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アーク・コントラクター  作者: 瑠志彦
第25章:カザリア内乱

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25-17

カザリアの地平線に、巨大な夕日が沈もうとしていた。黄金色に染まる草原は、その輪郭を燃えるような深紅へと変え、移動都市の巨大なコンテナ群は、戦いの余熱を冷ますかのように長い影を大地に落としている。乾燥した風が吹き抜けるたび、枯れた草波がざわめき、どこか遠くで待機する王国軍車両の電動モーターの唸りが、不規則な不協和音となって耳を突く。


アレンによる和平条項が双方に受け入れられ、最悪の戦火は回避された。だが、一度切り離された魂の絆が、書類一枚で元に戻るわけではない。


特級魔軌士No.5の元第一誓導者カレン・ミストリアと、元第二誓導者リディア・フェルシア。二人は王国軍の制服を纏ったまま、部族領の深部、静まり返った広場の端に立っていた。視線の先には、風に吹かれながら沈む陽光を独り見つめる、セルディオ・ラグランの広い背中があった。


「……マスター・セルディオ」


カレンの静かな声が、乾いた空気に溶けていく。彼女の銀金色の髪が夕風に乱れ、その指先は自身の胸元を、消えない痛みを確かめるように強く握りしめていた。


セルディオは、ゆっくりと振り返った。その琥珀色の瞳からは、北部街道で見せたような凄絶な殺気は消え、代わりに底知れぬ深淵を覗き込んだ後のような、凪いだ静寂が宿っていた。夕日を背にしたその横顔は、これまでの彼が纏っていた軽薄さとも、剥き出しの憎悪とも違う、静かな諦観と何かの覚悟の色を帯びていた。


「来たか。……二人とも、すまなかった」


セルディオが最初に口にしたのは、絞り出すような謝罪だった。


「俺の勝手な絶望に、お前たちを巻き込んだ。……誓約を、あんな形でもぎ取ることになったことも……許してくれとは言わない」


「いいえ。……私たちの方こそ、あなたの孤独に気づけませんでしたわ」


カレンが頭を下げた。重厚な正装の布地が擦れる音が、沈黙の中に響く。


「王国の法を守ることに目を奪われ、一番近くにいたはずのあなたの『血』の叫びに……その魔力波長の震えに、耳を塞いでいたのは私たちです」


「私も……ごめんなさい、セルディオ様」


リディアが大きな瞳に溜まった涙を、手甲の裏で乱暴に拭った。淡い赤髪を激しく揺らし、彼女は感情を爆発させるように言葉を繋いだ。


「馬鹿なんて言って、軽薄だって笑って……。本当は、誰よりも優しくて、誰よりも傷ついていたのは、あなただったのに。それを……魔力循環を通じて伝わってきていたはずのあの『冷たさ』を、私は……」


三人の間に、温かくも切ない沈黙が流れる。かつては魔力循環誓約によって、言葉以上に深く、鼓動の一つ一つまでを共有し合っていた魂。だが今、三人の胸の奥にあの心地よい円環のリズムはない。あるのは、繋ぎ目を無理やり引き剥がされた後の、熱を失った傷口のような虚無感だけだった。夕風が吹き抜けるたび、三人の足元で乾いた草がかさりと音を立てた。


「……セルディオ様。これから、どうされるのですか」


カレンが、意を決したように問いかけた。その青い瞳には、武人としての覚悟が宿っている。


「アレン様の提案で、王国軍の再編も決まりました。混血保護法も制定されます。あなたが戻るべき席は、まだ……」


セルディオは、遠く地平線に翻る牙族の旗を、眩しそうに目を細めて見つめた。旗の朱色が、夕焼けの深紅に溶け込むように揺れていた。


「……いや。俺は部族側に残るよ」


その言葉に、二人は息を呑んだ。


「王国にはもう、俺の代わりはいくらでもいる。だが、この草原には……奪われた誇りをどう守ればいいか、迷っている連中がまだ大勢いるんだ。俺と同じ、どこにも属せない『混じりもの』たちがな」


セルディオは力強く、自身の足でカザリアの土を踏みしめた。その姿には、特級魔軌士No.5という肩書きや、王から与えられた名誉に縋っていた頃の危うさは微塵もなかった。


「俺はここの『盾』になる。人間と獣人が、本当の意味で対等に笑い合える日が来るまで……今度は俺自らの意志で、この草原を見守るさ」


再誓約はしない。それは魔力という名の枷を捨て、一人の男として、一人の武人として生きるという決別の宣言。カレンは静かに微笑むと、隣に立つリディアの震える手を、力強く握りしめた。


「分かりました。……セルディオ様。私たちは王国に戻り、あなたが守ろうとしているこの平和が、二度と身勝手な法によって壊されないよう、政治の側から戦いますわ」


「あなたの選んだ道を……私たちは心から尊重します。頑張ってくださいね、私たちの……大切だった、マスター」


「ああ。……お前たちもな。……ありがとう」


三人は最後にもう一度だけ、深く深く、互いに一礼を交わした。魔力循環という鎖は解けた。だが、共に死線を潜り抜け、共に笑った日々の記憶は、これからも三人の魂を、目に見えぬ「信頼」という名の絆で繋ぎ続けていく。


暮れなずむカザリアの草原に、三人の影が長く、美しく伸びていた。夕日の最後の光が、三人の輪郭を金色に縁取り、やがてゆっくりとその色を失わせていく。遠くで移動都市が再び動き出す重厚な駆動音が響き、新たな共生の鼓動が、冬の夜風に乗って黄金の草原へと広がっていった。


カレンとリディアは、深く一礼したまま、しばらくその姿勢を崩さなかった。やがて二人はゆっくりと踵を返し、王国軍の車両が待つ方角へと歩き出す。振り返ることはしなかったが、リディアの肩は、歩きながらも小さく震え続けていた。カレンはその肩にそっと手を添え、支えるように寄り添って歩いていった。


セルディオは、遠ざかっていく二人の背中を、いつまでも見送っていた。夕日はすでに地平線の彼方に沈みかけ、草原全体が藍色の夜へと静かに沈み込んでいく。彼の足元では、乾いた草が夜風にかすかに揺れ、遠くの送電鉄塔に灯った明かりが、一つ、また一つと点り始めていた。誰もいなくなった広場の端で、セルディオは一人、これから始まる新しい戦いへの静かな決意を、胸の奥に刻みつけていた。


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