表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第27章:豊穣の陥穽(かんせい)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

274/323

27-4

世界最大の食糧供給国、フェルシア農業国の王都フェルシアナ。その中心に鎮座する白亜の王宮執務室では、今まさに一つの「虚偽」が歴史の真実を塗り替えようとしていた。


窓の外に広がるのは、本来ならば黄金色の波を打っているはずの広大な小麦畑。だが今、そこにあるのは不自然な蒼い燐光を帯びて震える、死の静寂を纏った土壌だった。微かな風が吹き込むたび、肺の奥を直接掴むような「重い魔力」の残滓が、執務室の空気を鉛のように重く沈ませていた。壁に掛けられた豊穣の女神を描いた古い絵画さえ、その不吉な光を映して淡く滲んでいるように見えた。


「──信じられぬ。あの救世主、アレン・ヴァルグレイが、そのような暴挙に出るはずがない」


国王アウロス・フェルシアが、悲痛な響きを伴う声を絞り出した。彼の眼前に浮かび上がるホログラムウィンドウには、バルトロメウス・エルド教授が作成した「土壌汚染解析報告書」が不気味に発光している。分厚い報告書のページをめくるたび、王の指先はかすかに震えていた。


アウロスは、かつてカザリアの内乱を無傷で収束させたアレン・ヴァルグレイの誠実さを信じたかった。だが、王の理性を削り取ったのは、学術国家セレノアが保証する残酷なまでの「科学的根拠」であった。数値という無機質な羅列は、感情の入り込む余地を一切与えず、ただ淡々とアレンを断罪する方向へと王の思考を押し流していく。


「陛下。お気持ちは察しますが、現実に大地が上げている悲鳴を無視することはできません」


傍らに立つバルトロメウス教授が、眼鏡の奥で冷徹な光を宿した。その声には、一国の王を迷いの深淵へと突き落とすための、計算し尽くされた知的な圧力が込められている。彼は静かに一歩、円卓へと近づき、投影されたグラフの一点を指し示した。


国王アウロス・フェルシアは、執務机の上に置かれた「はじまりの土」が入った小瓶を握りしめたまま、苦悶に顔を歪めていた。瓶の中の土は、大地の悲鳴に共鳴するように蒼く明滅し、王のてのひらを不快な振動で痺れさせていた。その瓶は、常に穏やかな褐色の眠りを保っていたはずだった。それが今、不吉な鼓動を刻んでいる事実だけが、王の焦燥を際限なく煽り立てていた。


「……教授。この汚染が始まったのは、ここ数週間のことだ」


アウロスの声には、一国の主としての冷徹な観察眼が宿っていた。彼は顔を上げ、円卓を囲む者たち──バルトロメウス・エルド教授、セレノア王国から派遣された魔術理論監察官、そしてフェルシアの魔導農技師長を順に射抜くように見据えた。窓から差し込む午後の陽光が、円卓の中央に置かれた汚染データの立体映像を淡く照らし出している。


「フェルシアの農業には千年の歴史がある。土壌管理、水流制御、どれもがことわりの内にあった。……最近、我々が唯一変えたことと言えば、半年前に導入した新型肥料アグリ・セレノアだけだ。……この汚染の根源は、その肥料にあるのではないか?」


王の理知的な指摘に、魔導農技師長が、弾かれたように身を乗り出した。彼の顔は、自らが信じた「奇跡」への疑念に対する焦燥で強張っている。額には玉のような汗が浮かび、拳がテーブルの縁を強く握りしめていた。


「陛下! それはあり得ません! 半年前、あの大地がどれほど清浄に輝いたか、この目でご覧になったはずです! 私自身、あの小麦を食べ、魔力が洗浄されるような軽やかさを実感しました。……《アグリ・セレノア》は完成された福音なのです。欠陥など、あるはずがありません!」


「……しかし、魔導農技師長。現状、それしか考えられぬではないか」


アウロスがさらに食い下がろうとしたその時、バルトロメウス教授が、眼鏡の奥で焦点の定まらない薄青の瞳を輝かせ、獲物を追い詰めた肉食獣のような歪な笑みを浮かべた。彼はゆっくりと両手を広げ、まるで説教壇に立つ聖職者のような芝居がかった仕草で言葉を継いだ。


「陛下……その鋭い洞察こそが、真実に辿り着くための唯一の道標しるべです。左様、原因は間違いなく《アグリ・セレノア》にあります」


「何だと……?」


アウロスが息を呑む。教授は手元のアーク・リンクを操作し、空間に巨大な魔力解析グラフを投影した。無数の折れ線が絡み合い、その中心にひときわ太い、不吉な赤色の曲線が浮かび上がっている。


「《アグリ・セレノア》は、大地を極限まで清浄な状態に書き換えました。しかし、清浄すぎる水が毒に弱いように、あまりにも純白に整えられたフェルシアの循環系は、外部から持ち込まれた『特定の不純物』に対して、拒絶反応を爆発させてしまったのです。……いわば、この大地はアレルギー反応を起こしているのですよ」


