火花を散らし、激しく弾き返されていた。パネルの縁に走る警告の赤い明滅が、室内の壁にも赤く反射していた。


「どうした、サイファ王。……解析は不可能なのか?」


アレンが静かに目を開けた。漆黒の瞳には、術式の干渉を受けてもなお、揺らぎ一つない底知れぬ深淵が宿っている。


「いや……。解析以前の問題だ。……信じられぬ。アレン殿、貴殿の魂の深層は、見たこともない『銀白色の保護層』に覆われている。現代魔術のいかなる理論でも説明のつかない、あまりにも純粋で、強固な……壁だ」


サイファの指し示す先。アレンの記憶領域を包み込むように存在していたのは、不透明な光の膜であった。それは、外部からの精神干渉や解析術式さえも「存在しなかったこと」にする、絶対的な拒絶。だが、サイファはその壁の質に、言いようのない温もりを感じ取っていた。


「これは……『呪い』などではない。もっと純粋で、祈りに近い何か……。いかなる精神侵食も、解析さえも弾き返す、理の外にある力だ。……この保護層が、貴殿の記憶領域を完全に隔離している。無理にこじ開ければ、貴殿の精神そのものが崩壊しかねない」


「隔離……。俺の記憶が、守られている、というのか」


アレンは自身の蔦状の紋様が刻まれた胸元を静かに押さえた。記憶は戻らない。銀白色の髪を揺らし、雪の日に微笑んでいた「彼女」の残像。名前も声も思い出せないその存在が、この魂の深層にある「銀白色の保護層」の正体なのか。アレンの脳裏を掠めたのは、かつて世界樹の根元で感じた、あの途方もない郷愁であった。掌の下で心臓が一度、いつもより重く跳ねた。


リィナは、パネルに映る銀白の光を見つめながら、自身の指先を祈るように強く組み合わせた。誰かがアレンを守っている。その事実が嬉しくもあり、同時に、自分の知らない場所に確かにアレンを想う誰かがいたのだという静かな痛みが胸の奥を締め付けた。彼女はその感情を悟られぬよう、そっと視線を床へ落とした。


セリスは端末の解析ログから目を離さず、温度を欠いた眼光で空間の揺らぎを射抜いていた。理論として説明のつかないものを前にした時、彼女はいつも、感情よりも先に整理された言葉を探そうとする。だが今この瞬間だけは、その思考の回路がわずかに滞っているのを、彼女自身も自覚していた。


だが、アレンはすぐにその思考を断ち切った。彼に宿る《魔術消去ディスペル・アーツ》、そして魔力の根源に触れる《魔力直接操作アーケイン・マニピュレーション》。これらは、いつか世界を飲み込むという「黒き災厄」を消し去るためだけに存在する、理外の対抗手段。


「……ふん。どうやら、俺の役割は思い出すことじゃないらしいな」


アレンは立ち上がると、無造作に衣服を纏った。その背中からは、他者を寄せ付けないほどの圧倒的な魔力圧が陽炎となって立ち昇り、演算端末の数値を警告の赤色へと塗り替えていく。壁際の端末が一斉に小さく唸り、天井の発光石がわずかに明滅した。


「行ってくれるか。あの迷宮……『幻砂冥廊』へ。一刻を争うのだ」


サイファが、すがるような眼差しをアレンに向けた。


「ああ。要人たちの命を救い、俺の力の正体を確かめる。……そのためにここへ来た。明朝、迷宮の深層を叩きに行く」


アレンの言葉には、温度を欠いた、しかし鋼のような硬質の決意が宿っていた。背後で控えていたリィナは、主の魂を守る銀白色の光に切なさを感じ、自身の指先を、祈るように強く組み合わせた。セリスもまた、魔導端末の解析ログから目を離さず、その静かな瞳の奥だけに、これから訪れる戦いへの警戒を宿していた。


サツキは、主の覚悟に応えるように一歩前に出ると、雪原の戦いで得た確かな実感と共に、静かに頷いた。彼女の視線は、扉の外に広がるであろう砂漠の暗闇へと、既に向けられているようだった。


砂漠の月が天頂に達しようとしていた。「真理の間」の重厚な扉が開かれると、廊下の向こうから乾いた夜風がわずかに流れ込み、香油の匂いを攫って消えていった。理外の零番は、凍結された記憶を抱いたまま、次なる断罪の祭壇──熱砂の迷宮「幻砂冥廊」の深淵へと、その一歩を踏み出そうとしていた。


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