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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第27章:豊穣の陥穽(かんせい)

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フェルシア王宮の地下深く、外部との魔力通信すら完全に遮断された「高密度魔力封印房」。

厚い防魔合金に囲まれたその空間は、窓一つない石壁に閉ざされ、換気設備の微かな唸りと、四方に設置された結界発生器が放つ不快な高周波ノイズに支配されていた。室内の温度は一定に保たれているはずだが、空間を充満する不純な魔力の残滓が、肺を圧迫するような重苦しい澱みとなって大気を沈ませている。石壁の表面にはうっすらと結露にも似た魔力の粒が浮かび、それが時折パチリと小さな音を立てて弾けた。


アレン・ヴァルグレイは、無機質な石床の上に胡坐あぐらをかいたまま、静かに瞳を閉じていた。


両手首を繋ぐのは、現代魔術の粋を集めたとされる「魔力拘束具」。発動する術式を根源から中和し、着用者の魔力回路を強制的に沈黙させるはずのそれは、アレンにとっては単なる重い鉄の輪に過ぎない。彼がその気になれば、指先一つ動かさずとも、この部屋の構造物すべてを分子レベルで消去し、瞬時にガルディアへと帰還することも可能だった。冷たい鉄の感触が手首に食い込んでいたが、その痛みすらアレンにとっては意識の隅に置かれた些事に過ぎなかった。


だが、アレンは動かなかった。


(……リィナたちへの手出しは、今のところないか)


アレンは自身の内側に意識を沈め、魔力循環誓約を通じて微かに伝わってくる三人の鼓動を確認する。彼が空港で無抵抗に投降を選んだのは、保安部隊との武力衝突によって彼女たちが傷つくことを避けるため。そして何より、この地を侵食している「不快な違和感」の正体を、拘束という名の間近な観測によって暴くためであった。三人の鼓動は、それぞれ微妙に異なる律動でアレンの内側に届いていた。リィナの穏やかで芯の強い波、セリスの張り詰めた緊張の波、サツキの静かで揺るぎない波。それらが一つに調和している限り、アレンの判断が誤っていないという確信を、彼はただ静かに噛み締めていた。



重厚な防魔扉が不快な金属音を立てて開き、フェルシア国家保安局(NSB)の制服を纏った保安官が、数名の部下を連れて入室してきた。彼らの顔には、世界最強の「零番」を拘束しているという、薄氷を踏むような緊張と、正義の名のもとに怪物を糾弾しようとする独りよがりの使命感が入り混じっている。先頭に立つ保安官の靴音は、石床に反響するたびに、彼自身の恐怖を隠すかのようにやや大きく踏み鳴らされていた。


「……魔軌士No.0、アレン・ヴァルグレイ。往生際が悪いぞ。お前の『理外の収納空間』の中身をすべて取り出せ。各地の迷宮深層から極秘に持ち出した汚染源の母材……そのすべてを押収する」


保安官の鋭い追及に、アレンは睫毛まつげすら動かさず、温度を欠いた声で応じた。


「……そんなものはない」


「白々しい嘘を! バルトロメウス教授の解析データは完璧だ。教授は二年前、お前が各地の迷宮から持ち帰った不純物を、魔軌士局からの極秘依頼ですでに鑑定済みだ。今、我が国の大地を侵食している毒素の波長は、その時のデータと一〇〇パーセント一致しているんだよ!」


アレンは暗闇の中で、思考の断片を繋ぎ合わせていく。


(……二年前の鑑定データ、か。教授とやらはその時に手に入れた俺の魔力波長をもとに、今回の汚染を偽造したわけか。さらに、俺の『空間収納アーク・ストレージ』を証拠隠滅の道具として定義し、物証がない矛盾を塗り潰した……)


学者の顔をした男が描いた、精緻な罠の設計図。アレンは保安官の言葉から、自分にかけられた「科学的な濡れ衣」の構造を冷静に読み取っていた。石壁の冷たさが背中に伝わる中、彼の思考だけが静かに、しかし着実に、真相へと編み込まれていく。


