表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第26章:世界の波紋

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

264/325

26-5

宮殿別邸の応接室。冬の峻烈な陽光が厚いカーテンの隙間から差し込み、床の絨毯に鋭い光の帯を描き出していた。アレン・ヴァルグレイはソファに深く腰掛け、淹れたてのハーブティーから立ち昇る湯気を無表情に見つめていた。


彼は無造作に右手を虚空へ差し向け、自身の権能である《空間収納アーク・ストレージ》を起動させた。魔術式を一切介さない、世界樹の理に直結した「空間の折り畳み」。アレンはその不可視の領域に意識を沈め、これから始まる深層遠征に必要な備品――予備の魔導媒体や高純度ポーションの在庫を、指先の感覚だけで事務的に確認していく。


「そろそろ、エリシア陛下にも四十階層のボス魔石を渡さないとな」


アレンの独白に近い呟きに、カップを並べていたリィナが顔を上げた。


「エリシア陛下へのプレゼント、ですね? アルヴェリアや帝国、サハリスの王様に贈ったものと同じように」


「ああ。随分世話になっているからな。……さすがにそろそろ贈らないと。それだけのことだ」


アレンにとっては、それが一国の軍事バランスを書き換える「戦略的抑止力」であることよりも、知人への「返礼」であるという事実の方が遥かに自然な理屈であった。だが、窓際で愛用のレイピア《煌光穿グロリアス・ライト・ピアース》を点検していたセリスが、青色の瞳に戦慄を滲ませて振り返った。


「……アレン様、陛下へ『プレゼント』と仰いましたの? 四十階層の守護獣魔石がどれほどの影響力を持つか、本当にお分かりになって? 二十一階層から二十五階層の魔石が国家の電力を支える『光』なら、それは帝国の魔導要塞にも匹敵する、文字通りの『核』ですわよ」


「分かっている。だからこそ、持っておけばエリシアの仕事も少しは楽になるだろう」


アレンは事務的な口調でセリスの懸念を切り捨てると、立ち上がって視線をサツキへと向けた。彼女は既に新調された《星凪ほしなぎ》を背負い、静かな殺気を纏って直立している。


「サツキ、《星凪ほしなぎ》の馴染みはどうだ」


「……完璧です、アレン様。一〇七億エルの重み、そしてあなたの循環……すべてが私の武の一部として機能しています。……いつでも、往けます」


一億エルの戦闘衣装さえ霞む、アダマンタイトという希少材料の体積そのものが生んだ天文学的な対価。サツキの深い茶色の瞳には、迷宮深層で味わった屈辱を完全に振り払い、主の背後を守る「楔」としての揺るぎない覚悟が宿っていた。


「よし。リィナ、備品の最終確認を」


「はい。保存食、高濃度魔力ポーション、清浄魔術用の触媒……すべて規定量以上を揃えています」


遠征は時間との戦いだ。一行は別邸を後にし、ガルディア公国の至宝――「深古水環宮」へと向かった。


迷宮の入り口は、冬の冷たい霧に包まれていた。逆さにした巨大な水瓶のような構造を持つその深淵からは、湿り気を帯びた不気味な魔力圧が絶え間なく溢れ出している。一階層の安全地帯へと足を踏み入れると、そこには多くの一般魔軌士たちが慎重に装備を点検する姿があった。誰もが分厚い防寒装備の上から更に耐魔外套を重ね、互いの表情を確かめ合うようにして小声で言葉を交わしている。深層に挑む者たちの間に流れる、独特の張り詰めた沈黙が、安全地帯の空気を静かに満たしていた。


アレンたちは周囲の喧騒を避けるように岩陰へと移動し、静かに立ち止まった。


「全員、俺から離れるな」


アレンが空間の座標を固定するように意識を集中させると、彼の足元から漆黒の無属性魔力が陽炎のように立ち昇り、三人の誓導者を包み込んだ。


空間転移スペース・シフト


パチン、と乾いた指の音が静寂を切り裂く。視界が歪み、重力が一瞬だけ消失した。次の瞬間、鼻腔を突いたのは一階層の乾燥した空気ではなく、三十階層以上の深層に特有の、肺を圧迫するような濃密で湿った「魔力の不協和音」であった。


そこは、三十一階層の安全地帯。


「……無事に着きましたね。やはりアレン様の転移は、世界の理をあざ笑っています」


リィナが周囲の異常な魔力密度に即応し、全員へ《三重魔導護膜トリプル・アーク・シェル》を展開させる。膜が触れる空気と不協和音を起こし、微かな燐光を放った。


セリスは周囲を見渡し、湿った石壁に染み付いた深層特有の圧力を確かめるように、レイピアの柄を軽く握り直した。かつて三十階層までの探索で味わった重圧とは、明らかに質の違う「気配」がこの先には潜んでいる。彼女はその微かな違和感を胸の奥に留めながらも、口には出さなかった。今は前に進むことこそが最善だと理解していたからだ。


サツキもまた、《星凪ほしなぎ》の柄に手をかけたまま、静かに呼吸を整えていた。かつて対応しきれなかった深層の魔力密度が、今の自分にどれほどの重みとして返ってくるのか。それを確かめる機会が、この先すぐに訪れることを彼女は予感していた。


ここから先は、アレンたちにとっても未知の、蒼き水の監獄。最強の魔術師と三つの楔による、新たなる「深淵の征服」が幕を開けた。


冬の地上では今なお、アレンという存在を巡る各国の疑心と称賛が渦を巻いていたが、この深淵の底までは、その喧騒の一片さえも届かない。ただ湿った空気と魔力の唸りだけが、四人を静かに包み込んでいた。エリシアへの贈り物として持ち帰るはずの魔石が、この先どれほどの波紋を新たに生むことになるのか。それを知る者は、まだ誰もいなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