教授の指先が、グラフの一点を指し示した。そこには、フェルシアの大地から検出された不協和音と、別の場所から採取されたという「魔力署名」が重ね合わされている。二つの波形は、まるで最初から一つであったかのように滑らかに一致していた。もちろん、それは教授自身が指先一つで塗り替えた、精緻な捏造の産物に過ぎない。


「教授……改めて問う。貴殿が『未知の汚染源』と呼ぶこの物質の正体は何だ? そして、実物はどこに保管されているのだ。データだけを並べられても、実物を見ぬことには断罪などできん」


アウロスの鋭い問いに、バルトロメウスは懃懃無礼な一礼をもって答えた。彼の背筋はまっすぐに伸び、まるでこの瞬間を何度も予行演習してきたかのように、澱みのない口調で続けた。


「陛下、それこそがアレン・ヴァルグレイという男の最も不気味な点なのです。彼が各地の迷宮深層から極秘に持ち出した『未知の汚染源』は、アレン本人のみが扱える『理外の収納空間』の中に秘匿されています。現代魔術のいかなる探知術式をもってしても、彼が心を開かぬ限り、その中身を外部から押収することは物理的に不可能なのです」


教授は一歩、王へと歩み寄った。その足音が、静まり返った室内に硬質に響く。監察官はその足音の一つ一つに身を強張らせ、無言のまま自身のアーク・リンクを握りしめていた。


「奴はその不可視の空間から、必要な分だけ不純物を取り出し、フェルシアの大地に撒きました。実体は既に大地に溶け込んでおりますが、母材である本体は依然として彼の内側にあります。……陛下、なぜ私がその解析データを持っているか、不思議に思われますか?」


教授は口元に、歪な勝利の確信を潜ませた笑みを刻む。


「私は二年前、アレン殿が各地の迷宮で得た正体不明の不純物を、魔軌士局からの極秘依頼で、第三者機関として鑑定したことがあるのです。……その物質は極めて不安定かつ高密度であり、解析の過程で魔力として完全に消失してしまいましたが、私の手元にはその瞬間に記録された『完璧な波長データ』が残されました。今、フェルシアの大地から検出されている不協和音は、当時のデータと一〇〇パーセント一致いたします」


アウロスは、震える手で顔を覆った。教授が語るロジックは、アレンの持つ「空間収納」という特権を、そのまま「証拠隠滅の道具」へとすり替えていた。反論しようにも、王の手元には反証となる術式も、専門知識も存在しない。ただ、目の前に並べられた無機質な数字の羅列だけが、王の思考を執拗に締め上げていく。


「しかし、彼はこの国へ来た形跡がない」


「陛下、特級魔軌士No.0という存在を常識で測ってはなりません。彼には世界中の誰にも知られていない『秘密の協力者』がいる疑いがあり、彼らを通じて汚染源を運び込ませた可能性があります。あるいは、彼の理外の権能を以てすれば、検問を通らずに物質を運び込むなど容易いことでしょう」


教授は畳み掛けるように、断罪の引き金を王の指先に添えた。彼の声は、慈悲深い医師が患者へ最後の処方を告げるかのような、静かで、しかし逃げ道のない響きを帯びていた。


「現物が彼の内側にある以上、我々に残された道は一つしかありません。アレン・ヴァルグレイをこの地に呼び出し、陛下とセレノアの立ち会いのもと、『未知の不純物』を提出させ、その放たれる波長を土壌と直接照合すべきです。……もし彼が提出を拒むのであれば、それは即ち、彼が『理外の収納空間』に汚染源を隠し持っているという、沈黙の証言に他なりません」


アウロスは、苦渋の決断として、一通のデジタル公文書を空間に展開した。指先が公文書の署名欄に触れる瞬間、彼はほんの一瞬だけ躊躇い、そして目を閉じた。それは救済を求める言葉であり、同時に、救世主として信じる者を「汚染者」として断罪の壇上に引きずり出すための、冷酷な罠の入り口であった。


窓の外では、蒼い燐光を纏った小麦の穂が、風もないのに小刻みに震え続けている。その光景を横目に、魔術理論監察官は自身のアーク・リンクへと視線を落とし、報告書の末尾に記された「緊急性」の文字を、何度も無言でなぞっていた。もはや誰にも、この流れを押し留めることはできなかった。


数時間後。ガルディア公国、公女王執務室の魔導端末が、フェルシア農業国からの「最優先秘匿通信」を受信し、不穏な青い光を明滅させ始めた。


その通信の件名には、偽りの親愛を隠れ蓑にした、残酷な依頼が記されていた。


『──フェルシア農業国における土壌汚染問題解決のための、魔軌士No.0、アレン・ヴァルグレイ殿への極秘技術協力依頼』


宮殿の廊下を渡る春の風は柔らかく、庭園の木々には芽吹きの気配が満ちていたが、その穏やかな空気とは裏腹に、遠くフェルシアの地では、一つの罠が完成の瞬間を静かに迎えようとしていた。誰もまだ、それが世界を揺るがす断罪の序章であるとは、気づいていなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