「答えろ! 誰の指示で不純物を撒いた。 どうやってこの国へ侵入した。 秘密の協力者がいるはずだ。 仲間の名を言え!」


「……質問の前提が間違っている。お前たちが実物を押収できていない時点で、その鑑定データ自体が疑わしいとは考えないのか」


「黙れ! 科学は嘘をつかん! 潔白を証明したいのなら、今すぐその『見えない空間』を開いてみせろ!」


保安官は、自身の無力感からくる苛立ちをアレンにぶつけたが、返ってきたのは深淵のような沈黙だけだった。彼は数秒間、アレンの無表情な顔を睨みつけていたが、やがてその視線に耐えかねたように目を逸らした。成果を得られぬまま、保安官たちは吐き捨てるようにして独房を後にした。扉が閉まる金属音が、余韻を残しながら室内に響き渡った。



再び訪れた静寂。アレンは掌を床に密着させ、自身の権能である《魔力直接操作アーケイン・マニピュレーション》を地中深くへと浸透させていく。指先から伝わる感覚は、石の冷たさを通り越し、遥か下方に横たわる土そのものの質感へと繋がっていった。


(……重いな)


目に見えぬ感覚の触手が捉えたのは、豊穣を謳われるフェルシアの大地が上げている、濁った悲鳴だった。土壌に含まれる魔力の循環系に、本来ならば迷宮の外には存在し得ないはずの、あの「深層の残滓」に似た重苦しい質感が、不気味な泥となって絡みついている。先日の、水環宮の四十階層で肌に浴びた、あの肺に粘りつくような圧力。それが今、遥か遠く離れたこの農業国の地底にも、確かに横たわっていた。


だが、それは迷宮で見た天然の猛毒とは、決定的に質が異なっていた。


(……調律されている。誰かの意志で、この地のことわりに馴染むように。……そして、何かの目的を持って均一化されている)


アレンの脳内で、大地の波形が無機質なデータとして演算されていく。

土壌の深部で不規則な脈動を繰り返す、不純な魔力の塊。それらは、自然な流出によって引き起こされたものではない。ある特定の設計図に基づいて撒かれた、人工的な変質の痕跡。まるで誰かが定規を当てたかのように、その分布には奇妙な均等さが見え隠れしていた。


そして、その不協和音の奥底から放たれているのは、アレンにとって見覚えのある――いや、見覚えがありすぎる「音」だった。


(……俺の署名か。だが、死んでいるな)


大地から検出される波長は、間違いなくアレン本人の魔力署名に酷似していた。しかし、それは今この瞬間も拍動を続けるアレンの生きた魔力ではない。過去の記録をどこからか引き出し、この「泥」に無理やり塗りつけたような、生気のない固定された残響。まるで蝋人形に自分の顔だけを写し取られたかのような、歪で冷たい違和感がそこにはあった。


学者の顔をした誰かが、アレンの「音」を録音し、この不気味な不純物と重ね合わせることで、一つの偽りの証拠を完成させたのだ。科学的な正しさを装いながら、その実体は最初から結論ありきで組み立てられた、精緻な罠の数式。


アレンは暗闇の中で、口元をわずかに歪めた。

国王との引見の場で突きつけられた鑑定書。教授と呼ばれた男の歪な笑み。それらすべてが、今この瞬間、足元の大地が上げている不自然な呻きと一つに繋がっていく。


(……まだだ。証拠が揃うまで、俺はこの泥を数え続ける)


冷徹な観測者の瞳に、漆黒の光が宿る。

かつての救世主を断罪しようとする「陥穽かんせい」の構造は、既にその輪郭をアレンの脳内にさらけ出し始めていた。監獄を支配する重厚な静寂の中で、理外の零番は、ただ静かに「裁きのとき」を待ち続けていた。


アレンは再び深い瞑想へと戻り、自身の蔦状の紋様が刻まれた胸元を静かに押さえた。指先に伝わる紋様の感触は、ほんの僅かに熱を帯びているようにも思えた。大地の不快な鼓動は、一刻ごとにその重さを増している。天井の魔導灯が時折明滅し、独房の壁に落ちる彼自身の影が、細かく揺らめいていた。暴発の刻は、そう遠くないはずだった。


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