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フェルシア魔力農業研究所、地下最深部。そこは、地上の黄金色の平穏とは対照的な、冷たい機械音と高周波のノイズが支配する無機質な空間であった。壁一面に並ぶ培養槽からは蒼い燐光が漏れ出し、空調からは微かに薬液の混じった「重い魔力」の臭いが漂っている。培養槽の中では、正体不明の液体がゆっくりと渦を巻き、その動きだけが唯一この空間に生気を与えているようだった。
「……ありましたわ。バルトロメウス教授の秘匿ディレクトリ、最終階層ですわ」
セリス・ヴァレンティアが、薄暗い研究室のメインコンソールに指先を走らせた。宙に投影された複数のホログラムウィンドウが、彼女の瞳を青白く照らし出す。彼女はヴァレンティア家に伝わる高度な魔導解析術式をアーク・リンク経由で流し込み、幾重にも掛けられたプロテクトを音もなく解体していった。指先が軽やかにコンソールの上を滑るたびに、複雑に絡み合っていた防御壁が一つ、また一つと崩れ落ちていく。
「セリス、急いで。……警備兵の思考に『焦燥』が混じり始めました。私たちの侵入が察知されるまで、あと百二十秒もありません」
リィナ・フェルウェンが、澄光星環を握りしめ、背後の防魔扉を警戒しながら告げた。彼女の『思考読解』は、研究所内を巡回する兵士たちの無機質な意識の中に、不自然な波立ちが広がっていくのを正確に捉えていた。リィナの額にはうっすらと汗が滲み、遠く伝わってくる思考の断片を一つも取りこぼすまいと、瞼の奥で神経を張り詰めさせていた。
「分かっていますわ! ……これです! 二一九六年八月、帝国からレンタルされた三十二階層ボス魔石の『実測ログ』……。そして、これがアレン様の魔力署名と合成・加工された『捏造済み鑑定書』の原本ですわ!」
ウィンドウに表示されたのは、無残に書き換えられたデータの断片だった。教授は、帝国から借り受けた魔石が放つ「深層の不協和音」のラベルを、「アレン・ヴァルグレイが持ち込んだ不純物」へと改竄し、その波長をアレンの過去の換金ログに似せてデジタル加工していた。科学という名の仮面を被った、あまりにも稚拙で、それゆえに悪質な欺瞞。セリスの瞳は、その改竄の痕跡を一行ずつ辿るたびに、静かな怒りで青く燃え上がっていった。
「証拠は確保しました。リィナ、サツキさん、往きますわよ!」
セリスがデータのダウンロードを完了させたと同時に、研究所全体を真紅の警告灯が塗りつぶした。
──キィィィィィィィィィィン!!
鼓膜を突き刺すような警報音。通路の四方に設置された防衛用格納庫が地響きを立てて開き、そこから数十体の古代自動人形が雪崩のように躍り出た。深層迷宮の番人を模して作られたそれらは、農地守護用のセキュリティとしてはあまりにも過剰な殺意をその紅い監視孔に宿している。金属の関節が軋む音が幾重にも折り重なり、まるで鉄の群れが一斉に咆哮を上げているかのような不協和音を廊下に響かせた。
「……来る。アレン様のいない戦場は、久しぶりですね」
サツキ・ハートフィールドが、背負っていた星凪を逆手の軌道で引き抜いた。アダマンタイトの刀身が、室内の蒼い燐光を吸い込んで鋭い銀光を放つ。彼女の呼吸は驚くほど静かだった。アレンとの魔力循環こそ一時的に断たれているが、彼女の深層回路には、あの雪原で結んだ「三拍子の鼓動」の残響が、確かな熱量を持って残り続けていた。柄を握る手のひらに伝わる重みが、彼女の心を静かに研ぎ澄ませていく。
「サツキさん、前をお願いします! 私が死角を埋めます!」
リィナが叫ぶと同時に、サツキが地を蹴った。踏み込みの衝撃で金属製の床板が陥没し、彼女の身体は爆発的な加速で敵の群れへと突っ込んでいく。
「はぁぁぁッ!!」
一閃。《星凪》の刃が、先頭の自動人形の装甲を紙細工のように切り裂いた。彼女の動きには迷いがなかった。リィナが展開する《三重魔導護膜》の微かな「光の粒」が、サツキの背後を星屑のように舞い、一分の隙もない防御陣を形成している。
パリンッ!
自動人形が放った魔力光弾が、サツキの肩先数センチでリィナの護膜に接触し、硬質な音を立てて砕け散る。サツキはその音を合図に、さらに深く敵陣へと踏み込んだ。彼女の視界の端で、砕けた光の破片が蒼い燐光を残しながら宙に散っていくのが見えたが、その一瞬すら彼女の集中を乱すことはなかった。
「目障りですわ! 《爆炎砲》!」
後方からセリスの峻烈な火力が炸裂した。オリハルコン製のレイピアから放たれた極太の火柱が、サツキが切り拓いた道に沿って奔り、密集していた自動人形を次々と爆砕していく。熱波がサツキの肌を焼こうとした瞬間、リィナが放った《水盾》の飛沫が、彼女の周囲だけを優しく冷却した。爆風に巻き上げられた金属片が、蒼白い炎の残光を纏いながら廊下の壁へと降り注いでいく。
(……繋がっている。アレン様がいなくても、私たちの円環は回っている!)
サツキは自身の鼓動が、隣で杖を構えるリィナと、背後で魔術を編むセリスの拍動と完璧に重なっていくのを感じていた。
守られるだけの『器』ではない。三つの楔が互いを補い、高め合う「三位一体」の連携。それは最強の魔術師の隣に立つ資格を得た彼女たちが、主不在の極限状況で初めて到達した、自立した武の地平であった。サツキの胸の奥には、これまで感じたことのない静かな充足が広がっていた。
「突破しますわ! サツキさん、そのまま凪ぎ払って!」
セリスの号令に応じ、サツキが武技《月下・一閃》を放った。月光のような鋭い弧が通路の全域を制圧し、残された自動人形をまとめて瓦礫へと変える。その瓦礫が床に落ちる前に、リィナが展開した《空間隔絶結界》が追撃の爆風を遮断し、三人の退路を完璧に守り抜いた。
崩れ落ちる自動人形の残骸が、金属の雨のように廊下へ降り注ぐ。粉塵と共に舞い上がった蒼白い燐光が、まるで敗れ去った番人たちの最後の抵抗であるかのように、しばらくの間、宙で揺らめき続けていた。
三つの影は、降り注ぐ警報の赤光を切り裂き、研究所の深部から脱出を開始した。その手には、主の無実を証明するための「真実」が握られている。理外の零番を繋ぎ止めていた女性たちは今、自らの意志で、断罪の嵐を終わらせるための「光」へと覚醒しようとしていた。彼女たちの足音は、警報の喧騒にかき消されることなく、確かな決意を刻みながら、研究所の暗い廊下を駆け抜けていった。




